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第7章 謎の深層


 現代、パリ。


 クレール・デュボワは国立公文書館の地下深くにある特別保管庫にいた。十九世紀後半の政治犯に関する記録を調べるためだった。パリ・コミューン関連の資料は膨大で、多くは一般公開されていない。


「エルミニー・キャドルに関する記録は……」


 館員が古いファイルを取り出した。


「ここに少しだけあります」


 クレールは慎重に書類を開いた。そこには、彼女がこれまで知らなかった衝撃的な事実が記されていた。


「逮捕理由……政治的扇動および……」


 クレールの手が震えた。


「機密文書の窃盗容疑」


 エルミニーは単なる政治活動家ではなかった。コミューン時代に、何らかの機密情報にアクセスしていたのだ。


 さらに驚くべきことに、彼女の逮捕時の所持品リストには「現金二万フラン相当の金貨」という記述があった。当時の労働者の年収の何十倍もの金額だった。


「どうやってこれほどの金を……」


 クレールは資料を読み返した。機密文書の窃盗と大金の所持――これらの間には必ず関連があるはずだった。


 夕方、クレールはプピー・キャドルに緊急に連絡を取った。


「重要な発見がありました。すぐにお会いできますか?」


 一時間後、キャドルメゾンの応接室で、クレールは発見した資料をプピーに見せた。


「信じられない……」


 プピーの顔が青ざめた。


「曾祖母がスパイ活動を?」


「可能性は高いです」


 クレールは冷静に分析した。


「政府の機密文書を盗み、それを売って資金を得ていた。アルゼンチンでの最初の資本も、この金が元になっていたのかもしれません」


 プピーは椅子に深く沈み込んだ。


「でも、なぜそんなことを?」


「革命資金の調達でしょう」


 クレールが推測した。


「コミューンの活動には多額の資金が必要でした。エルミニーは理想のために、危険な道を選んだのです」


 その夜、クレールは一人で資料を整理しながら、エルミニーの人生を再構成していた。全てのピースが、ついに一つの絵を描き始めていた。


 翌日、クレールはパリ警視庁の古い記録も調べた。そこで、さらに興味深い発見をした。


 一八八七年、エルミニーのアルゼンチン出国直前に、パリで一連の政治的暗殺事件が発生していた。そして、その捜査対象者リストにエルミニーの名前があったのだ。


「逃亡だったのね」


 クレールは確信した。エルミニーのアルゼンチン移住は、単なる新天地への憧れではなく、フランス当局からの逃亡だったのだ。


 一八八七年、パリ。


 エルミニーは息子を急かして荷造りを進めていた。時間がなかった。警察の手が伸びる前に、国外に脱出しなければならなかった。


「ママ、なぜそんなに急ぐの?」


 アルシードが尋ねた。


「新しい人生を始めるためよ」


 エルミニーは真実を隠した。息子に余計な心配をかけたくなかった。


 実際には、彼女は政府の内部情報を反政府組織に売っていた容疑で、当局に追われていたのだ。コミューン時代に培った人脈を利用して、危険なスパイ活動を続けていた。


 それは理想のためではなく、純粋に金銭のためだった。夫の死後、一人で息子を育てながら生活するには、コルセット作りの収入だけでは不十分だった。


 政府の機密文書を写真に撮り、それを反政府組織に売る――エルミニーは冷徹にこの「商売」を続けていたのだ。


「エルミニー、警察が来るわ!」


 隣人のローズが血相を変えて知らせに来た。


「急いで!」


 エルミニーは最後の荷物を掴み、息子と共に裏口から逃げ出した。アルゼンチン行きの船の出港まで、あと三時間。ギリギリの脱出劇だった。


 船がマルセイユ港を離れるとき、エルミニーは二度と振り返らないと心に誓った。過去の全てを捨て、新しい人生を始めるのだ。


 ブエノスアイレスでの成功も、実は偶然ではなかった。エルミニーはパリで培ったスパイ活動の技術を、商業情報の収集に応用していたのだ。


 競合他社の企業秘密を探り、政府高官の妻たちから政治情報を聞き出し、それらの情報を利用して先手を打つ――彼女の商才は、実は諜報技術の応用だった。


「マリア・ルイサ」


 ある日、エルミニーは信頼できる部下を呼んだ。


「ライバル企業の新商品について調べてほしいの」


「どのように?」


「彼らの工場で働く女性と友達になりなさい。そして情報を集めるの」


 エルミニーは人間関係の構築と情報収集の専門家だった。それがアルゼンチンでの驚異的な成功の真の秘密だったのだ。


 現代のクレールは、調査結果をまとめながら複雑な心境だった。エルミニーの成功は、単純な努力と才能だけでは説明できなかった。


「プピーさんにどこまで話すべきか……」


 彼女は迷っていた。真実は時として、知らない方が幸せなこともある。


 しかし、歴史家としての使命感が勝った。真実は、どんなに複雑で都合が悪くても、記録されるべきだった。


 翌日、クレールはプピーに全ての調査結果を報告した。


「つまり、曾祖母は……」


 プピーは言葉を失った。


「スパイであり、情報商人であり、そして逃亡者だった」


「でも同時に、革新的な発明家であり、成功した実業家でもありました」


 クレールがフォローした。


「人間は複雑なものです。善悪の単純な二分法では測れません」


 プピーはしばらく沈黙していたが、やがて苦笑いを浮かべた。


「なるほど……だから彼女は写真を残さなかったのね」


「おそらく」


 クレールが同意した。


「身元を隠す必要があったのでしょう」


「でも」


 プピーが顔を上げた。


「彼女の発明が女性の解放に貢献したことは事実です。動機がどうであれ、結果は素晴らしいものでした」


 クレールは微笑んだ。プピーの寛容さと現実的な判断力に感心していた。


「では、伝記にはどこまで書きますか?」


「全てを」


 プピーが即答した。


「家族の恥部も含めて、全てを記録してください」


「なぜですか?」


「真実の方が、作り話よりも面白いからです」


 プピーの目に、曾祖母譲りの強い意志が宿っていた。


「それに、エルミニー・キャドルという女性の真の姿を、世界に知ってもらいたいのです」


 クレールは深く頷いた。これほど魅力的で複雑な人物の伝記を書けることに、興奮を覚えていた。


 その夜、クレールは執筆の準備を始めた。エルミニー・キャドルの真実の物語――革命家、スパイ、発明家、実業家として生きた一人の女性の、波乱に満ちた人生を描く大作になるだろう。


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