三、 謝罪
翌朝。夜鈴は起きるのが憂鬱だった。
盛雲や蹄はこれまで通りに接してくれるだろうか。
仁鑑など他の者たちにまで話が広まっていないだろうか。
何より、宗蒔の声が頭から離れなくて、彼女の不安を倍増させた。
「正しい選択、か」
夜鈴は大きな溜息を吐きながら、支度を済ませて盛雲の部屋に向かった。
「失礼します」
いつも通り一礼して部屋に入る。
「本日の任務を確認しに参りました」
いつも通りの台詞を述べた。
「今日は……、夜鈴は何もない、ぞ」
盛雲は、明らかにたどたどしかったが、敬語を使わずいつも通りの口調で言った。それを聞いた夜鈴はほっとして、無意識の内に強張っていた表情を緩めた。
「そうですか。ありがとうございます」
そして再び一礼して、部屋を出て行った。
次に向かうのは訓練場だ。恐らく蹄はそこにいる。ちゃんと会って、話がしたかった。
訓練場は基本的に訓練生が使っている。大蜘蛛家ほどではないが、龍神家にもそれなりに訓練生はいた。今日も朝早くから多くの訓練生が自主練習をしている。しかしその中に蹄の姿は見当たらなかった。
まだ部屋にいるのかと思い彼の部屋に向かう。だがそこにも蹄はいなかった。
「どこだろう……」
蹄とまともに関わるようになったのはつい最近のことなので、彼の行動範囲はよくわからなかった。
一緒に行ったことのある場所をもう一度よく思い出す。そしてハッとして、夜鈴は医務室に向かった。
約二週間、蹄と毎日一緒に通った、仁鑑のいる医務室。夜鈴が着くと、ちょうどその入り口から蹄が出てきた。
「あっ……」
「蹄……」
目が合ったが、すぐに蹄が逸らす。しかし夜鈴の正体を知ってしまったため用件も聞かずに逃げるわけにはいかない。
「何、ですか……」
露骨に目を逸らしたまま、蹄らしくない小さな声で問うた。
「ちょっと、話がしたいんだけど。今時間ある?」
蹄は小さく頷く。それから二人は人気のない庭に移動した。
「話って……、何ですか?」
「まずは、敬語使うの、やめてくれないかな?」
単刀直入に言うと、蹄は俯いてしまった。優しい声を心がけても、上流貴族であるという事実が彼を緊張させてしまうのだろう。
「これまでずっと、ため口で話してくれてたでしょ? 私はそれがとても嬉しかった。だから立場なんか関係なく、蹄らしい言葉で話してほしいの」
「……」
「えーっと……、無理にとは言わないから」
蹄はどうやら拗ねているようだ。でもその姿が何だか小さな子供みたいで、弱々しくて、夜鈴は強要することなどできなかった。
気持ちを切り替えて口を開く。
「――それで本題だけど」
蹄は俯いたままだった。目の前にいるはずなのに、決して手の届かない遠い場所にいる気がした。
「こうなった以上、きちんと話しておきたいの。私が隠していたこと、全部」
夜鈴は静かに話し始めた。樹宮家にいた頃の生活、貴族狩りに攫われたこと、そして龍神家に拾われたこと……。
「貴族狩りに襲われた時、私は何もできなかった。強くなかったから。だから、殺し屋として生きることで強くなろうと思ったの。もうこれ以上、大切なものを失わないために。……自分勝手だよね。強引に他人の輪を割って入り込んで、盛雲さまに掟破りの罪を背負わせて、蹄の立場まで奪おうとして。その上、隠し事までして……。これまでたくさん迷惑をかけてきたと思う。本当にごめんなさい」
深々と頭を下げた。ずっと言えなかった、心からの謝罪だった。
「……でもね、それでもずっと龍神家にいたいと思っちゃうの。夜鈴のままでいたい。蹄や盛雲さまたちと一緒にいたい。わがままだってことはわかってるのに……」
今度は夜鈴が顔を伏せる番だった。
「兄上……宗蒔さまがおっしゃっていたことは正しい。人殺しなんて決して気分の良いものじゃない。大人しく樹宮家に戻るべきだってことは理解してる。でも……」
そのまま、黙り込んでしまった。重たい沈黙が流れる。
「……ごめん。こんなこと、蹄に話すことじゃないよね。説明するために来たつもりだったんだけど……。変なこと言っちゃったね。忘れていいよ。私、もう部屋に戻るね」
そのまま逃げるように、夜鈴は足早に部屋に戻った。
蹄が彼女の顔を直視することはなかった。
部屋に戻った後、夜鈴は眠ってしまった。
気が付いた時にはもう障子からの淡い光が部屋を金茶色に染め上げていた。
ひと眠りしても落ち着かない感情を安定させるために、夜鈴は隠しから鈴を取り出した。
正しい選択――それは樹宮家に戻ることだろう。
そんなことは夜鈴にもわかっていた。
どうしても樹宮家に帰りたくないわけではない。ただ、権力に固執しているのが嫌なのだ。きっと宗蒔も権力にしか興味がない。だから彼に従って貴族に戻るのには抵抗があった。
それに、大切なものができてしまった。楽しいと思えることを知ってしまった。
ずっとこのままでいたい。
その思いが、どうしても心から離れないのだ。
――ねぇ蹄、私、どうしたらいいの?
そう訊きたかった。本当は、もっと感情を吐き出して、助けを求めたかった。
でも、それはできない。
やっぱり、龍神家と夜鈴は他人なのだから。
外から差し込む夕陽に照らされて、鈴は虚しくも幻想的に光り輝いていた。




