2-3.
アーサーが、俺とカメリアのやりとりを打ち切るように諸手を打った。
俺の注意が己に戻ったのを確認してから、にこりと他意なく笑む。
「じゃあ、会話の方向性を変えよう。──ノエ=ヴィクトル・アヴランシュの遺体を上げることが、此方の望みだ。それがなきゃ、結局のところ、禅譲は罷り通らない。こっちとしても、本物かどうかはさておき、万が一、『ノエ殿下』をお題目にしてクーデターでも起こされちゃあたまんないしな」
──そらきた、と身構える。
とどのつまり、この男の本命は「これ」なのだろう。
濃い碧の双眸が、きゅうと細められて俺を見据えた。その視線は、凍て付くほどに冷たい。
「人質としてだ、というなら納得してくれるか?俺たちは、我が軍を挙げ、王太子の遺体を上げることに総力を尽くそう。その間、王女殿下には、俺の第一妃として、大人しく玉座を温めていていただきたい」
「抑止と、支配と、見せしめのために?随分と軽いクイーン・クラウンだこと」
「気に入らないのはお互い様だ。俺は、本当なら、お前には自ら望んで俺の妻になってほしかったんだぜ?」
「冗談なら、もっと楽しそうに言うんだな。──要は、アヴランシュに、未来永劫に渡り王太子を諦める代わりに、形ばかりの第一妃のポジションで甘んじろ、ということだろう」
アーサーの言いたかったのだろう台詞を包み隠さず代弁してやれば、それが面白くなかったのか、もしくはかえって愉快が過ぎたのか、彼のリアクションは肩を竦めて微笑するにとどめられた。
こちらとしても、過度の茶番に付き合う義理はないので、とっとと結論を急がせてもらう。
「交渉だと言ったな?ならば、こちらが貴国に望むのはただ一点だ」
「聴こう」
「──ロウチェスタなんて蛮族の、第一妃の椅子は要らない。代わりに、近衛兵の指揮権を『シャルロット』に戻してくれ」
「……ほう?交渉は決裂だと?」
「ちがう。『望む』と言っただろう──だからこれは、あくまで交渉なんだ。椅子は要らないから、我々にも王太子の身柄を探す権利を与えてほしい。残った人員だけでいい、武装権までくれなくていい。人探しに近衛兵を動かしたい」
「なるほど?王太子が生きている可能性を、未然に潰したくないってことか」
「そうだ。そして、彼が生きている限りは、アヴランシュの存続を諦めたくない」
「お前が俺の第一妃になれば、今すぐには諦めなくていいと思うんだが」
「この代限り、しかも半分しかない統治権に興味はないさ──私たちの愛する国は、このアヴランシュだ。ロウチェスタの傀儡になってしまった亡国じゃない。第一妃のポジションは、どうぞ他所のご令嬢に差し上げてください」
見様見真似でスカートの裾を持ち上げ、未婚令嬢による最上級の礼をとる。立ち居は崩さぬまま、肩を竦めてアーサーを見上げた。
視界に納めた略奪王の貌は、俺の予想に反し、至って真顔に近いフラットなものだった。
俺は、些かそのことを意外に感じながら言葉を継ぐ。
「どこかの物語にもあるだろう?国が滅んだのに、王族だけが生き残っているなんて滑稽だ。だけど、裏を返せば、王族が生き残っている限りは復興の芽は潰えちゃいない──」
「俺たちが先に『遺体』を見つけたら、半分は手にできたかもしれない種をもみすみす潰すことになるかもしれないが?」
「仮にそうだとして、我が祖国が蹂躙される様を、お飾りの城から見たくはないさ──その気持ちがわからない貴殿じゃないだろう」
アーサーの碧の目が、真っ直ぐに俺を見る。俺は、正面からその視線を射返した。
その眼に、必要外の温度は見出せなくて、──だからこそ、続く奴の反応が、俺にとっては想定外だった。
アーサーが、ぱっと破顔して、俺の身を諸手で抱き上げる。
「──っうわ、あ?!」
「──やった!やったぞ!やっと理想を見付けた!!」
