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1-β 唄を忘れたカナリヤは(1/3)

 遠くから聞こえてくるのは重く響く太鼓の音。一定の間隔で打ち鳴らされるそれは、あたかも鼓動のように私の体を揺るがした。


 何気なく見上げた夜空には、ちらちらと小さな光が瞬いている。今の時期、この時間なら探しやすいのは、こと座のベガだろうか。わし座のアルタイルと、はくちょう座のデネブと共に、それらは空に大きな三角形を描く。黒く切り取られた山の端の近くには、さそり座の赤いアンタレスも見えた。


 この日は新月だったので、星の輝きはひときわ明るく、それをさえぎる雲の姿もない。梅雨の時期ではあるが、この町では毎年、なぜか決まってこの日だけは必ず晴れるらしい。


 それが本当かどうかはわからないけれども。少なくとも私の知るここ十年ほどの間は、この日に雨が降ったという記憶はない。


 音の出所に近づいて行くうちに、それに合わせて笛の音色が混じり始めると、周囲にはいよいよ祭りの空気が満ちていく。


 ここまで来ると行き交う人の姿も多く、すれ違う子どもたちは綿菓子やりんご飴、お祭りのときくらいしか見ないような音の出る奇妙なおもちゃを持って、楽しそうに笑っていた。そろそろ時間も遅いから、小さな子どもたちは家路につく頃なのだろう。


 周囲の熱に浮かされて、歩調は無意識のうちに早くなっていく。そのうち待ち合わせ場所に友人たちの姿を見つけると、私は小走りでかけ寄った。


 小柄な少女が私のことに気づき、となりにいる眼鏡の少女の肩を叩いている。どちらも中学校で同じクラスの友人だ。


 この日はすでに学校でも顔を合わせていたので、あらたまったやりとりはしない。ただ、お待たせ、と声をかけて彼女たちと合流すると、人の波に流されるようにして鳥居の下をくぐった。


 神社の本殿へと続く参道には、提灯やきごう(のぼり)がずらりと並んでいる。暗い中で煌々と灯る屋台の光は、それだけで何か特別なもののように思えた。


 可愛らしい浴衣を着た女の子たちが、すぐ横を通り過ぎて行く。華やかな姿を目にしてしまうと、せっかくのお祭りの日にいつもどおりでしかない自分の姿が少し惜しい気もした。とはいえ、この日の計画を思えば、浴衣を着ることはあまり現実的ではないのだが。


 祭りの光景を目の前にしたからか、友人のひとりがはしゃいだ調子でこう言った。


「何食べる? あっちでたこ焼き売ってるよ。クレープもいいなあ」


「今回の目的が何なのか、忘れてるんじゃないでしょうね」


 別の友人が、冷ややかにそう釘を刺す。彼女の視線の先にあるのは、祭りの予定が書かれた立て看板だ。


 夜の十時から拝殿の前で神事が行われる予定だった。これが変わったものらしく――といっても、他所(よそ)の神社のお祭りをよく知らないから、そもそもどう変わっているのかわからないのだが――一部では奇祭として有名らしい。


 今日の目当ては、その神事だ。ただ、それが行われるのは、私たちくらいの年だと、そろそろ帰りなさいと怒られるような時間帯で――そのため、今回はある計画を立てていた。


 とはいえ、神事が始まるまでにはまだ時間がある。私たちは屋台のグルメを楽しんでから、あざやかな原色のドリンクを手に、祭りの空気から遠ざかっていった。


 神社は小高い山の中にあって、背後には頂を背負っている。そこには注連縄(しめなわ)がかかった巨石があり、それがこの神社の御神体だった。


 普段なら近くまで行くこともできるのだが、祭りの間は立ち入りが禁止されている。しかし、その周辺に広がる道なき山中に、境内を見下ろすことができる場所があるのだという。


 そんなところに入り込んでいることが知られたら余計に怒られるのでは、と心配したのだが、この情報を提供した友人によると、通れないのは御神体から拝殿までの道だけで、その周辺に関しては侵入が禁じられているわけではないらしい。


