2-α 安楽椅子の哲学者(3/3)
「……応声虫?」
首をかしげるあなたに向かって、鳩村翼は大きくうなずいている。
「応声虫とは、要するに、人に寄生する虫のことです。この虫が体内に入ってくると、腹の中から応じる声がするんですよ。それで応声虫」
鳩村翼は楽しそうにそう話すが、突拍子もない内容に、あなたは言葉を失っている。
「あるいは、古い書物によると、応声虫は寄生した人の腹に、口のようなできものを生じさせることもあるようです。しかも、その口は話すだけでなく、物を食べるのだとか」
「そんな気持ちの悪いもの、私にはありません」
さすがにぎょっとして、あなたはすぐさま否定した。しかし、鳩村翼は淡々とこう返す。
「まあ、さすがに口ができる、というのは話を盛りすぎですよね。そうなると、もう人面瘡に近いですし。それに、どちらにせよ、あなたの中にいるのがそれだと言っているわけではありませんよ。それに類するものではないか、という話です。オウセイチュウ科だか、オウセイチュウ目だかは知りませんが、とにかく、何かしらの新しい生きものなのではないか、とね」
「……オウセイチュウ科? そんなものがあるんですか?」
あなたがそう問いかけると、鳩村翼はしれっとこう答えた。
「あるわけないじゃないですか。たとえですよ。たとえ。実際にオウセイチュウ科であるかどうかはわかりません。タヌキだってイヌ科ですし」
あなたはその答えに閉口していたが、鳩村翼は平然としている。この男、どこまで本気なのだろう。
「で。ここからは、私の考えなんですが……まず、件の神社で行われている儀式において、寄坐に宿る存在が何と呼ばれているかを、あなたはご存知ですか?」
話の流れに戸惑いつつも、あなたは素直にこう答えた。
「確か、テンコウさま、では……」
「そうそう。それです。そのテンコウさまと呼ばれている存在は――その正体はともかくとして――この地域に古くから根差している信仰の名残のようなもの、でして。今となっては、あの神社にも御祭神は別にいるでしょうが――神社にもいろいろありますからね――ともかく、あの神社はもともと、そのテンコウさまを祀る場であり、テンコウさまこそがこの町の守り神だったわけです」
あなたは何とも言えないような、奇妙なうなり声を発した。おそらく、ついていけなくなっているのだろう。
しかし、そんなあなたとは違って、鳩村翼は意気揚々と話し続けている。
「まあ、それ自体はどうでもいいんですけど。ともかく、こうして現在に至るまで、その信仰を残しているテンコウさまなのですが――実のところ、ここ十年ほどの儀式では、寄坐による予言がきちんと行なわれていないことは、ご存知ですか?」
あなたはその言葉に、けげんな顔をした。
「この前のお祭りで、私はその神事を見ましたが……予言が行なわれていないなら、あのときのあれは、何だったんですか?」
あなたの発言に、鳩村翼はわざとらしく目を見開いた。
「おや? 夜遊びですか? まあ、それはいいとして……あの場では、寄坐が何も言わなければ、つつがなし――つまり向こう一年には災厄なし、ということになるんですよ。先日もそうでした。その前の年も。その前の前の年も、です。どう思われます?」
「そういうものじゃないんですか? 予言できる存在に、今年は問題ない、ってお墨つきをもらうんでしょう?」
あなたの言葉に鳩村翼は、ほう、と感心したような声を上げた。
しかし、この答えは純粋にあなたの考えというわけではない。平賀千代からの受け売りだ。そもそも、あの神事を見たいと言い出したのも彼女だった。
鳩村翼はふむとうなりながらも、こう続ける。
「まあ、形式的なものなら、そんなところでしょう。しかし、テンコウさまに限っては、それには当てはまらないのですよ。十年ほど前まで、テンコウさまは予言をしたそうです。しかし、近頃はそのお言葉をいただけていない。宮司さんは、寄坐が子どもでなくなったことが原因か、と思われているようですが……ともかく、そのことに関連して、私は宮司さんから調査を頼まれましてね。それで、この町までやって来たというわけです」
あなたは、はあ、と気のない返事をした。そのことが、自分といったいどんな関わりがあるのか、といぶかっている様子だ。
しかし、そうして戸惑うあなたのことを、鳩村翼は気にする素振りもない。
