五、 宗蒔来訪(2)
普段とは比べものにならないくらいの速さで着替えを済ませた蹄は、急ぎ足で頭首室に向かっていた。すると、同じく早足でこちらに向かってくる盛雲と目が合った。
「どうしたのですか?」
盛雲がこんなに急いでいるなんて珍しい。
蹄はなんとなく察しが付きながらも確かめずにはいられなかった。
彼は一瞬足を止め、「樹宮家の方がいらっしゃった」と短く言うとまたすぐに歩き始めてしまう。思わず立ちすくみそうになるのを抑えて、蹄も盛雲の横について行く。
「夜鈴は?」
「まだ帰ってきていない。昼までには戻ると言っていたんだが……」
「もう昼過ぎですよ?」
「……何かあったのかもしれない」
盛雲がぽつりと漏らしたその一言で、蹄も最悪な事態を想像してしまう。
――上級貴族の姫。
その正体が、もし誰かに知られたら。
一人で町に出掛けたその存在を、見て見ぬふりをして放っておくだろうか。
六年程前には貴族狩りのような物騒な集団もいたくらいだ。少し魔が差せば誰でも同じようなことをやりかねないだろう。
それに、もしそうでなかったなら、夜鈴はきっと迷っているのだ。貴族に戻るのか、殺し屋を続けるのか。
前に謝罪しに来た時のことはよく覚えている。あの時は何も言えなかったが、今度はちゃんと支えてあげないといけない。
「……俺、夜鈴を探してきます」
蹄は意を決したようにそう言い、盛雲の返事も待たずに、すぐに駆けだした。
盛雲はやれやれと思いながらも、ふっと笑みが漏れる。
何を焦っていたのか。
頭首だからとすべてを一人で抱え込む必要はない。
蹄はここ数週間で見違えるほど成長した。
夜鈴が、成長させたのだ。
だから盛雲はそんな彼らのために、自分のすべきこと、できることをしよう、と思い直す。
先程よりも軽くなった足取りで、盛雲は再び歩を進めた。
* * *
「都女はどこだ?」
宗蒔は相変わらず厳しい声で言う。
しかし盛雲は屈することなく、堂々とした口調で応じる。
「只今、出掛けておりまして。もうすぐ帰ってくるはずです」
そう答えた途端、明らかに宗蒔の目がつり上がった。
それでも盛雲は動じない。蹄が自ら夜鈴を探しに行ってくれているという安心感が、彼の勇気を支えていた。
「そうやってしらを切るつもりか? 早く都女を連れて来い」
「ですから、町に行っているのです。もう少しお待ちください」
盛雲は間を開けることなく、はっきりと答える。
「貴族を馬鹿にするのもいい加減にしろ。……次はないぞ。殺されたくなかったら、今すぐ都女を出せ」
「そう言われましても。いない者は出せません」
宗蒔の怒りが、沸点に達したのがわかった。
「……殺し屋というものは命が惜しくないのか? ……捕らえろ」
彼は連れてきていた家臣たちに命じる。だが所詮は貴族お抱えの護衛たちだ。殺しを専門にやっている盛雲にとっては、伸ばされた手や武器を避けることなどお遊び同然だった。
「まだ抵抗する気か? どうやら龍神家全員を処刑されても良いようだな」
「まったく、貴方も悪いお方ですね。町に出掛けたと言っているのですから、探しに行くかここで待つという選択肢もあるでしょう。よく確かめもせずに善良な民を処刑するのは、殺し屋よりも卑劣な行為ですよ」
全員処刑などと言われて流石に腹が立った盛雲は怒りを発散させるために、嫌味らしく、努めて柔らかい口調で言った。
だがどうやら効果はあったようで、宗蒔の反論はすぐには来ない。
「……そうやって騙すつもりなんだろう? そんなやり方は、もううんざりだ」
宗蒔は何だか悔しそうな声でそう言い、再び家臣に「捕らえろ」と指示する。
軽々しく盛雲に避けられたのを反省したのだろうか、彼らは盛雲が予想した以上に速い動きで迫ってきた。油断していた盛雲に家臣の手が触れようとした時――。
「お待ちください、樹宮宗蒔さま」
夜鈴でも蹄でもない、怪しく不気味な、しかし力強い声がその場に響いた。




