6-α 知らざるを知らずとなす(2/3)
夏休みに入った最初の日曜日のこと。
本日の天気は晴天。七月ともなると太陽の日差しはじりじりと焼けるように熱く、当然のように気温の方も高くなる。今はまだ朝も早い時間なので涼しい方なのかもしれないが、これからさらに暑くなるのだと思うと気が重い。
この日、あなたがやって来たのは町の公民館だ。手にした用紙を確認しながら、あなたはそこに記された集合場所へと歩いていた。紙面には大きく太字で、ボランティア、という単語が記されている。
指定の時間までには少し早かったが、周囲にはもう、まばらに人が集まっていた。エントランスではスタッフ然とした人たちが忙しく立ち回っているのが見える。
三者面談があった次の日、菅原憂から嬉しそうに手渡されたのが、このボランティアを案内するリーフレットだった。そこには集合の日時と場所、その他いろいろな注意事項が、こと細かに書き連ねてある。
なるほど。先生が言っていたのはこういうことだったか。しかし、納得したと同時に新たな疑問も湧いてくる――それにしても、どうして彼女が?
どんな服装が適しているだとか、必要なものは何だとか。珍しく真面目な話をする菅原憂に気圧されて、そのときのあなたは素直にうなずくことしかできなかった。どうしてそんなにくわしいのか、たずねることもしていない。意外な展開に、あなたも困惑していたのだろう。
このボランティアには菅原憂も一緒に参加する予定だった。知らない人たちばかりのようだから、あなたにとっては何よりも心強いに違いない。ちなみに、平賀千代も誘いはしたのだが、あたしはパス、とすげなく断られてしまっている。
何はともあれ、そうした経緯であなたはこの日を迎えていた。
昨夜はそわそわとして落ち着かなかったあなただが、当日になってしまえば腹も据わったのか、気持ちにいくらか余裕ができたようだ。なりゆきで参加してしまったようなものだけれども、あなたが何かをしたいと考えているのなら、私は心の中で応援しようと思う。
集合場所に着くと、そこにいた菅原憂がすぐにあなたのことに気がついた。あなたはあからさまにほっとした表情を浮かべている。
しかし、彼女の二の腕にスタッフのものだろう腕章があることに気づくと、あなたは途端に目を見開いた。
「気になることがあるんだけど」
「なあに?」
「よく来るの? こういうボランティア」
あなたの問いかけに、菅原憂は何の屈託もなくうなずいた。
「そうだよ。うちのお母さんがうるさくて。どうしても手伝えってさ。正直言うと、面倒なときもあるんだけどねえ」
なんだ、そういうスタンスなのか。人は見かけによらないものだと思っていたのだが。
菅原憂はにこにこしながらあなたの手を取ると、さっそくスタッフの控え場所まで引き入れた。
「今日は初めてなんだし。気楽にやってくれていいからね」
そんなことまで言い始める。想像していたものと違ったからか、あなたは拍子抜けしたような表情を浮かべていた。
「いいの? そんな感じで」
菅原憂は笑いながらこう返す。
「いいのいいの。どうせ暇な人しか集まってないから。みんなでお散歩しながら、ゴミ拾いするだけだよ」
今日の予定は町の清掃ボランティアだ。
とはいえ、参加者を暇な人と断じてしまうのはどうなのだろう。まさか町の美化にそこまで入れ込んでいる人もいないだろうが、かといって、彼女の発言はいささか気楽すぎるような――
そんなことを思いもするが、当の本人はどこ吹く風。スタッフ用らしき折りたたみ椅子を勝手に持ち出すと、適当な場所に並べ始めた。
「理子ちゃんは何も心配しなくていいから。今日は私が一緒だからね」
集合の時間まで、ここで過ごすつもりだろうか。しかし、菅原憂が目の前の椅子をあなたに勧めた、ちょうどそのとき。遠くの方で誰かが彼女の名を呼んだ。
菅原憂は後ろを振り返ると、その声に向かって不満そうに返事する。それから、あなたにごめんねと断ると、彼女のことを呼んだスタッフの元へと走って行った。
