一、 訪問者(1)
俐慧の一件から二週間近く経った。
あの後、事情徴収という形で連れて来られた彼がどうなったのか、夜鈴は知らない。恐らく一旦牢に入れられた後、事情次第で処分が決まっているはずだ。思い罰が与えられていないことを願っていた。
だが、あまり心配していないのも事実であった。処分を決めるのは盛雲だから、きっと夜鈴が望む結果になるだろう。
それよりも気がかりなのは、俐慧の言葉だ。
――大蜘蛛家には気を付けろ。
大蜘蛛家はとても信頼できる人達のはずだ。海琉馬も風巳も、とても穏やかで優しい。一緒にいて安心できるような人だ。
確か俐慧も、訓練生だった頃は風巳と仲が良さそうだった。この五年の間に何かあったのだろうか。
(喧嘩? ……いや、風巳に限ってそんなことは……)
その謎が頭から離れなくて、心も身体も休まらない。きちんと話がしたかったが、事情徴収のために拘束している俐慧には、話すどころか会うこともできなかった。
「おい、聞いてるのか?」
蹄の声で、現実に引き戻される。目の前では、多少表情が柔らかくなった蹄が夜鈴の顔を覗き込んでいた。
「あ、ごめん。何?」
「まったく。そんなんだと雑魚にも殺されるぞ」
表情は柔らくなっても、相変わらず口は悪い。夜鈴は苦笑いを浮かべる。
「夜鈴、最近ぼーっとしすぎじゃねぇか? 一緒に鍛錬しようとか言っといて、これじゃまともにできねぇだろ」
「ごめん、ちょっと考え事してて」
「考え事? まあいいけど。今日ももう切り上げるか?」
「そうだね」
あの日から毎日、蹄と一緒に鍛錬していた。まあ、いつもこうやって中断させてしまっているのだけれど。
夜鈴が気を遣わなくなると、蹄もある程度普通に接してくれるようになった。盛雲曰く、夜鈴が攫われたのがよっぽど堪えたらしい。こんな簡単に打ち解けられるなら、もっと早くこうすれば良かったな、と心から思っている。
「仁鑑の様子、見に行くか?」
「行く」
仁鑑は言うまでもなく大怪我だったが、処置が良かったのか、もうだいぶ回復している。しかしまだ安静にしていなければいけないので、無理やり本人を説得して医務室で寝させていた。
「失礼します」
立場上、いちいち言う必要はないが、癖で言ってしまう。軽く頭を下げながら部屋に入った。
「仁鑑、調子はどう?」
「もう良いですよ。毎日来てくださってありがとうございます。夜鈴さま、こんなに長期間、付いていられなくて申し訳ありません」
怪我人なのに、一つの質問に対して答えとお礼と謝罪で返してくる。こんなに喋らせると、逆に心配になってしまうのに。
「気にしなくていいよ。今回は大丈夫じゃなかったけど、一緒にいてもらわなくても平気だから。ゆっくり休んでて」
「ああ、この度は危険な目に遭わせてしまい、大変申し訳ございませんでした」
「だからいいって。あれはしょうがないよ」
「いえ、しょうがないで済ませては――」
「あのさ」
二人だけで盛り上がってしまっていると、蹄が呆れた声で遮った。
「いつものことだけど、俺がいること忘れないでくれる?」
「大変申し訳ありません、蹄さま。決して忘れていたわけではありませんよ」
「別にいいけど。そんなに喋れるならだいぶ元気じゃん」
「はい、お陰様で」
「早く復帰できるように、しっかり休んでろよ。じゃあ、俺たちはこれで。行くぞ、夜鈴」
「あっ、うん。仁鑑、お大事に」
お見舞いと言っても、流石に二週間も同じことの繰り返しでは蹄も飽きてしまうのだろう。さっさと切り上げて部屋を出て行く。
「まったく、何度同じ会話をしたら気が済むんだよ」
「ごめんごめん。ついね」
「ついって。うんざりしねぇのか?」
「うーん……、しない、かな」
「お前って奴は……」
そう言いながら蹄は大きな溜息を吐く。夜鈴は不思議そうに首を傾げた。
「……そういえばさ」
話を変えるように、蹄が切り出した。
「ずっと思ってたんだけど、夜鈴が持ってる鈴って何?」
「えっ……」
夜鈴は一瞬顔を引きつらせた。
「あぁいや、別に深い意味がある訳じゃなくて。鍛錬を始める時と終わる時、いつも鳴らしてるじゃん? 何なのかなーって思っただけ」
「これは……」
言いながら、彼女は隠しに入れていた桜柄の鈴を取り出す。
「えっと、これはね、……形見、なんだ」
この鈴は、母上の、形見。もう会うことはできない、母上の。
「形見?」
「うん、そう。大切な人のね。気持ちを切り替えるために鳴らしてるんだよ」
殺し屋と、普通の少女。この鈴の音を聞くことで、その切り替えをしている。やっぱり、そうしないと人殺しなんてできないから。
「へ、へぇー。なんか、訊かないほうが良かった?」
蹄は戸惑っている。当然だ。帰る場所がないと言った少女が、大切な人の形見を持っているなんて、思いもしなかっただろう。
「いいよ。ていうか蹄、人を気遣うこともできたんだね」
これ以上重くならないように、悪戯な笑みを浮かべて言ってやった。
「……! べ、別に気遣ってなんかねぇし。お前のことなんか全く興味ねぇだけだよ!」
全然言い訳になっていない蹄の弁解を聞きながら、夜鈴は「ふふっ」と楽しそうに笑う。こうやって彼を揶揄うのが、最近の楽しみだった。
「冗談だよ。蹄は気遣いなんかしない、偉くて凄い人だもんねー」
「馬鹿にすんな!」
わざとらしく言うと、また大きな声で言い返してくる。
必死な様子に、つい笑ってしまう。風巳があんな態度をとっていた理由がわかった。これは揶揄いがいがある。
風巳のことを思い出して、ふっと笑顔が消えた。やっぱり彼に、大蜘蛛家に、何かあるとは思えない。風巳は穏やかで、ちょっぴり揶揄い好きな普通の少年だ。
そこで、蹄が黙って立ち止まっていることに気付いた。また考えに耽っていたせいかと思って顔を上げると、原因は別にあることがわかった。
「あれって……」
今二人がいる外廊下からは、表門から入ってすぐの庭のような場所が見える。そこで、依頼人らしき者たちと盛雲が話している様子が見えた。ただし、普通の依頼人ではない。
「樹宮家、だよな……」
そう、樹宮家。しかも家人だけでなく、次期当主であろう、徳実と晏菫の長男まで来ている。それを蹄がわかっているかは知らないが。
何かの依頼だろうか。しかしただ事ではないようだ。何だか揉めているように見える。
そして。
夜鈴にはその心当たりがあった。
――動き出している輩がいる。
嫌な予感がした。




