六、 俐慧
「お前……っ! どうやって抜け出した!?」
流石の盛雲も動揺を隠せない。それもそうだ。いくら夜鈴が罰を望んでいないとしても、事情聴取が終わるまではきちんと牢に入れ、監視を付けていたのだから。
だがその声の主は、そんな盛雲のことなど全く意に介していないようだ。
それどころか、なぜか上流貴族の次期当主をしっかりと見据えているその青年――俐慧は、完全に場の空気を己のものにしたみたいに話し続ける。
「こんなところでくだらない争いをしている場合ではないですよ?」
「……どういうことだ?」
盛雲は神妙な面持ちで問い返した。
理由はわからないが、あれ程のことをされてもなお夜鈴が信用していた相手だ。
何かがあるのかもしれない、と殺し屋の勘が言っていた。
「早くしないと、夜鈴の命はない、ということです」
盛雲は、サッと血の気が引く気がした。
俐慧は何を言っているのだろうか。言葉の意味はわかるが、理解が追い付かない。
「何だこの無礼者は」
宗蒔が苛立った声で言った。だがその声は盛雲の頭には入ってこない。
「おや? 気づきませんか。見覚えがあるはずですよ」
何も答えない盛雲に代わって俐慧がわざとらしく言う。そしてなぜか、大袈裟に微笑んで見せた。
「…………!?」
まるで別人のような顔になった俐慧を見て、宗蒔は幽霊でも見たかのように目を見開いた。彼だけではない。お付きの家臣たちまでもが、同じように言葉を失っている。
「……どうしたんだ?」
何とか平常心を取り戻した盛雲だが、目の前の光景についていけない。
「昔、父が樹宮家の護衛をしていたんですよ。でも彼は死んでしまった。……その責任の一部は、樹宮家にある」
俐慧は声のトーンを少しだけ落として、噛みしめるようにそう言った。
思いがけなかった告白に、盛雲は思わず同情の目を向ける。
「俺の笑った顔は父によく似ているみたいなので、こうしたら嫌でも思い出すかなと。……まあ、盛雲さまには関係のない話です」
対する俐慧は一瞬にして元通りの声色になり、盛雲も本題へと思考を引き戻される。
「そんなことより、早く夜鈴を助けに行ってあげてください。……宗蒔さま、今度こそ本当に取り返しのつかないことになりますよ」
驚きで固まっていた宗蒔は、俐慧から向けられた深刻な視線でハッと我に返る。だが追いつめられたように何かを考えこんでいるようで、黙ったままだ。見かねた盛雲は、一刻も早く話を進めようと俐慧に尋ねる。
「……お前は何を知っている? 夜鈴に何が起こっているんだ? 俺たちはどうしたらいい?」
「単刀直入に言います。……貴族狩りが、再び動き出しました」
「貴族狩り……!」
ずっと黙っていた宗蒔が、驚きと焦りが混ざったような声を漏らした。
「そうです。貴方には、心当たりがあるはずですよ」
宗蒔の焦りがさらに募る。
「これはあくまで推測です。しかし、俺の知っていることと今の状況を踏まえると、夜鈴は既に奴らに捕まっているでしょう」
「……奴ら、とは何者なんだ? 貴族狩りについては謎だらけだったが、お前は知っているようだな」
盛雲は急かしたい気持ちを抑えて、落ち着いた声で問うた。こういう時こそ、焦っていては正しい判断ができなくなってしまう。
「それは――」
「風巳だ!」
答えようとした俐慧の声を遮って、また新たな声が響いた。走ってきたようで息が上がっている。
「蹄? 夜鈴は――」
「町に探しに行って、聞き込みをしました。そしたら、夜鈴は風巳の奴に連れて行かれたって……」
蹄は息を切らしながら、途切れ途切れに説明する。
「あの二人は仲が良かったようだし、ただ遊びに行っただけなんじゃないか?」
「俺も最初はそう思いました。だけど風巳、ここ最近ずっと町で誰かを探すようにうろついてたらしくて、あいつのことをよく知っている町人ですら怪しく思っていたようです。今日、夜鈴を見つけるや否や、まるで偶然出会ったかのように駆け寄って行ったみたいで……」
蹄は話しながら、泣きそうな声になっていた。
その様子を見ていた盛雲は、嫌でも彼の話が事実だと認めるしかなかった。
「まさか、大蜘蛛家だったとはな……。道理で、やけに夜鈴に親しくしていたわけだ」
盛雲は小さく呟くと、一息置いて皆に向かって口を開いた。
「すぐに大蜘蛛家に向かう。絶対に夜鈴を殺させはしない。蹄、準備を頼む。……宗蒔さま、ここはどうか我々にお任せください」
宗蒔はしばらく俯いていたが、やがて顔を上げて小さな声で言った。
「……私も連れて行ってくれ」
「それは、あまりにも危険で――」
「そんなことなどわかっている。だがここで行かなければ、きっと後悔する。……間違ってもお前たちを信用したわけではない。勘違いするなよ。――ただ、いつかは向き合わなければいけないということだ」
「……わかりました」
盛雲は穏やかな声で了承する。それを聞いた宗蒔は少し驚き、すぐに嬉しそうな表情になった。
恐らく貴族なりの事情があるのだろう、と盛雲は思った。だがそれを詳しく訊く権利はない。もしもこれで夜鈴と宗蒔との何かが良い方向に向かうのなら、それで十分だ。
宗蒔が家臣たちと話し始めたのを見て、今度は俐慧を見る。
「俐慧、だったな。お前も来い。何やら色々と知っているようだし、龍神家だけで敵う相手ではないんだ。お前がいてくれたらきっと助かる」
「もちろんです。――俺は夜鈴を助けるためだけに、今まで生きてきましたから」
「…………?」
俐慧の理解不能な発言に、盛雲は思わず不思議そうな顔をする。
「こちらの話です」
「……そうか。ありがとうな」
あえて追求しないことにした。
きっと彼にも事情があるのだろうし、そんなことをしていては夜鈴が手遅れになってしまうかもしれない。
(夜鈴……、待っていてくれ。すぐに助けに行く)
盛雲は、心の中で夜鈴に誓う。
彼女を殺し屋として育てたこと。
護衛も付けずに一人で町に行かせたこと。
後悔している暇はない。
一刻も早く助けに行って、彼女の帰りたい場所へ帰してあげる。
それがきっと、たとえ仮初であったとしても、父親としてできる最善のことだ。




