二、 訪問者(2)
「! 夜鈴!?」
嫌な予感がした。予想が、的中してしまったのか。もしそうだとしたら――。
最悪の事態を想像して、考えるよりも先に体が動いていた。本当は、依頼人と頭首の間に割って入ってはいけない。けれど……。
「情報は掴んでいるんだ。ここに居ることはわかっている。これ以上隠すつもりであれば、殺し屋であろうと容赦しない」
「そう言われましても、我々は本当に何も存じ上げないのです。何も知らないから教えられないだけなのです、宗蒔さま。殺し屋といえどもただの平民、貴族内でどのような問題が起こっているのかなど知る由がございません」
「そうか。なら――」
「お待ちください!」
樹宮家の長男――樹宮宗蒔が冷たく言い放とうとした言葉を、夜鈴が遮った。走ってきたせいで息が上がっている。緊張しているのか白く小さな手は震えていた。しかしその瞳は、覚悟を決めたようであった。
「……やはり居たではないか。隠していたのだな」
「盛雲さまは隠してはおりません」
「随分と大きな口を利くようになったな、都女。しかし現にお前がいることを黙っていたではないか」
都女と呼ばれた夜鈴を、盛雲と、後を追ってきた蹄は訳が分からないという顔で見ていた。
「それは、私が隠していたからです。私は正体を隠して、六年間ここで過ごしてきました。だから盛雲さまを責めないでください、……兄上」
いよいよ理解できないといった様子の盛雲と蹄、特に蹄は動揺しているようだった。
「え……、夜鈴、どういうことだよ。兄上? 正体を隠してたって……」
夜鈴は軽く後ろを振り返って、申し訳なさげに微笑んだ。しかしすぐに宗蒔に向き直る。
「夜鈴? それがここでのお前の名か。まさか本当の名まで隠していたとは」
「……隠していたわけではありません」
「何を言っている。名を捨てさせられたとでも言うのか」
「違います」
夜鈴は一瞬躊躇った後、はっきりと言った。
「私はもう、樹宮都女ではないということです」
誰も予想していなかったであろう言葉に、宗蒔は唖然とした。そして冗談だろうというように無理やり笑った後、怒ったように厳しく言った。
「もういい。帰るぞ」
鋭い目つきのまま、夜鈴の腕を強く掴んだ。そのまま引っ張ろうとする。しかしその程度で連れて行かれるほど夜鈴の力は弱くなかった。
「待ってください。なぜ連れ帰ろうとするのですか」
「なぜだと? お前が樹宮家の人間だからに決まっているだろう」
「ではなぜ今なのですか? 六年……六年も放っておいて……」
そう問いながら、夜鈴の声は震えていた。
「それは……、すまなかったと思っている。見つけられなかったのだ」
「本当ですか? そんなはずはないと思います。貴族狩りは貴族を攫った後、どこかへ売り飛ばす、それを追っていれば簡単に見つけられたかもしれません。私は売られる前に逃げ、貴族狩りもすぐに消滅してしまったので難しかったかもしれませんが、それでも樹宮家は常に殺し屋を警戒していました。龍神家に少女が拾われたこと、そして殺し屋になったこと、このようなことは前例がありませんから、すぐに情報が渡ったと思います。それでも確認に来なかったということは、側妻の娘である私は、樹宮家には要らないということだったのではないですか」
溜め込んできた感情が、堰を切ったように溢れ出た。夜鈴は怒ったような口調で言いながらも、その声は弱弱しく震えていた。目は深く伏せられている。
「……そんなことはない。本当だ」
宗蒔はそう言いながらも目を合わせられないようだった。
「……もしそうだとしても、私は、樹宮家には戻れません」
「なぜだ?」
「私は、六年もの間、殺し屋として生きてきました。多くの人を、殺したのです。それでも、殺し屋として生きることを選びました。そんな人間が、貴族になど戻れるはずがありません」
「それは問題ない。だからこうして迎えに来たのだ」
「しかし……」
「お前が貴族として生きたのは九年、一方殺し屋として生きたのは六年だ。貴族だった頃のほうが長い。お前は立派な貴族だ」
宗蒔は威勢を取り戻していた。だがそれでも夜鈴は屈しない。
「そんなことは言い訳にならない、それは貴方が一番よくご存じでしょうに……。それでもそうやって説得されるということは、どうしても私を連れ戻したいのですね。……何が目的ですか? 偉い方と結婚でもさせて、さらなる権力を手に入れますか?」
「そんなことは……」
否定しようとした言葉が、途切れた。当然だ。何の価値もない人間が樹宮家に留まる理由はない。権力者に嫁がせて子を産ませれば樹宮家の地位もさらに上がる。ならば誰でもそうするだろう。
「そうするとしても、殺し屋として生き続けるよりは余程ましだろう。それでもお前は人を殺し続けるのか?」
そう問われて、夜鈴は一瞬黙った。
「……少し、考える時間をいただけませんでしょうか」
「わかった、一週間だ。一週間後にまた迎えに来る。それまでにどうするのか決めておけ。何が正しい選択か、よく考えろ」
宗蒔はそう言い残し、家人を連れて去って行った。
夜鈴は気持ちを切り替えるように小さく溜息を吐き、盛雲と蹄のほうに振り返る。
「えっと……」
気まずさを取り払う言葉を考え始めた矢先、バッと盛雲が膝をついた。夜鈴に対し、深く頭を下げる。
「大変申し訳ございませんでした。今までのご無礼、どうかお許しください」
「え……。や、やめてください、盛雲さま。私が隠していたのが悪いんです。それに、無礼だなんて思っていません。どうか顔を上げてください」
夜鈴がそう言っても盛雲はなかなか顔を上げない。それどころか、蹄までもが彼と同じように膝をついた。
「えっ、ちょっと、蹄。何してるの……」
絶対に頭を下げそうにない蹄が膝をついたので、夜鈴は動揺していた。そして、深呼吸をしてから話し始めた。
「……樹宮家の人間であることを隠していてごめんなさい。こうやって変に距離を置かれるのが嫌で、ずっと黙っていました。やっぱり、すぐに受け入れるのは難しい、ですよね。でも、私はこれまで通りでいたい。だから、二人にもこれまで通りに接してほしいんです。明日からでも構いません。どうか、お願いします」
懇願するように夜鈴は深く頭を下げる。それに反応して盛雲が顔を上げた。
「我々のような者に頭を下げないでください。……貴女がそうおっしゃるのなら、これまで通りにできるよう努力いたしますので……」
「……ふふっ」
盛雲が必死に言った後、場違いのように夜鈴は笑った。上げた顔は微笑んでいる。
「やっと顔を上げてくれましたね」
「っ!」
反動で顔を上げていた盛雲は驚いた顔をした。夜鈴は柔らく微笑む。
「これまで通りにしていただけるのは嬉しいです。ありがとうございます」
礼を言われてどうしたら良いのかわからなくなった盛雲は、ゆっくり顔を逸らした。
「今日はもう、私は部屋に戻ろうと思います。お騒がせいたしました」
夜鈴はそう言って再び頭を下げると、その場を後にした。
膝をついたまま動けなくなってしまった盛雲と蹄が、何だか小さく見えた。




