1-1.終わりと始まり
最期の絶唱が、灰色にけぶった空に吸い込まれていく。
俺が文字通り血の滲む声で叫んだのは、大切な父母の名か、最愛の妹の名か──あるいは、眼前の憎き男への怨嗟だったかもしれない。
血だまりに崩れ落ちる自分──そして、そんな自分を馬上から見下ろす銀甲冑の男。
太陽を背負って立たれ、残念ながら逆光で容貌は知れないが──きっと、その顔面は、おぞましいほどに憎たらしい笑みに彩られていることだろう。
いっそ、死に行く自分は知らずに済んでよかったのかもしれない。知ってしまったらきっと、悔しくて悔しくて、死んでも死にきれないだろうから。
「──……っ、」
ごぼ、と咳らしい息が吐かれるのと同時に、赤黒い血液が口端から零れる。
言葉は、もう形を成さなくなっていた。眼前の男が馬上から降りる。自分は仰臥したまま、悠々と歩き寄る姿をぼんやりと見上げていた。
焦点の合わぬ視界に映る男は、依然として得体が知れないままだ。静かに自分の傍らに立たれて、白旗を降る代わりに片手を掲げる。
「──ノエ=ヴィクトル・アヴランシュ王太子、で間違いないか」
まるで芝居がかった口調の誰何に、首肯の代わりと目を閉じた。尽き行く命には、最早命乞いをする力もない。
己が背後に守って戦い抜いたのは、堅牢を誇る鉄壁の城砦だった。──だった、というのは、いまやその全てが、海を隔てた隣国の手に落ちてしまったからだ。
足場の悪い断崖の上に、石工たちが命を賭して積み上げた外壁は崩れ去り、見る影もない。
当初は然程の脅威にも感じていなかったかの国の、新たな王が開発したという新兵器──火薬なるものの爆発で、前庭に面する側壁が跡形もなく吹き飛ばされてしまったのだ。
新兵器の威力は凄まじいものだった。王自らが率いる一群が国境を越えたとの報ののち、彼らはまたたくうちにその道程を踏破してきた。余程の向こう見ずか、傑物か、見極めるまでもなく敗戦を強いられた──そう、目の前のこの男にだ。
銀甲冑を纏う緑眼が、ゆっくりと細められて自分を見下ろす。その名を、確か──
「アーサー=ダヴェナント・レッドグレイヴの名において、この地の掌握をここに宣言する。我々の勝ちだ。代わりに治めるからには、以降の繁栄を貴殿に誓おう」
「……」
ざく、と音を立て、仰向けの耳横に彼の刃が突き立てられる。墓標のつもりか、手向けのつもりかは分からないが、彼なりの誠意でもって我が大敗を弔ってくれるつもりはあるらしい。
少し安堵した。
この手合いなら、きっと、父母も妹も、せめて人道的に取り合ってくれることだろう。
民が必要以上に苦しまぬのならばもっといい。気候厳しく人口も少なく、満潮時には「陸路」を絶たれて孤島と化す砂地の小国──どうしたって、容易には豊かになりきれぬこの地は、治めるのには大いに苦労する土地だろうから。
「静かに眠れ、友よ」
──とはいえ、お前に友と呼ばれる筋合いなどないんだがな!
起き上がって吼えることさえ叶えば、きっと渾身で叫んだのであろう反論は、いまや告げることも叶わない。ただ静かに眼を閉じて、彼の兵が城の内側へ駆けて行く音を聴いていた。
聴いたことのない音で、勝鬨があがる。
我が祖国、アヴランシュは敗けた。
『──……、』
意識がすうっと遠退いていく。
自分もこれで終わりか。存外、呆気ないものだ。
『──ま、──……』
ふわり、身体が宙に浮いた心地がして、途端に全身があたたかくなる。冷えた土の感触も、煤けた空気のにおいも、急激にわからなくなってゆく。
まさか天の国へゆけるとは思っていなかったが、地獄とは、これほどに居心地のよい場所なのだろうか──
『──さま、……いさまっ』
ああ、愛する妹の声が聴こえた気がした。これで、いよいよ年貢の納め時だ。
『──にいさま、ノエお兄様!勝手に終わりのつもりになられていては、困りましてよ!!』
『────は?』
妹に──この俺が見間違える筈がない、我が最愛の妹、シャルロット=ミシェル・アヴランシュに──頬を、叩かれた。
気がした、ではない。間違いなく叩かれた。
それも盛大に、容赦なく、彼女にとってはきっと渾身だろう精一杯の力でもって。
じんわりと、叩かれた左頬が熱い。
『勝手に討ち死にしたつもりになって、全て獲られたつもりになって、打てる対策はまったくないと自己完結なさらないでくださいませ。なにもかも、まだ終わってはおりませんことよ!』