第13話 白き僧侶 ― 炎の誓約、闇の命令
陽光が石畳を照らし、金属の音が響く。
「北方の砦までの補給、揃ったよ」 リリィが羊皮紙を閉じながら微笑んだ。
「ならもう心配いらねぇな!」
ガイアが笑い、豪快に彼女の肩を叩く。
「これで俺の胃袋も安心ってわけだ!」
「……食料の話じゃないわよ」
リリィが呆れつつため息をついた。
「戦場で胃袋の平和を叫ぶのはあなただけね」
「おっと、俺にだって繊細な感性があるんだぜ?」
「それ、石みたいな感性でしょ」
カミラが小さく笑いながら弓を調整していた。
そんな中、彼女がふと空を見上げる。
「……来客よ。」
皆の視線がそちらへ向く。
白い風が舞い、遠くから馬に乗った人物が現れた。
銀髪を三つ編みにまとめ、白衣の裾が光を反射する。
彼女は馬を降り、静かに一礼した。
「私はエリアス・フェルン。教会より派遣されました。皆様の遠征が危険と聞き……お力になれればと。」
その声は柔らかく、けれど芯があった。
「教会派遣の僧侶か。」
アレンは剣を腰に戻し、真っ直ぐに見つめる。
「仲間になるなら、条件がある。互いに命を預ける覚悟があるか?」
エリアスは小さく微笑み、まっすぐ答えた。
「はい。私の命は、皆様のために。」
その清らかすぎる言葉に、一瞬空気が張り詰める。
トレヴァーが腕を組んで冷ややかに口を開いた。
「言葉だけなら、誰でも言えるわ。」
「なら、見せます。」
エリアスは静かに前へ歩み出た。
「信頼を……必ず証明してみせます。」
カミラが小さく呟く。
「この眼差し……偽りじゃない。」
アレンは頷いた。
「いいだろう。実力を見せてもらう。」
金属音と魔力の爆ぜる音が訓練場に響く。
「――蒼刃一閃!」
アレンの剣が青く輝き、鉄製の人形を真っ二つにした。
同時にリリィの詠唱が重なる。
「雷槍!」
青白い雷が槍となり、アレンの剣筋をなぞるように突き抜けた。
黒煙を上げて標的が崩れ落ちる。
「ふぅ……連携は悪くない。」
アレンが汗を拭い、剣を収める。
「次は私。」
カミラが短く呟き、弓を構えた。
弦の音が空を裂き、三本の矢が同時に放たれる。
的の中心をすべて射抜き、まるでひとつの矢のように重なった。
「……相変わらず外さないな。」
ガイアが笑い、肩を叩く。
「おいリリィ、俺の番だ!」
ガイアは雄叫びと共に突撃した。
大剣が地面を抉り、模擬魔物の岩人形を粉砕。
轟音が響き、訓練場に砂煙が舞う。
「……戦場なら味方も巻き込まれるわね。」
リリィがため息をついた。
「いいんだよ、俺が盾になるんだからな!」
ガイアは笑い飛ばす。
そして、最後にエリアスの番が訪れた。
彼女は静かに目を閉じ、両手を胸の前で組む。
「――慈愛の光よ、命を癒せ。」
温かな光が仲間たちを包み、疲労や小さな傷が瞬く間に癒える。
その光は、春の日差しのように柔らかく、どこか懐かしさを覚えるほどだった。
「おお……体が軽くなったぞ!」
ガイアが感嘆の声を上げる。
「制御も安定している。無駄がない。」
トレヴァーが短く評した。
「……合格よ。」
アレンは微笑み、彼女に手を差し出した。
「エリアス、これからは俺たちと共に歩んでほしい。」
エリアスはその手を取り、深く頷いた。
「……はい、勇者様。」
その笑顔の奥に、わずかな影が差していた。
重厚なカーテンの奥、ランプの炎だけが赤く揺れていた。
ヴァルグレイ侯爵ルシアンは、赤いワインをゆっくりと傾ける。
卓上には一通の報告書。
「旦那様、僧侶エリアスは無事に勇者一行に潜入いたしました。」
執事セバスチャンが恭しく報告した。
「ほう……順調だな。」
ルシアンは指でグラスを回しながら微笑む。
「勇者アレン・ヴァルデン。聖剣の後継者にして、最も単純な正義の象徴……。」
「そして最も操りやすい、と?」
セバスチャンの問いに、ルシアンは愉快そうに笑った。
「まさか。あれほどの理想家を操るには、“善意”という毒が必要だ。」
「毒、でございますか。」
「そう。彼女のような――“純白の毒”がね。」
セバスチャンは小さく頷き、封蝋付きの書簡を差し出した。
ルシアンはそれを受け取り、炎のそばにかざした。
「信仰とは、時に最も脆い鎖だ。……引けば切れる。押せば絡まる。」
赤い光が彼の瞳を照らす。
その笑みは、氷のように冷たかった。
夜の野営地。
焚き火がパチパチと音を立て、橙の光が皆の顔を照らしていた。
「アレン、明日の出発は早い。寝るなら今のうちよ。」
リリィが水筒を渡す。
「もう少しだけ。」
アレンは炎を見つめたまま微笑んだ。
「こうして皆と過ごす時間も、悪くない。」
「勇者様って、意外と感傷的なんですね。」
エリアスが柔らかく笑う。
「いや、ただの臆病者さ。戦場の前は、誰だって少し怖くなる。」
「怖さを知る者ほど、優しいんですよ。」
その言葉に、リリィが小さく眉をひそめる。
「あなた……本当に教会出身?」
「ええ、もちろん。」
エリアスは微笑むが、その瞳の奥に一瞬、影が走った。
「信頼は簡単じゃない。」
リリィが火に薪をくべながら言う。
「でも、信じることでしか始まらないのも確かね。」
「……はい。信じてほしい。私も皆様を信じます。」
焚き火の光がエリアスの瞳に揺れた。
だがその奥底で、別の声が微かに囁く。
――“報告を忘れるな。
彼女はその声を振り払うように、手を胸に当てた。
「明日は……きっと勝利の一歩になります。」
空が白み始める。
遠征の支度を整える勇者一行。
アレンが馬の手綱を取りながら振り返った。
「出発だ。」
「了解!」
ガイアが剣を担ぎ、リリィが魔導書を抱える。
エリアスは最後尾で祈りを捧げた。
「女神よ……彼らを守り給え。」
だがその祈りの終わりに、もうひとつの声が重なる。
――“任務を忘れるな、白き花よ。”
彼女は小さく目を閉じ、唇を噛んだ。
一方その頃、侯爵邸。
ルシアンは報告書を手に取り、無造作に炎へ投げ入れた。
書簡は静かに燃え、灰へと変わる。
「さて、信仰はどちらの神に向くのか――。」
炎の赤が彼の瞳を染める。
そして、朝日が王都を照らすころ、
勇者一行は新たな地へと歩き出していた。
その背後で、誰も知らぬ歯車が、静かに回り始めていた――。




