二、 殺し屋御三家
木造の立派な建物の廊下を、すたすたと歩く。いくら慣れているとはいえ、血まみれなのは気分が悪い。早く顔を洗って着替えたい。
付き添いの二人とは門をくぐった所で別れた。同じ殺し屋でも住居地は異なる。彼らは基本、この屋敷には入れないのだ。
一つの戸の前で立ち止まり、軽くノックする。
「どうぞ」
低くも優しい声がした。ゆっくりと戸を開け、一礼して中に入る。
「只今帰りました。負傷者なし、無事任務完了です」
「やはり、楽勝だったか?」
「はい。数は多いですが、それだけです。一人一人は大した力を持っていない。隙さえ突かれなければ問題なかったかと」
「そうか」
男はそう言ってふぅと息を吐くと、少女に軽く微笑んだ。
「毎度のことだが、そんなに堅くなくていいんだよ、夜鈴」
「いえ、正すところはきちんと正さないと、盛雲さまの威厳が保たれませんから」
「はっはっは、父と娘の仲じゃないか」
そう言いながら、優しく笑っている。
だが父と娘といえども、血の繋がりはないし、立場は全く違う。父親は頭首、子は跡取りだ。それに夜鈴は跡取りですらない。それを親子だからと敬意を払わないのは、この組織で生きていくのに相応しくない行為だ。
ひとしきり笑ったところで、盛雲は再び口を開いた。
「ところで、三日後に御三家の跡取りが集う交流会があるんだが、行ってみないか」
御三家、という言葉に思わず反応する。殺し屋を生業にしているのは、もちろん夜鈴たち龍神家だけではない。殺し屋御三家と呼ばれる、三つの宗派のようなものに分かれている。それぞれが異なる信念と強さを持ち、それをもとに任務を遂行する。交流会は時々行われている一大行事だ。夜鈴は一度も呼ばれたことがないため、声をかけられたことが嬉しかった。
「……しかし、私は跡取りではありません」
興味はあるものの、夜鈴は対象外だった。兄の蹄がいるのだ。参加することはできない。
「それはわからないぞ? 確かにお前は九歳で娘になったが、もう既に、一歳の頃からいる蹄と変わらないくらいの力を持っている。年は一つしか変わらないし、男も女も関係ないだろう。蹄かお前か、どちらが跡取りになってもおかしくない」
その言葉に、夜鈴の瞳に光が宿った。
「行きたい、です。ですが……」
しかしまだ、不安はある。
「蹄のことか? それなら心配いらない。俺の方から話を付けよう。おそらくあいつも、夜鈴がいてくれた方が助かるだろうよ」
「? それはどういう……」
「そういえば、夜鈴。大蜘蛛家や百目鬼家の者とは、会ったことがあるか?」
流れるように疑問を素通りされてしまった。
夜鈴はこれまで、蹄に良い顔をされたことがない。それは当然だと思う。ある日突然、森の中で拾われた知らない女が妹になったのだ、無理もない。しかしその蹄が、夜鈴がいてくれた方が助かるとはどういうことだろうか。
「夜鈴?」
盛雲の声で、考え込んでいた夜鈴は我に返った。
「確か、大蜘蛛家の方とは、一度会ったことがあると思います」
「あぁ、龍神家に来て一年の頃か。あの、挨拶に行った時」
「はい。海琉馬さまと風巳には会いました」
龍神家の娘になって一年、殺し屋としてある程度の知識と力を持った頃、御三家の頭首と跡継ぎに挨拶をするため、集まる機会を設けた。大蜘蛛家の屋敷に集まることになったのだが、百目鬼家の頭首、剛将と息子の柊は来なかった。
「海琉馬と風巳はいい奴だろう」
「はい。掟破りだったのにも関わらず、とても親切にしていただきました」
とても穏やかな雰囲気の二人をよく覚えている。夜鈴より一つ年上の風巳は、夜鈴にとても優しく接してくれた。
掟破りというのは、盛雲が夜鈴を龍神家に迎え入れたことだ。
殺し屋と言っても、しっかりとした掟がある。頭首は子を二人以上持たないこと、女を殺し屋にしないこと、この二つの掟を盛雲は破ったのだ。居場所のない少女を、見捨てることはできなかったから。依頼達成のために必要なことだ、と無理やり皆を説得した。それでも百目鬼家は納得しなかったようだが。
掟には他にも、殺し屋を統べる者が血の繋がりを持ってはならないというものがある。これだけは何があっても絶対に破ってはならない。掟は、きっちりとした理由のもとに存在するのだ。血の繋がりを持たないことで、殺し屋としての力が保たれる。人というのは、酷く血筋に執着するもの。代々何かしらの能力に恵まれている家系は血の力だと思い込み、その血が欲しくなる。そうなれば、殺し屋の血を狙った輩が現れるかもしれない。それを防ぐには、血縁を持たないのが一番なのだ。
だから、盛雲と蹄も血は繋がっていない。海琉馬と風巳も、剛将と柊も。殺し屋の頭首は、頭首になると同時に複数の農民の赤子の中から一人、跡取りになる息子を選ぶ。殺し屋になれば飢えることのない安定した生活が約束されるから、多くの母親がこぞって息子を差し出す。息子の将来を思えば、縁を切ることなど些細なことに過ぎないらしい。
そうして盛雲に選ばれたのが、蹄なのだ。しかし蹄にはもちろん親の記憶が一切ないから、盛雲を実の父親のように慕う。血の繋がりなどなくても、二人の間には深い絆があった。夜鈴にはない、絆があった。
「二人は問題ないんだが、百目鬼家が、ねぇ」
盛雲の声に、再び我に返る。
「まあ、行くってことで。せっかくの機会だから、しっかり楽しんでおいで。場所は今回も大蜘蛛家だから。もう仕事ないから、ゆっくり休んで」
「あっ、はい。ありがとうございます」
一礼して、部屋を出た。今度は自分の部屋に向かってすたすたと歩く。
結局、なぜ蹄が嫌がらないのかという素朴な疑問には答えてもらえなかった。しかし今はそれよりも、顔と服の上で固まった血をどうにかしたかった。まあ、当日になったらわかるだろうという軽い気持ちで、考えるのを止めた。