毎日の日課
夏の日の川辺で私はその人に会った。
体育座りで座り込んでじっと一点を見つめている。
私は犬の散歩をしていた。
何となしに気まぐれでいつもと違うルートを探していたのだ。
そのため特に気にもせず通り過ぎた。
翌日もその人はいた。
そのまた翌日も。
ある日、私は立ち止まってその人に話しかけた。
「あの」
「はい?」
その人は振り返った。
まだ年若い女性だった。
「何か見えるんですか?」
「あぁ」
微笑む彼女の顔は穏やかだった。
だからだろう。
私の連れていた犬ははしゃいでその人に駆け寄ろうとしていた。
「わっ! ちょっ! 待ちなさい!」
必死に止めているとその人は笑う。
「いいですよ。私、犬が好きですから」
「すっ、すみません」
解放された犬はその人の足の下で楽し気に尻尾を振る。
その人は微笑みながら犬の頭を撫でていた。
しばらくの間。
「昔、ここで」
不意にその人が言った。
「人が溺れたんです」
「人が?」
「はい。私の目の前で溺れました」
思いの他、重い言葉に私は微かな後悔をする。
「よく覚えています。時間は丁度このくらいでしょうか」
夏の色が少し陰った。
彼女は微笑む。
「私の目の前のことでした」
言葉に詰まる。
彼女の心が私の胸の中を侵食した気がした。
「助けて。助けてと叫んでいました。私はそれを見ていることしか出来ませんでした」
「……そう、ですか」
言葉を知らない犬は未だその人にじゃれている。
その人もまた微笑みながら犬の頭を撫でていた。
彼女は……。
その溺れた人と親しかったのだろうか?
だとしたら、彼女は今も自分が何も出来なかったことを悔いているのだろうか?
風の音が掻き乱す。
運ばれてきた香りが心を急かす。
「そろそろ行きます。ほらっ、いくよ」
考えるのが苦しくなり犬のリードを引っ張る。
犬は少し抵抗したが、彼女が微笑んで私の方へと運んだのでやがて諦めてこちらへ戻って来た。
「お邪魔しました」
私の言葉に彼女は微笑み手を軽く振った。
その表情が胸に突き刺さる。
話しかけなければ良かったとさえ思ってしまった。
立ち去ろうとした数歩離れた時、彼女は言った。
「その人は私を虐めていました」
足が固まり、思わず振り返る。
そこには変わらない笑顔を向けているその人が居た。
「昔の話です」
にっこりと笑う。
その表情が恐ろしくて私は一礼した後、足早に立ち去る。
犬は既に直前のことを忘れたように、夏の熱さから少しでも逃れるよう舌を出しながら私の前を歩き続けていた。
その道はそれ以来通っていない。