第1章 失われた写真
パリの九月は、夏の残り香と秋の気配が入り混じる微妙な季節だった。サン・ジェルマン・デ・プレの古書店街を抜け、クレール・デュボワは足早にソルボンヌ大学へと向かっていた。三十二歳の彼女は、ファッション史を専門とする気鋭の研究者として知られていたが、今日受ける依頼については半信半疑だった。
大学の研究室に到着すると、すでに二人の訪問者が待っていた。一人は六十代半ばの上品な女性で、もう一人は三十代前半の若い女性だった。
「プピー・キャドルです」
年上の女性が立ち上がり、流暢なフランス語で自己紹介した。
「こちらは娘のパトリシアです。お忙しい中、お時間をいただき、ありがとうございます」
クレールは二人を見つめた。キャドル――その名前は、パリの高級ランジェリー界では伝説的存在だった。カンボン通りの小さなブティックから始まり、今では世界中のセレブリティが愛用する高級メゾンの経営者たちが、自分の研究室を訪れている。
「メゾンの創始者について、伝記を書いていただきたいのです」
プピーが切り出した。
「エルミニー・キャドル。私たちの曾祖母にあたる人物です」
クレールは眉をひそめた。
「エルミニー・キャドル……十九世紀後半の女性実業家ですね。ブラジャーの原型を考案したとされる」
「ええ、でも彼女については謎が多すぎるのです」
パトリシアが口を開いた。
「写真は一枚しか残されていませんし、記録も断片的で……」
プピーが大きなレザーバッグから古い資料を取り出した。
「これが現存する唯一の写真です」
クレールは慎重に写真を受け取った。白黒の古い写真には、厳格な表情の小柄な女性が写っていた。隣には若い男性が立っている。
「隣の男性は?」
「おそらく息子のアルシードです。でも確証はありません」
プピーの声には困惑が滲んでいた。
「現在インターネットで検索すると出てくる写真は、すべて別人です。本物の彼女の姿を知る人は、もういません」
クレールは写真を凝視した。女性の目には強い意志が宿っているが、どこか謎めいた雰囲気もあった。
「なぜ今、伝記を?」
「来年がメゾン創立百三十周年なのです」
パトリシアが説明した。
「それに、最近になって新しい資料が見つかったんです」
プピーが別の書類を取り出した。
「アルゼンチンの古文書館から連絡があり、エルミニーの名前が記載された書類が発見されたと……」
クレールの関心が急速に高まった。アルゼンチン――エルミニー・キャドルが長年暮らした南米の地。
「どのような書類ですか?」
「土地購入の記録です。でも興味深いのは、購入した土地の規模です。一介の移民が購入するには、あまりにも巨大すぎる……」
プピーの目に困惑の色が浮かんだ。
「私たちは彼女が成功した実業家だったことは知っています。でも、どれほどの成功だったのか、なぜそれほどまでに成功できたのか……謎だらけなのです」
クレールは写真を再び見つめた。この小柄な女性に、いったいどのような秘密が隠されているのだろうか。
「報酬については……」
「十分にお支払いします」
プピーが遮った。
「それよりも、真実を知りたいのです。彼女は一体何者だったのか。なぜパリを去り、なぜアルゼンチンで成功し、そして最後になぜパリに戻ったのか」
クレールは資料を整理しながら考えた。ファッション史研究者として、これほど興味深い依頼はなかった。
「条件があります」
彼女は顔を上げた。
「すべての資料へのアクセス権をいただきたい。メゾンの古い記録、家族の私文書、すべてです」
「もちろんです」
プピーが即座に答えた。
「ただし……」
彼女の表情が曇った。
「真実が、私たちの想像を超えるものかもしれません。それでも構いませんか?」
クレールは興味深そうに眉を上げた。
「どういう意味ですか?」
「エルミニーは愛情深い女性ではありませんでした」
プピーがためらいがちに言った。
「感じもよくなく、親切でもなく、楽しい人間でもなかった……でも闘う女性でした。もしかすると、私たちが知りたくない真実があるかもしれません」
クレールは微笑んだ。
「歴史家にとって、都合の悪い真実ほど価値のあるものはありません」
三人の間に緊張と期待が満ちた。
「では、お受けします」
クレールの言葉で、長い調査の始まりが告げられた。
夕暮れが迫る頃、プピーとパトリシアが帰ったあと、クレールは一人で写真を見つめていた。エルミニー・キャドルの鋭い眼差しが、まるで時を超えて何かを訴えかけているようだった。
彼女は机の引き出しから拡大鏡を取り出し、写真を詳しく調べ始めた。すると、エルミニーの手首に小さな傷跡のようなものが見えた。それは偶然の傷なのか、それとも何かの印なのか……
クレールは最初の謎を発見したことに興奮を覚えた。この小さな傷跡が、やがて巨大な謎の入り口になることを、彼女はまだ知らなかった。