「さて。ここからが大事なのですが……そもそも、未来を予知をするもの、なんてものは、そうそういないのです。仮にそう主張していたとしても、そのほとんどがまがいものか、ごまかしですから。だからこそ、本当に未来を予見したなら、それは本物に違いない、と私は考えたわけなのですが――」
そう言って意味深な視線を向ける鳩村翼に、あなたはどうにかこうたずねた。
「つまり、その……それは、どういうことでしょう」
鳩村翼はにやりと笑い返す。
「ですから。もしかして、いなくなったテンコウさまは、あなたの中にいるのでは?」
とんでもない発言に、あなたはぽかんと口を開けた。それに対して、鳩村翼はなぜか得意げな顔をしている。
「あなたは二度、事故した車を見ている。それこそが、災厄の予知です。そのときに聞こえたという声も、無関係ではないでしょう」
「ちょっと待ってください。いくら何でも無茶苦茶です。そんなことが、予知だって言うんですか? それに、おかしなものを見たのは、今のところあのときだけです。その――テンコウさまが私の中にいるのだとして、どうして突然そんなことに……」
慌てるあなたに対して、鳩村翼はどこか楽しげな表情で首を横に振った。
「あなたは、あの儀式をご覧になったというお話でしたよね。でしたら、なおのこと筋が通る。つまり、それを見たことをきっかけにして、あなたの中のテンコウさまは本来の力を取り戻したのです!」
鳩村翼はそう言いながら、あなたに人差し指を突きつけた。
あなたが思わずたじろぐと、鳩村翼は満足げにうなずきながら、あらためてこう続ける。
「なぜ、あなたの中にテンコウさまがいるのかは、わかりません。いえ――それを知るためにも、ぜひ、あなたのことを調べさせていただきたい!」
突飛な提案に対して、あなたは何も答えることなく固まってしまった。おそらく、思考が停止しているのだろう。
呆然としているあなたに向かって、鳩村翼は訳知り顔でこう話す。
「ご安心を。私はそういった存在には慣れておりまして――というか、そういったものを扱うのが家業でして。専門は隠棲動物学です。テンコウさまの正体は、他では知られていない、新しい生きものなのかもしれません。ぜひ、あなたの中にいるものを調べさせていただきたい!」
「……隠棲動物学?」
そこでようやく、あなたはぽつりと言葉を発した。どうしてもそれをたずねなければならなかった、というわけではなく、どうでもいいことだからこそ、何の気兼ねもなく言葉にできたのだろう。
鳩村翼は気勢をそがれつつも、こう答えた。
「隠棲動物というのは……UMAだの、未確認動物だの――まあ、そういった呼び名の方が、通りがいいんでしょうね。しかし、ただのオカルトだと思われるのは心外です。私はそういった生きものについての実在を、真剣に研究しているのですから。私はね、他の身内とは違って、幻想の生きものを幻想のままにしておく気はないのですよ――と、まあ、それはともかく……」
鳩村翼はそこで、あらためてあなたに向き直った。
「許可をいただけるなら、この件は私からご家族にもお話しいたしましょう。未成年なら、親の同意が必要ですからね。いかがです? 非人道的なことは行いませんし、ちゃんとお礼もさせていただきますよ?」
「冗談じゃありません! 親にそんなわけのわからないことを言うなんて……」
動揺するあなたに向かって、鳩村翼は小首をかしげながら問い返した。
「どうしても、ダメですか?」
「ダメです。というか、嫌です。そうでなくたって、私の中にそんな――わけのわからないものがいるとは思えません。まぎらわしいことを言ったことについては、すみませんでした。あれは私が悪かったんです」
あなたがそう答えると、鳩村翼はしばし黙り込んだ。それでも食い下がるかと思ったのだが――彼はあなたのことをしばらくじっと見つめると、思いがけずあっさりと引き下がった。
「そうですか。まあ、かまいませんけどね」
鳩村翼はそう言うと、空になったペットボトルと大きなビジネスバッグを手に立ち上がった。はっきりと拒否したとはいえ、あまりに唐突だったからか、あなたは呆気にとられたような表情をしている。
さっそうと歩き出した鳩村翼は、部屋を出る直前で思い出したように立ち止まると、にこやかな表情であなたの方を振り向いた。
「気が変わるか、あるいは、あなたの身に何か変わったことがありましたら、お渡しした名刺の番号へ、ご連絡いただけると幸いです。あなたは貴重な存在ですから。お気軽に、何でもご相談ください」
それだけ言い残して、彼はこの場から去って行く。扉が閉められると、室内は何ごともなかったかのように、しんと静まり返った。