四、 交流会(2)
「……何が順調だよ」
海琉馬が完全にいなくなったのを確認してから、蹄はまた態度を変えた。
「順調じゃないの?」
風巳が心配そうに尋ねる。それに蹄がすかさず答えた。
「当たり前だろ。こいつだぞ。順調なわけあるか」
「そうなの? 夜鈴」
「え? い、いや、どうなのかな。大した成果は挙げてないけど、別に問題を起こしてるわけでもないと思うよ……」
他の人の仕事を見ることがないから、どのくらいが良くてどうなったら良くないのか、よくわからない。
「まだまだだ」
きっぱりと切り捨てられた。気にしないようにしていても、流石に少し傷つく。そんな夜鈴に、蹄はさらにとどめを刺すようなことを言った。
「まあ、お前がこれ以上強くなるのは、無理な話だろうけどな」
「ちょっとー、蹄。いくら追い抜かれるのが怖いからって、それは言いすぎだよー?」
「うるっせぇ。怖くねぇし。そもそも抜かれねぇし」
「もう、そこまで。……ほら、夜鈴が落ち込んでるじゃん。気にしなくていいからね、夜鈴」
風巳の指摘で、夜鈴は感情が顔に出てしまっていたことに気付いた。
「あっ、いや、落ち込んでなんか……。でも、言われるのは当然だと思うよ。そもそも私はよそ者だし、蹄のほうが強いのも事実だし。妹として認めてもらおうなんてそんなおこがましいこと、思ってないから」
本音だった。確かに蹄に何か言われると夜鈴は多少なりとも落ち込むし、傷つく。でも、言われるのは当然のことだと割り切っていた。まさか顔に出るとは、気が抜けていたな、と思う。
夜鈴の発言に、風巳はどうすればいいか困ったように、夜鈴と蹄を見比べた。
「あー、えーっと……、なんかごめんね、嫌な感じにさせちゃって……」
少しの間、重い沈黙が続く。それを破ったのは夜鈴だった。
「私こそごめんね、暗いこと言っちゃって。せっかく集まったんだから、楽しい話、しようよ」
「あぁ、うん、そうだね! ねぇ、そういえば夜鈴の名前の由来って何?」
夜鈴の提案に乗って、風巳は場を明るくしようと精一杯元気な声で質問した。
「名前の由来?」
「そうそう。殺し屋って、その家の頭首が、こうなってほしい、とか何かしらの思いを基に付けるの。例えば僕は、風のように速く、ヘビの毒のように敵の抵抗力を失わせられるように、っていうことで『風巳』なんだ。蹄は、えーっと……」
「馬の第二の心臓と言われる蹄のように、龍神家にとってなくてはならない存在になるように、だ」
蹄は不機嫌そうにそっぽを向きながらそう言った。
「それだ、蹄の由来、結構かっこいいよね。で、こんな感じで付けるんだけど、夜鈴って何なのかなーって思って」
「訊いたことないな。何だろう……」
森で盛雲に名付けられた時のことを思い出す。確かに何かぼそぼそ言いながら考え込んでいた気がするが……。
「特に意味なんかないんじゃないか」
「おい、蹄」
「いやだって、名付けた時は引き取り手がいないからとりあえず預かろうってことで、殺し屋になるなんて決まっていなかったじゃないか。結局、行く場所もないし、強くなりたいとか何とかって言うから簡易的に付けた名前がそのまま残っただけで」
蹄はあくまでも淡々と、興味なさげに語った。それは本当に、事実だけだった。だから夜鈴は傷つきもしないし、特に何の反応も示さなかった。
「確かに、そうかもね。でも、ちょっとくらい何かあるんじゃないかな。夜に、鈴。うーん……、何か綺麗じゃない?」
「そうか?」
そう言いながらも、蹄は先程までよりかは否定的ではなかった。夜鈴の言葉が少し堪えたのかもしれない。必死に考える風巳とちょっぴり気まずそうな蹄を見て、夜鈴はいつの間にか笑顔になっていた。
その時――。
「何をそんなに楽しそうにしている」
やっと場が和んできていたところに、夜鈴の知らない声が響いた。
「柊、来たんだね」
「遅いぞ」
風巳はできるだけやんわりとした口調を保って、蹄は最大限嫌そうな感情を露わにして、遅れて来た青年に向かって言った。
「遅い? 年長者の俺が最後に来るのは当然だろう。いつもは待ってやっているんだ、感謝しろ。それよりも風巳、ここは大蜘蛛家だよな? なぜ出迎えない」
来て早々、文句ばかりの男だった。四人の中で最も背が高く、馬鹿にするように見下ろしてくる。夜鈴は蹄と風巳が言っていたことをすぐに理解した。これは、蹄よりもよっぽど質が悪そうだ。
「あ、ごめん。ちょっと話に夢中になってて……」
今度ばかりは風巳も素直に謝る。この男の前で呑気でいられる人などいないだろう。
「話? あぁ、あの意味のなさそうな無駄話か。いつも言っているだろう。交流会は仲良しごっこをするためにあるんじゃない。互いの情報を共有するという立派な仕事の一つだ。わかったらさっさと始めるぞ」
