3-1.知らぬは本人ばかり
辺境の島国、アヴランシュ。
この国では、王足る者の資質を試すために、ある特殊な儀式を用いることになっている。
それが、「国の始祖となった精霊が宿る」と言われる“宝杖”に選ばれること──
「──選ばれる、といったって、具体的に『何が起こる』って決められているわけじゃないらしいんだけどな」
「……そういうものなのですか?」
「ああ。父のときは、『王の庭』の草花が季節を違えて咲き狂ったらしい。祖父のときは、城の裏手で温泉が湧いたとか」
「あの脚湯の東屋、そういう由来だったのですか。半世紀ほど前に、忽然とふってわいたのだとしか、侍女には伝えられておりませんでしたが」
「『儀式』で何が起こったってのは、王族だけが口伝で聞かされることらしいからな。精霊なりの、王の誕生に対する祝福らしい」
「そのような内容を、私がお聞きしてよろしかったんでしょうか……」
「書き記すなとは言われたが、別に秘伝ってわけじゃないからな。いずれ、ウィズには話したことのある内容だし」
「ならば、よいのですが……」
並んで走る馬上から、カメリアの不安げな声が背後に飛ぶ。
俺は、ふと思い立って後方を振り返り、追っ手が居ないことを確かめて安堵した。何事も、自分の望まぬ展開になるときは、前触れも否応もないものだ──一瞬、このままウィズに会えず「奴」に捕えられたらどうしようかと、嫌な予感に身震いを覚えた。
略奪王に抱き抱えられたのが一種のトラウマになってしまったようで──しばらくは、あの碧の瞳が夢に出そうだと思った。
アーサーをぶっ飛ばしたあと、身支度もそこそこに、俺とカメリアは厩舎から早馬を連れて城を後にしていた。
向かう先である神秘の森は、干潮時に「道」と化す陸路を北東へ上り、友好国との国境沿いに位置する秘匿の地だった。もちろん、満潮時は、絶海の孤島ならぬ「孤森」と化す。
人の足ならいざ知らず、優秀な軍馬ならば半日ほどで辿り着ける場所にあるのだが、土壌なのか空気なのか、一定の植物しか根付かず、景色に代わり映えがなくてすぐ道に迷うから、子どもは絶対に深入りするなとアヴランシュの子なら誰もが口を酸っぱくして指導される場所だ。その代わり、慣れた者にとっては、逃げる先にも隠る場所にもなる隠遁にはうってつけの地で──すなわち、彼──ウィスタリアが好む、清らかなマナに満ちた森なのだった。
鬱蒼と茂る、陽の差さない暗い森を入口から眺め、俺は嘆息交じりに愚痴を呟く。
「……相変わらずの人嫌いだな……」
「ノエ様?」
「いや、……もしかしたらウィズは、敗戦を知らないままかもしれないと思ってな」
「……あり得そうです」
ここからは、馬を降りて手綱を引き、特定の樹に結ばれた魔力の痕跡を確かめながら奥地へと向かう。
跡は、付けられてから日が経って多少なり古くなっていて、「隠っている人間」が随分前から帰還していないことを示していた。
研究に没頭しがちなあの男になら、ままある話だと苦笑する。
「雨季と冬季は避けるらしいが、春先の今なら食べるにも困らないだろうしな……取り敢えず、無事に会えたら、まずは話から──」
痕跡を探すべく幹を探り、周囲への警戒を疎かにしていた矢先のことだった。
うなじにぴりっと殺気が走り、咄嗟に飛び避けて振り返る。
見れば、カメリアも手頃な枝の上へと跳躍した後で、俺はつい誰何の声を飛ばしていた。
「──害意はない!せめて、初手は穏便に始めてくれないか?」
「──……知らんわ!黙れ!!」
勇ましく応えられた声に、俺の力が些か抜ける。
いまだ姿の見えない「声の主」に思い至って、白旗のつもりで諸手を挙げた。──ビンゴだ。
「ほらよく見ろ、俺は侵入者じゃない!お前だって、知らない顔じゃないだろう──」
「アホか!!知っとる顔が知らん中身でしゃべるから、余計にめちゃめちゃ気持ち悪いんや!誰やお前!!」
降参のポーズのままちょうど半歩分を後退し、一拍遅れてさっきまで立っていた位置に矢が刺さるのを睥睨する。
正確無比な矢筋、その軌跡を呼んで当たりを付け、「彼」が居るのだろう方向へ向かって魔剣を抜いた。
──「声」が、すわ慌てる。
「ちょお待て、その剣!!お前──見た目はそれで、ええ──?!」
声が存分に混乱しているのだろうところ、余裕がなくて申し訳ないが、俺は問答無用で迎撃姿勢をとった。
刀身が稲妻を帯び、ばちりと空気が爆ぜる音がして木々が揺れる。
「マナが動いた──ってことは、正真正銘、ノエの──?」
「お生憎さま!お前に雷霆を見舞うのは久し振りだな──こんな真似はしたくなかったが、理解を得られないなら仕方ない──」
「待て待て待て、なんやねん!!ホンマにノエか──?!」
ガサガサ、連続して枝葉が揺れる音が響き、次いでどさりと不器用な着地音が鳴る。
声の主が、ようやくその姿を表した。
「──どういうこっちゃ……チャーリーちゃんの見た目で、中身がノエって──そんな、あほな」
「……どっちかっていうと、お前の専門分野だろ。検証ならあとでゆっくりさせてやるから、取り敢えず茶でも出して、話を聞いてくれ」
この国で「識者」に多い鼈甲色の瞳がまんまるく見開かれ、ぽかんと口を開けた男が俺を指差す。
鴉の濡れ羽色の癖のある長髪を、麻紐で乱雑に括った痩せぎすの長身──ウィスタリア・イージス、その人。
「……なるほど。またあの子が、なんぞ無茶したんやな」
「……どっちかっていうと、今回は俺の方が、無茶をした結果かもしれない……」
「…………は?」
隠者らしからぬ身軽な旅装のウィスタリアが、手製の弓をもったままこてんと小首を傾げ、俺を見詰めた。
安全を確信したらしいカメリアが付近に着地して、テキパキと休息地の支度を整え始める。
あたためられたティーカップを手渡されてなお、ウィスタリアの頭上にははてなマークが踊るままだった。