第2話 ヴァルグレイ侯爵家の力
ヴァルグレイ侯爵邸。
その一角に設けられた部屋には、領内で商売を営む有力商人たちが集められていた。
衣服こそ上質なものを身につけているが、その表情には緊張が滲んでいる。
誰もが背筋を伸ばし、俺の一挙手一投足を注意深く観察していた。
その理由は、俺にも何となく理解できた。
何しろ、ここにいる商人たちは、侯爵家と直接取引を行う立場にあるのだから。
今回の交渉の議題は――。
「税金について、でございますな」
俺の正面に座る中年の商人が、慎重に口を開いた。
グレゴール・バルツ。
ヴァルグレイ侯爵領で長年にわたって商売を営む、バルツ商会の会頭だ。
金銀や宝石、希少な装飾品などを取り扱い、侯爵家にも定期的に品物を納めているという。
今回の会合を取りまとめる役目も担っているらしい。
「ああ。これまでの税制について、いくつか確認したいことがある」
俺は机の上に置かれた書類へ視線を落とした。
そこには、侯爵領で商売を営む商人たちに課される税金の一覧が記載されている。
商品の売買に応じて発生する商業税。
領内の市場や商店を利用する際に必要な使用料。
そして、侯爵領で新たに商売を始める者に課される登録料。
……正直、かなり複雑だ。
(税金だけでも、こんなに種類があるのか)
俺は内心でため息をついた。
前世では、税金といえば消費税や所得税といった言葉が思い浮かぶ程度だった。
それが今では、領地を治める侯爵として、商人たちから税を徴収する立場にいる。
しかも、目の前にいる商人たちは、単に税金を納めるだけの存在ではない。
彼らは侯爵家にとって重要な取引相手でもあるのだ。
商人たちは、領内外から金銀や宝石、希少な品々を仕入れ、侯爵家へ納めている。
対する礼として、侯爵家からは領内で商売を続けるための便宜や、商業活動に関する許可が与えられているという。
つまり、商人たちにとって侯爵家との関係は、商売を続けるうえで欠かせないものなのだ。
(なるほど……。これは使い方次第で、かなり搾り取れそうだな)
俺は口元に薄い笑みを浮かべた。
この世界での俺の立場。
そして、ルシアンという男が築き上げてきた権力の大きさ。
それを知るには、目の前の商人たちとの交渉がちょうどいい。
「それで、グレゴール。現在の税額について、商人たちの意見を聞かせてもらおうか」
「はっ。実のところ、我々といたしましては、現在の税額でも決して楽ではございません」
グレゴールは、慎重に言葉を選びながら答えた。
「近頃は、商品の仕入れ価格や輸送費が上昇しております。街道の整備費用や護衛の雇用費もかさみ、商売を続けるだけでも相応の負担がございます」
「ほう。それで?」
「可能であれば、税額を少しばかり引き下げていただければと……」
グレゴールが頭を下げる。
それに続いて、ほかの商人たちも一斉に頭を下げた。
(……税金を下げてほしい、か)
商人なら当然の要求だろう。
税金が安くなれば、その分だけ利益が増える。
「では、逆に聞こう。お前たちは、ヴァルグレイ侯爵家からどれほどの恩恵を受けている?」
商人たちの視線が、一斉に俺へ集まる。
「……恩恵、でございますか?」
「ああ。侯爵領で商売をするために必要な許可。領内の市場や街道の利用。そして、商売を始めたばかりの新人商人を受け入れる際の紹介制度。これらは、すべて侯爵家の管理下にあるのだろう?」
「……左様でございます」
「ならば、現在の税額だけを見て、負担が大きいと訴えるのは少々都合がよすぎるのではないか?」
商人たちの表情が強張る。
(おお……。これが侯爵の威圧感ってやつか)
思った以上に効果があったらしい。
権力というものは、想像以上に便利な代物らしい。
もっとも、調子に乗りすぎると後々面倒なことになるだろう。
俺は一度、紅茶を口に含んだ。
そして、カップを静かに置く。
「お前たちは、侯爵家との取引に際して、金銀や宝石を納めているそうだな」
「はっ。長年にわたり、侯爵家のご要望に応じた品々を納めさせていただいております」
「それは、取引に対する礼ということか?」
「……左様でございます」
グレゴールは慎重に頷いた。
俺は書類をめくり、納入品の一覧を確認する。
金貨や銀貨。
金塊や銀塊。
さらには、希少な宝石を用いた装飾品まで。
その内容は、想像していた以上に豪華だった。
(……待て待て。これ、相当な金額になるんじゃないか?)
