五、 力試し
とっても広い訓練場の一部、とは言ってもそれでも広い敷地を借りて、夜鈴は木刀を構えて柊と向かい合っていた。
急ではあるが、頭首の息子、風巳の命令とあって、すぐに貸してくれた。
離れたところから、蹄は不満げに、風巳は心配そうに見守っている。
「ルールは特にない。そもそも勝ち負けは関係ないからな。俺が終わりと言ったら終わりだ。お前の強さによっては手加減するから、本気でかかってこい」
必要事項だけを述べる柊に、夜鈴はしっかり頷く。
片手で、隠しに入れている鈴を小さく鳴らした。
チリン……。
その音には気づかず、すべてを言い終えた柊は風巳を見た。
「……始め!」
風巳の声を合図に、夜鈴は駆け出す。
大丈夫、いつも通りだ。
勢いそのままに、柊に向かって木刀を振り下ろす。しかし当然のように止められた。それでも止まることなく、木刀を振り続ける。
雑に振ってはいけない。
最小限の動きで、最大限の威力を。
教わってきたことを心の中で繰り返しながら、攻撃を続ける。当てられそうになったら、素早くかわす。
それでも柊はほとんど動くことなく、片手だけで対応してくる。完全に手を抜かれている。舐められている。
そう実感し、だんだん焦ってきた。
集中、集中、集中。大丈夫、いつも通り。
しかし時折頭の中に盛雲の姿が浮かび、集中が途切れる。今は戦うことだけに集中しなければいけないのに、気にしてしまう。
駄目だ、考えたら。
戦う時はいつも、何も考えない。
勝つか負けるかも、人を刺す感触も、相手が死んだらどうなるかも、何も。
考えたら、力を発揮できないから。
(これじゃ、認められない。百目鬼家にも、盛雲さまにもっ!)
どう頑張ってもその思いが頭から離れなくて、どんどん動きが雑になる。力任せになる。考えないようにしようとしたら、もっと考えてしまう。
「おい」
柊の冷徹な声に、ハッと我に返った。考えてしまうどころか、周りも見えなくなっていた。
「お前、本気じゃないだろ」
次の瞬間、横腹に衝撃が走った。気を抜いた隙に、柊にやられていた。
「もう止めるのか?」
横腹に手を当ててうずくまる夜鈴に、柊が挑発的に声をかけた。
少し腹が立ったが、思わず笑みが漏れる。
やっと目が覚めた。
「止めない!」
立ち上がりながら、叫んだ。
そのまま駆け出す。流れるように、必死だった瞳から感情が抜け落ちていく。柊の前に辿り着くころには、背筋が凍るような冷酷な目が、そこにはあった。
「っ!」
柊は思わず息を呑んだ。
先程までと全く動きが違う。一切無駄がない。そして、目で追うのがやっとの速さ。
何度か攻撃をかわしたものの、あっという間に追い込まれて、夜鈴の攻撃が決まった。
柊はそのままよろめく。
「まさかな……」と呟く彼は、笑っていた。もう、笑うしかなかった。
再び鈴を鳴らして息を整えた夜鈴が駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫だった? ちょっと力入れすぎちゃって。痛かったよね」
ついさっき見た姿が嘘のように、そこには年相応の少女しかいなかった。それが柊にとっては少し、気味が悪かった。
「大丈夫に決まっているだろう。ただの木だぞ」
動揺を悟られないように、冷たく突き放す。それでも夜鈴は心配していた。
「大丈夫だ。それよりもお前、何なんだ、さっきのは」
一瞬で、人が変わっていた。
確かに殺しをする時、誰でも多少は人格が変わる。それでもあれは変わりすぎだ。
「? さっきって?」
夜鈴は惚けているわけではなく、本気で何のことかわからないようだった。
「いや、何でもない」
本人が気づいていないことをわざわざ訊くつもりはない。訊いたところで、時間の無駄だからだ。
だがあれは気になるところだ。強すぎる。何が彼女をあそこまで強くさせたのか。
そしてその強さを本人は理解していない。恐ろしいものだ。もしも彼女が百目鬼家に敵対心を持つようなことがあれば、恐るべき脅威となるだろう。そうなる前に手を打っておかなければ……。
「おーい、夜鈴!」
遠くで見ていた風巳が、大きく手を振りながら駆け寄ってくる。後ろからついて来ている蹄は、気まずそうで、でも何だか少し嬉しそうだった。
「おい、まだ終わりとは言ってないぞ」
「えー、だって柊、もう終わったーみたいな感じだったじゃん。どうせ終わるんでしょ? ってそれより夜鈴、凄いね! めっちゃ強いじゃん。想像以上だった! 僕も蹄も、柊に攻撃当てれたこと一回もないんだよ? あー、気持ち良かった」
風巳は物凄く興奮していた。柊のことすら流している。
「あ、ありがとう」
興奮しすぎた風巳に、夜鈴は圧倒されていた。
「ね、柊、夜鈴強かった? 強かったんでしょ?」
「一発決まったからと調子に乗るな。対戦は終わりだ、俺はもう帰る」
柊はきっぱり切り捨てると、出口に向かって歩き始める。
「あっ、あの、結果は……」
夜鈴が思い出したかのように問いかけた。
「父上と相談してからだ。直にわかる」
柊は軽く振り返ってそう言った。
そのまますぐに歩き出す。
認められただろうか。わからない。
だが最初、自分の感情に振り回されたことが、悔しくて、胸を締め付けた。最後は一発決まったが、どうだろう。一応、期待はしておきたいが、不安だ。
その後、交流会は興奮しきった風巳から逃げるように、お開きになった。
* * *
約一週間後。
夜鈴は盛雲に呼び出されていた。
「あの、用件は……?」
やけにご機嫌の盛雲を前に、夜鈴は戸惑い気味に尋ねた。答えるように笑顔を返してくる。
「先日、交流会で柊と戦っただろう?」
「はい」
どうやら結果が届いたようだ。
まあ、聞かなくても盛雲の様子を見ればわかるが。
思わず口元が緩む。
「それで、なんと! 百目鬼家が、あの百目鬼家が! 夜鈴を龍神家の跡取りとして認める、との報告がありました!」
重大発表のように言ってくるが、態度がわかりやすすぎて反応に困る。とても嬉しいが、盛大には喜べない。だがここは、喜ぶべきところなのだろうとへたくそな演技で喜んだ。それで十分満足したようだ。
「それでだな」
一瞬で落ち着きを取り戻した盛雲が、真面目な顔になって話を続ける。何かあるのかと、夜鈴も真剣な顔になる。
「剛将が夜鈴に会ってみたいと言ってきているんだ。急だが明日、百目鬼家に行けるか?」
頭首の申し出に、はい以外の返事は許されない。
「わかりました」
百目鬼家。柊のいる、百目鬼家。
何事もなければいいが……。
夜鈴の心に、不安の色が滲み出ていた。