会話の内容は聞こえなかったが、その人に何かを指示されたのか、菅原憂は心底嫌そうに、えーと叫んでいる。そんな反応にも相手は一方的に拝むような仕草をするだけで、すぐさま忙しそうにその場を去ってしまった。
菅原憂は頬を膨らませながら、あなたのいるところへと戻って来る。しかし、あなたを目にした途端、その表情はしゅんと萎れてしまった。おそらく何かしらの役割が与えられたので、あなたとは一緒にいられなくなったのだろう。
申し訳なさそうに縮こまっている菅原憂に向かって、あなたは苦笑いを浮かべながらこう言った。
「私はひとりでも大丈夫だから。行っておいでよ」
ごめんね、と再び謝る彼女を見送って、あなたはその場にひとり残された。
こうなってしまうと、いつまでもスタッフの控え場所に居座っているわけにもいかない。あなたはひとまず、参加者らしき人たちが集まっているところへ向かうことにしたようだ。
受付をすませて、しばらくその場で待っていると、そのうちスタッフによる説明が始まった。その後は適当なグループに振り分けられる。お年寄りか、大学生くらいの人が多いだろうか。
やがて開始の時間になると、ばらばらと人々が動き始めた。おのおのゴミ袋と挟みを持ちながら、商店街を中心にグループごとに町を回って行く。
年が近いからか、元から知り合いだったのか、他の人たちはすぐに打ち解けていったようだ。周りが和気藹々としているのに、あなたはひとり黙々と作業を続けている。
今さらになって菅原憂のありがたさに気づいたところで、突然グループ内がさわがしくなった。何だかよくわからないが、揉めているらしい。
さわぎの中心に近づいて様子をうかがっていると、だいたいの事情がつかめてくる。どうやらゴミの分別で言い争っているようだ。
初めての参加だからか、それとも年が若いせいか、ここでのあなたの存在感はないに等しい。あなたはどうすることもできず、困ったような表情を浮かべて、他の人と同じようにその争いを取り巻いている。
それならば、もういっそのこと周りのことは気にせず自分の仕事にだけ集中すればいいとも思うのだが、あなたはそれもできないらしい。こういうとき、スタッフが近くにいたならば仲裁を頼むこともできたのだろうけれども、タイミング悪く、辺りに腕章をつけた人は見当たらなかった。
あなたがそうしてまごまごしているうちに、どこからともなく女性がひとり近づいて来た。同じグループだったような気もするが、すぐにどこかへ行って姿が見えなくなった人だ。
「何か揉めてるねえ」
今になってひょっこりと現れて、どこか呑気に話しかけてくるものだから、あなたは唖然とした表情を浮かべている。
年の頃は三十代くらいだろうか。ボランティアには慣れているようだけれど、どこか飄々としているからか、あなたとは違った意味で浮いている。
それでも、この人はあなたよりは年長者だろう。ある意味では渡りに船。そう思ったかどうかは知らないが、あなたはその人にこう話し始めた。
「その……燃やすゴミと燃やさないゴミの分別らしいんですが、規則ではもっと細かく分別しなくちゃダメらしくて。それで、そんな説明は受けてないって人と、そんなの常識だって怒っている人がいて、それでさわぎが大きくなってるみたいなんです」
「そんなの適当にやっとけばいいのに」
あなたの説明は、そのひとことでばっさりと切り捨てられてしまった。
ぽかんと口を開けているあなたのことを、相手は気にする様子もない。やれやれとぼやきながら、揉めている人たちの方へと近づいて行く。かと思えば、いったい何と声をかけたのやら、あっさりとその場を収めてしまった。
集まっていた人たちも、おのおの持ち場に戻って行く。女性が戻って来たので、あなたはほっとしたように声をかけた。
「よかった。解決したんですね」
「うん。よくわかんなかったけど、適当に言っといた」
適当に言っといた?