 そもそも、そこまで行ったとしても神事を間近で見られるわけでもなく、無理して入り込む者もいないようだ。特別な事情がなければ、わざわざ訪れる人などいないだろう。


 そんなわけで、私たちは自分たちだけの特等席を目指して険しい道のりを進んでいた。遠くからの明かりだけが頼りの山中は、生い茂る木々のせいでより暗い。


「こんなとこ来るの、小学生以来だよ」


 飛び交う虫を払い除けながら、先行く友人がそう言った。


「小学生のときだろうと、私にはそんな思い出ないけどね。それにしても、これ、思ってたよりもきつくない? 子どもでも大丈夫だって話だったじゃない」


 私の後ろを行く友人は、息切れまじりの声でそうぼやいた。それとは対照的に、前方から応える声は平然としている。


「小さいときとか、男の子たち引き連れてよく秘密基地とか作ってたけど。この辺りの子どもなら、ここは定番の遊び場だって。理子(りこ)ちゃんはどうだった?」


 友人の問いかけに、私は思わず顔をしかめた。


 実のところ、この神社にはいい思い出がない。祭りや初詣は別にして、普段は近づくこともなかった。


 その理由を、友人たちにどう話したものか。考えた挙げ句に、私は――と答えかけた、ちょうどそのとき。後ろから、こんな声が上がった。


「あ。ほら、そろそろ始まるみたい」


 友人が指差す先にあったのは、松明の赤い炎。茂みの向こうにある石段を、ゆらめく光の列がゆっくりと下って行くのが見える。


 目的の地点で足を止めた私たちは、並んで神社の境内を見下ろした。拝殿の周囲には神事が目当てと思われる人たちで、すでに人だかりができている。


 祭りのお囃子は止んでいて、今は人々のさざめく声だけが聞こえていた。御神体の方から山を下りて来た神官や巫女たちは、順に拝殿の前へと並んでいく。


 その中心には、ひとりだけ奇妙な面を被っている人が立っていた。他では見かけたことがない少し変わった面で、恐ろしくもなければ、ひょうきんでもない――のっぺりとして、いかにも古そうな面だ。


 この人がテンコウさまといって、神事の中心となる寄坐(よりまし)だった。本来なら子どもの役目らしいが、さまざまな事情で今は氏子(うじこ)のうち若者の中から(くじ)で選んでいるらしい。


 太鼓の音が何度か打ち鳴らされると、境内はしんと静まり返る。ここからは、神事が終わるまで音を立てることは禁忌だ。屋台の灯も、このときばかりは消すことになっていた。


 境内には、松明の炎だけが火の粉を散らしながら赤々と燃えている。


 時間になると、寄坐を中心にして、その周囲を巫女たち舞い始めた。何となく、かごめかごめを思い起こさせる動きだが、その足並みはかなり速い。見ていると、こちらまでぼうっとしてくるくらいに。


 そんなことを思っていると、私の頭の中には、ぼんやりと見知らぬ光景が流れ込んできた。


 ごうごうと、うなるような音を立てながら、逆巻く渦の幻が見える。


 その中で、幼い少女が泣いていた。


 ひとり声を上げながら。


 この子は、どうして泣いているのだろう。


 辺りは暗く、激しい雨が降っているようだ。


 場所はおそらく、この神社。


 これは過去の記憶か。それとも――


 ひときわ澄んだ鈴の音が響いたので、私は現実へと引き戻された。


 いつの間にか、寄坐がうなだれているのが見える。さっきまで舞っていた巫女たちは寄坐を取り囲むようにしてひざまずいていた。


 そこへ歩み出た神主が、寄坐に近づいて耳を傾ける仕草をする。そうして聞いているのは未来の吉凶――ようするに予言なのだそうだ。


 とはいえ、それを語る寄坐の声は、私たちはもちろんのこと、周囲を取り巻く人々にも聞こえはしない。あとは神主が代わりにその内容を告げて、この神事は終わるのだが――


 そのときふいに、どこからか声が聞こえた。


 ――どんな未来が見えたのかな。


 どことなく、楽しげな声。私は思わず周囲を見回した。友人たちではない。しかし、空耳とも思えなかった。近くに誰かいるのだろうか。


 誰、と小さく呟くと、となりにいた友人が厳しい表情で人差し指を唇に当てた。静かに、という意味だろう。私は慌てて口を閉じる。


 そんなやりとりをしている間に、私は神主の言葉を聞き逃してしまった。


 神事が終わった途端、境内にあった張り詰めた空気は和らいでいく。人々は散り散りに去って行き、屋台の照明も徐々に点灯していった。


「もう。神事の間は声を出しちゃダメだって言ったでしょ。ここは遠いから、聞こえないだろうけど……」


 山を下りながら、友人からはそう苦言を呈される。もっともなことだったので、私は素直にこう返した。


「ごめん。でも……さっき、声が聞こえなかった? 私たちじゃない誰かの」


「何それ」


 友人たちは、そろってけげんな顔をしている。足を止めたふたりはしばし顔を見合わせたかと思うと、そのうちのひとりは呆れたような表情で肩をすくめた。


「あたしには聞こえなかったけど?」


「理子ちゃんって、たまにそういう怖いこと言うよねえ」


 友人たちは口々にそう言うと、どこかおもしろそうに笑っていた。


 とにかく、これで目的は達成したことになる。いろいろと話したいこともあったが、私たちは早々に帰ることにした。私はともかくとして、他のふたりはあまり遅くなるのもいけないだろうから。


 そうして、鳥居の下で友人たちと別れて、私はひとり家路についた。

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