冷たく放たれる言葉の一つ一つに、場の空気が凍り付いた。一瞬にして、柊が話の主導権を握った。
「では、各家の近況報告だ。百目鬼家は特に変わりない。依頼されたことは何でも受けて遂行する。前回の交流会からは死者、負傷者ともに一人も出ていない」
死者はともかく、一年近く負傷者なしとは驚いた。いくら強くてもかすり傷くらいはできる。その上、百目鬼家はどんな危険な依頼でも絶対に断らない主義だから、どれだけ強いのだろうと夜鈴は感心した。
「大蜘蛛家は、死者はないけど負傷者は多数。でも全員、大した怪我じゃないから問題なしだよ」
風巳も無駄なことは言わず、簡潔に報告した。
「次、龍神家だ。何もないことはないようだな?」
そう軽蔑する目で見られて、気まずそうに夜鈴は目を逸らす。
「確かに、それは柊の言う通りだ。死者、負傷者は問題なしだが邪魔者が一人増えた。来たのは六年ほど前だが、交流会に参加するのは初めてだったよな」
柊に便乗して、蹄も蔑むように横目で夜鈴を見た。
「ほぅ、それは、蹄は認めていないということか?」
試すような口調で柊が問う。
「あぁ、そうだよ。俺は認めてねぇし、これからも認めるつもりはない。だが父上の決めたことだから、追い出したりはしないけどな」
蹄ははっきりとそう言った。それを見て、柊は哀れなものを見るように嗤う。
「これはこれは、仲間割れか。いよいよ御三家の時代も終わりだな。さて、最後に残るのはどこの家やら」
「おいっ、何言ってんだよ。じゃあ、柊なら認められるってのか? いきなり妹ができてっ」
「さあな。そのときにならないとわからない。それに、そのようなことを父上がするとは思えないな」
柊は突き放すように言った。
「俺が言いたいのはそういうことではない。仲良くしろなどと馬鹿げたことは言うつもりもない。殺し屋に馴れ合いなど必要ないからな。だが、己の頭首の言ったことは絶対だ。盛雲さまがそいつを娘にすると決めたのだろう? なら、蹄が認めるも認めないもない。お前はただ、仲間の一人として接する必要がある。それだけだ」
柊の淡々とした話に、蹄はふざけるなとでも言いたそうな顔で睨んだが、何も言い返しはしなかった。
そんなことには目もくれず、柊は夜鈴に向き直る。
「新入り、名前は」
「よっ、夜鈴……」
「夜鈴、お前はどうなんだ。殺し屋として、数年後には跡を継ぐかもしれない立場として、生きていく覚悟はあるのか。まさか、中途半端な気持ちで殺し屋になったわけではないよな?」
まるで顔に刀でも突きつけるような勢いで、迫力で、訊いてくる。夜鈴は一歩後ろに下がりたい衝動を抑えて、ゆっくり口を開いた。
「覚悟なら、あるよ。龍神家に来た時から、ずっと、一度だって迷ったことはない」
深く考えたことはないが、ずっと心に留めてきたことだ。言葉に詰まることはない。
常に死と隣り合わせで、たくさんの人を殺す。
そんなこと、普通はできない。だから、普通じゃなくならないといけない。
ずっと、ずっと、そう覚悟して生きてきた。
「そうか。なら、その覚悟を見せてもらおうか。俺はそのためにわざわざ来たんだ」
「……どういうこと?」
「六年間でどれだけの力を得たか、確かめる。父上、剛将さまのご命令だ。力次第では、百目鬼家は龍神家の掟破りを許す。つまり夜鈴を龍神家の跡取り候補として認めるということだ」
その話に、夜鈴はパーっと笑顔になり、蹄は「ふざけるなっ」と怒鳴った。
「まだわからないのか? 俺たちは頭首同士の決め事に口をはさむ資格はないんだ」
「同士って……まさか、父上も了承してるのか……?」
「そうだ。これは剛将さまと盛雲さまが決められたことだ」
盛雲の名に、夜鈴の気持ちも引き締まる。
龍神家のためにも、きちんと強さを見せつけなければいけない。
それに……。
――百目鬼家に認められれば、盛雲さまにも認めてもらえる。
そう、思った。
決して認められていないわけではない。だが夜鈴は、蹄が跡を継ぐことになれば、もう龍神家にはいられなくなるような気がして、怖かった。少なくとも夜鈴よりも蹄のほうが殺し屋として認められている気がして、わがままにも悔しかった。
「何か喜んでいるようだが、力次第では、認めるということだ。力次第では、百目鬼家は今後一切夜鈴を頭首の娘として扱わないこともあり得る。跡も継がせない。酷ければ、殺し屋としても認めない。わかっているな?」
柊の血も涙もない言葉に、夜鈴は一瞬怯む。が、真剣な顔で頷いた。
「力試しは俺との対戦で行う。風巳、訓練場と木刀を二本貸してくれ」
ずっと居心地悪そうに黙っていた風巳が、慌てたように頷いて走っていった。柊が歩いてついて行くのを見て、夜鈴も歩き出す。少し後ろを、不貞腐れたままの蹄がゆっくり歩いていた。