俺は一瞬、目を見開きそうになった。
どうやら、侯爵家は税金だけでなく、商人たちとの取引を通じても相当な利益を得ているらしい。
しかも、彼らはその納入を当然のこととして受け入れている。
(つまり、これまでのルシアンは、かなり強い立場にいたということか)
俺は、口元を吊り上げた。
「なるほど。侯爵家との取引に対する礼として、金銀や宝石を納める。実に殊勝な心がけだ」
「恐れ入ります」
「ならば、今後はその内容についても、改めて取り決めを行うとしよう」
その瞬間、商人たちの顔が一斉に強張った。
「……と、申しますと?」
「侯爵家が受け取る品の種類、数量、品質。それらを明確にする。これまでのように曖昧な慣例に頼る必要はない」
「し、しかし、これまでの取引においては、特に問題もなく……」
「問題がないことと、適切であることは別だ。
侯爵家に納める品の価値が、取引規模に見合っているのか。それを確認する必要がある」
商人たちは黙り込んだ。
俺はその反応を見ながら、内心で考える。
(……さて、どこまで要求できる?)
税額を引き上げる。
取引の礼として納める金銀や宝石の量を増やす。
あるいは、新人商人の紹介制度を利用して、侯爵家の収入を増やす。
選択肢はいくつもある。
やりすぎれば商人たちが領地から逃げ出す可能性もある。
それでは意味がない。
侯爵家の収入を増やしながら、商人たちにも商売を続けてもらう。
その絶妙なバランスを見極めることが、今回の交渉の目的だった。
俺は、ゆっくりと椅子から身を乗り出した。
「グレゴール。お前たちは、ヴァルグレイ侯爵領で商売を続けたいと思っているか?」
「も、もちろんでございます!
この領地は交通の要衝であり、周辺地域との交易も盛んです。侯爵家の庇護のもとで商売ができることは、我々にとって大きな利点でございます」
「ならば、話は早い」
俺は指を組み、商人たちを見渡した。
「侯爵家も、お前たちが領内で商売を続けることを望んでいる。だからこそ、互いに利益のある取引を行いたい。
ただし、侯爵家が一方的に譲歩するつもりはない」
その言葉に、商人たちは再び頭を下げた。
「……承知いたしました」
交渉は、ひとまずそこで区切りとなった。
税額については、商人たちが希望する引き下げを即座に認めることはせず、現在の税制と納入品の価値を精査したうえで、改めて条件を提示することになった。
商人たちは不満を抱えているようだったが、侯爵家の決定に逆らうことはなかった。
そして、会合が終わると、彼らは次々に席を立ち、深々と頭を下げて退室していった。
最後の一人が扉の向こうへ消えたところで、俺は大きく息を吐いた。
「……ふぅ」
「お疲れ様でございました、ルシアン様」
隣に控えていたセバスチャンが、静かに声をかけてくる。
「どうだった?」
「非常に興味深い交渉でございました」
「それは褒めているのか?」
「もちろんでございます。ただ、民衆に負担を押しつける商人たちが、税の高さを嘆くとは、皮肉なものでございますな」
セバスチャンは、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
その言葉に、俺は思わず苦笑した。
商人たちが税の引き下げを求めていた一方で、民衆には重い負担を強いている。
その矛盾を、セバスチャンは見抜いていたのだ。
(……なるほど。これが貴族の権力というものか)
今回の交渉を通じて、俺は自分が想像していた以上の権力を持っていることを知った。
商人たちは税の引き下げを求めていたが、侯爵家の決定には逆らえない。新人商人の紹介制度も、侯爵家の許可と深く結びついている。
さらには、取引の礼として金銀や宝石を納めることまで、彼らにとっては当たり前の慣例になっていた。
どうやら、ヴァルグレイ侯爵家の影響力は、俺が思っていた以上に大きいらしい。
俺は窓辺へと歩み寄り、外に広がる侯爵領の街並みを眺めた。
この領地には、まだ俺の知らない制度や慣習が数多く存在しているはずだ。
それらを一つずつ把握していけば、ルシアンとしての立場を、もっと有利に活用できるかもしれない。
(さて……次は隣領の伯爵との会談か)
商人たちとの交渉だけでも、これほど多くの情報を得ることができた。
ならば、貴族を相手にした会談では、さらに興味深い話が聞けるかもしれない。
俺は窓の外から視線を戻し、静かに立ち上がった。
破滅を回避するために始まった、俺の第二の人生。
その第一歩は、どうやら順調に踏み出せたようだった。