不安になるような発言だったけれども、争いが収まったなら、それを蒸し返すわけにもいかない。そう思ったかどうかは知らないが、あなたはそれ以上追及しなかった。
そのあとは、なりゆきでその女性と一緒に作業することになる。何でもない世間話をぽつりぽつりと話したくらいだが。それからは大きなトラブルが起こることもなく、終了の時刻になるまで、そうして街中を歩き回った。
しかし、公民館に戻りゴミを回収するという段になって、再び問題が持ち上がる。
「あれ? これ、ちゃんと指示どおり分別できてないですよ?」
スタッフのひとことに、すぐに周囲がざわついた。やっぱりそうじゃないか、と鬼の首を取ったようにさわぎ出す人もいる。
そのうち、ひとりがこう訴え出した。
「でもあの人が、それで問題ないって……」
視線を集めたのは件の女性だ。スタッフは呆れたような顔で彼女へと詰め寄った。
「適当なこと言わないでくださいよ。四月から規則が変わったって、始まる前に説明したじゃないですか」
「あれ? そうだっけ。ごめんごめん」
あの人だけが責められていて、何だか貧乏くじを引いてしまったようだ。スタッフの注意を聞いていなかったのは他の人も同じなのに。かく言う私も覚えていなかったのだけれど。
「ちゃんと説明書きにも書いて……ないですね」
周囲の人たちも一緒に確認するが、配られた案内には確かにその件については書かれていなかった。おそらく改定以前の説明が流用されたまま、変わっていなかったのだろう。
「すみません。こちらにも不手際があったようなので、今回はこれで大丈夫です。ありがとうございました」
そんな感じで有耶無耶になってしまった。参加者も疲れているのか、それ以上文句を言う人もいない。
あなたは釈然としない顔だが、だからといって何ができるわけでもない。帰って行く人の波に逆らって、スタッフが集まっているところへと足を向けた。
ゴミ袋が集められた場所で、あなたは菅原憂の姿を見つける。彼女はそこで袋の中身をあらためてはゴミを分別し直しているようだ。
「ごめんね。憂ちゃん。私のいたグループが間違ってたみたいで……」
あなたがそう声をかけると、菅原憂はすぐさま顔を上げた。
「あ。理子ちゃん。こっちこそ。一緒に行こうって言ってたのに。分別のことなら、いつものことだから気にしなくていいよ。どうせ最後には確認しなくちゃならないんだし」
「そうなの?」
驚いた顔であなたがそう返すと、菅原憂は苦笑しながらこう言った。
「そうなの。みんなけっこう適当だから。真面目にやってる人でも、間違いや勘違いはあるし。ひとりひとりに注意できればいいんだろうけど、それはそれで大変でしょ。だから、気づいたときに直せれば、それでいいの」
菅原憂の言葉に、あなたは何かを考え込みながら、ぽつりとこう呟いた。
「そうなんだ。でも、気づいたときには、ちゃんと直さなきゃダメだよね……」
そのとき、ふいに誰かが近づいて来た。
「お。憂ちゃんじゃない。なあんだ。ふたりはお友だち?」
そう言って、よいしょ、と近くのゴミ袋を手に取ったのは、例のさわぎを収めた女性だった。菅原憂は彼女に向かってこう声をかける。
「あれ? アトリさん来てたんだ」
どうやらこの二人、知り合いだったらしい。
スタッフでもないだろうに、アトリと呼ばれた女性がゴミの分別を始めたので、あなたもそれを手伝うことにしたようだ。そして、彼女のことをちらりと見ると、おずおずとこう話しかける。
「その、大丈夫でしたか? あのあと、誰かに責められたりとか……」
「ん? 大丈夫、大丈夫。心配性だねえ」
彼女が明るくそう答えるので、あなたは拍子抜けしたような表情を浮かべている。責められたことなど、少しも気にしていないようだ。
そのうち他の仕事を終えたスタッフもぞくぞくと集まって来て、ゴミはみるみるうちに仕分けされていった。最後のひとつを確認し終えると、あなたはその作業からようやく解放される。
うーんと背伸びをしてから、アトリがふいにこう言った。
「しかし、ねえ……そうか。憂ちゃんのお友だちだったか。それなら、人生の先輩が若人の働きを労って上げましょうかね。ふたりとも、このあとは空いてる?」
突然の問いかけに、あなたと菅原憂はふたりそろって顔を見合わせた。