太腿付近を両腕で掬い、まるでその手に座らせるように俺を抱えると、奴はくるくるとその場を回り出した。ぐらりと傾いで咄嗟にアーサーの肩を掴み、頭部に抱き付くように縮まれば、そのままぎゅうと抱きすくめられた。
背筋をぞわっと悪寒が走り、声なき悲鳴が口から零れる。
カメリアが、背後で狼狽している様子が窺えた。
「花嫁のヴェールより、騎士の剣を望むか──なんて女だ!」
「ちょっ、と……なにを──!」
「ずっと探していたんだ──俺の言いなりにならず、感情論でものを言わず、俺と同じ為政者の目線で国を愛してくれる女性を」
俺の身体、腹部に顔を押し付けて、アーサーが感極まった声でそう告げる。俺は、もうどうしたらいいか分からなくなって、なんとか身を捻って彼の腕から抜け出そうともがいた。
アーサーの腕力が、それを許さない。
「誰だって、我が身が可愛い。特に見てくれの良いご令嬢なら尚更だ──どうあっても生き残れ、君主に歯向かうな、耐えて未来に目を托せ──それが高貴な女性のセオリーのはずなのに、お前が俺に切るのは、意に沿わぬなら国と殉じたいってカードなんだな」
茫洋と呟くアーサーの台詞に、彼の腕の中でハッと気が付く。
確かに、先程自分が彼に請うたのは、とてもだが王妃教育では示されない考え方だろう──だが、真に、俺の妹は、最愛のシャルロット王女は、彼女の生死を賭けても、俺に出目を托してくれたのだ。
応えなきゃ、たとえ「魔王」であっても「王」の名が廃る。
(いずれ、王位を継ぐのは自分じゃないと思っているからかな──中継ぎの自覚があるから、なるべく、自分の好きな形のままのこの国を未来に継ぎたいんだ)
アーサーの手は弛まない。
もがき続けてようやく身を捻り、俺は、カメリアを振り返った。手を伸ばせば、ギリギリ、彼女が差し出した「獲物」に手が届く。
かつて、「魔王」の身で奮った愛用の魔剣だ。──できる妹は、戦場からきちんと回収してくれていたらしい。その刀身には刃零れひとつない。「この身体」で使えるかどうかは賭けだったが、握った瞬間、精霊の言祝ぎが聴こえたから大丈夫だと思った。
謡うような風が「妹」の身に寄り添って、ミルクティー色の御髪が逆巻く。
「いい加減、輿入れ前の女性の身体から手を離せ──ッこの、略奪王──!!」
ぱち、と音を立てて火花が爆ぜ、刀身に沿って稲妻が奔る。雷鳴を呼んで黒雲を巻き、刃の峰で渾身の打撃を叩き込んだ。思わぬところから魔撃を受けたアーサーが、悲鳴を上げる間もなく吹っ飛ぶ。
投げ出された俺も咄嗟に受け身を取るが、なぜか足が震えて立ち上がれなかった。
駆け寄るカメリアに、息せき切って急を告げる。
「奴が気絶しているうちに城を出るぞ!」
「ですが、どこに──?!」
「ウィズだ!今の時期ならきっと神秘の森に居る──予定より早いが、奴に宝杖を握らせてみよう」
告げた名に、カメリアが目に見えてうろたえた。説明の寸暇も惜しんで、剣を杖にして立ち上がる。
ふらつく身体は、アーサーが抱えてくるくる回転したせいだと決め付けて──俺は脳裏に、放浪癖のある乳兄弟の顔を思い浮かべていた。
ウィズこと、ウィスタリア・イージス──彼こそが、俺が思う「次の王」で、すなわちは、最愛の妹、シャルロットが婿に迎えるべき男だった。
事態を打開して、一発逆転の目を出すなら彼しかいない、とこのときの俺は思っていた。軽薄で魔術馬鹿で、世俗のことにはとことん疎いけど、そんな短所を補うべく妹と寄り添って立ってくれるなら、こんなに信頼のおける男もほかに居ない──
アーサーが、壁際で引っ繰り返ったまま、令嬢らしからぬ全力疾走が去る音を聴いて、静かに瞬いていた。
背後を省みず、早々に部屋から走り出た俺は、ついぞ、そのことに気が付かないままでいた。