1-3.
侍女長カメリアの言葉に、俺は再度驚愕する。
そして、これが、自分の目に映っている世界が、まごう事なき真実なのだと突き付けられて声を失った。
俺は、妹に成っていた。
「時間がありません。端的に、恐らく必要となさるであろう情報だけを申し上げます」
カメリアの声は至って冷静だ。冷淡だとすらいっていい。
俺が混乱したまま鏡を見詰めることしかできないでいるうちに、彼女は、あれよあれよと少女の身柄を抱き起し、素足に靴を履かせ、夜着から身軽な室内着へと着替えさせていた。
その敏腕スキルに舌を巻く暇もなく、俺は、整えられていくミルクティー色の妹の髪を、さも自分のものとして眺めている。
カメリアが、繊細な編み込みを形作りながら、淡々と事実だけを並べた。
「私共の祖国アヴランシュが、隣国ロウチェスタに敗れたのち、既に五日が経過しております。城は占領され、領土──と申し上げても、島ひとつ分のみですが──は、すべて征服され、いまは臨時即席のロウチェスタ政府を敷かれんと人事を整えられているところです」
少し、俺の脳内が平静さを取り戻した。──それはきっと、「自分が敗けた」後に母国が受けるだろう屈辱を、もっと酷いものになるだろうと事前に想像していたからだ。
やはり、かの略奪王は、さほどに悪逆な男ではないのかもしれない。きちんと政府を置いて、「治めよう」としているのなら、きっとまだマシな方の征服者だ。
「なお、あなた様にとってのご両親──両陛下は、ご無事です。部屋に軟禁されておいでですが、手荒なことはなく、寝食は確保され、御身も健康に保たれています」
父・フランシス国王、そして母・ジャンヌ女王──その身の安全を知って、つい肩の力が抜けた。それこそ自分が、命を賭して戦場に立った甲斐があったというものだ。
仮に略奪王が「まともな治世者」だとて、前統治者がいる状態では、さすがに国を動かせないだろう。老いたトップならば引退させれば良いが、後継ぎである俺が居る状態では、スムーズな禅譲は難しい。
俺がいなくなったからこそ、父母は無事だったのだ。それだけが、自分の得た戦果なのかもしれなかった。
「ノエ様は、敗戦時のどさくさで身柄が行方不明になっておりまして、確たる生死は確認されていません──と、いうことになっております。実際は、王家とそれに連なる叙勲を受けた一部の家令のみが知る二十三番目の地下道を抜け、西の尖塔の屋根裏で回復をお待ちしているところです。侍女の中では、私と残る二名、限られた者のみにこの事実が口頭で伝えられ、内密にお世話差し上げております」
だからこそ、カメリアの言葉に戦慄する。
──あれは、妹の見せた夢のようなひとときは、まぼろしではなかったのだ。彼女は、本気で、本当に、兄を蘇らせるつもりでいるらしい。
「──ノエ様」
不安が、俺の瞳に映ったのだろうか。鏡越しのカメリアが、初めてうっすらと微笑む。
まるで俺を安堵させようとのそれに、背後を振り返ろうとして、手の動きに制された。
カメリアは、「王女」の身なりを整える工程に仕上げを施す。
「なお、ジャンヌ様も、ノエ様の生存はご存知ですが──フランシス様には、お知らせしておりません。あの方は、動揺が瞳に映る方ですから」
──まるでそっくり、とも言わんばかりの言葉に、つい俺は苦笑した。
血は争えない。逆に、うちの家系は女性陣が逞し過ぎるのだ。
妹は、シャルロットは、きっと、真剣に「施術」を行っているのだろう。
ほぼ死んだも同然だった兄の身を、十月十日で復活させる魔術を行っているのだから──その全容は、哀しいかなそちら方面にはまるきり適性のなかった、武力一辺倒の自分には微塵も分からないが──きっと、凄まじく体力気力魔力を要するものに違いない。
不意に、俺は、妹の笑顔に会いたくなった。
「待つしか、ないんだな」
「……そうですね。いまは、国にとっても雌伏の時です」
「不甲斐ない」
「とんでもないことです」
──シャルロット。
嗚呼、俺の最愛の妹よ。
些か痩せたように見える、鏡の中の少女に向かって、俺は呟く。
──俺は、世間には魔王だなんだと好き勝手に呼ばれて畏れられていたけれど──真実、この国の王位を継ぐつもりなんて、これっぽっちもなかったんだけどな。
「──さあ、さしあたっては、シャルロットお嬢様ですが──現在、ロウチェスタの王、レッドグレイヴ殿下から逃げておいでです」
「──……は?」
「ですから、お嬢様は、隣国の略奪王に追い掛けられておいでです」
「……はあ?!」
すっかり身支度の整った状態の「王女」が、あまりに素っ頓狂な悲鳴を上げる。──ああ、違う俺だった。なんてややこしい!
カメリアが、俺の高い声を聴いて、ハッと表情を改める。
即座に左右を見回して、──そういえば、ここはシャルロットの居室ではない──なぜ彼女が、本来の居室と異なる部屋で就寝していたのか、そして、カメリアが、なぜこうも洗練された猛スピードで、慌ただしくシャルロットの身を整えたのか──俺は、瞬く内に嫌が応にも理解することになった。
猛々しい足音が近づく。
「お嬢様、左様に大きな声をお出しになると──」
「──まったく、深層の令嬢を自称するわりに手癖の悪い──見付けたぞ、シャルロット嬢!」
派手な開閉音を響かせて、部屋の扉が押し開かれる。
叫ぶような文句とともに現れたのは、戦場で聞き覚えのある声と、見たこともない絶世の美青年──
「──……れ、レッドグレイヴ、殿下……?!」
「……なんだ、今更。アーサーと呼べと、そう何度も言ってるだろう。遠慮はいらないぞ!お前は、未来の俺の妃だからな」
「俺」が、初めてその尊顔を拝んだ、略奪王ことアーサー=ダヴェナント・レッドグレイヴその人。
シャルロット=ミシェル・アヴランシュは──もとい、その「中」に問答無用で突っ込まれたノエ=ヴィクトル・アヴランシュは、斜向かいに対峙した男を動揺の瞳で見上げ、寸時、言葉をなくした。
波乱の日々が、幕を開ける。