九、 忠告
「監視?」
盛雲は意味がわからないと言った様子で俐慧の言葉を繰り返す。
「はい。俺が勝手なことをしないかを。だからあいつらを騙さないと、殺すことはできませんでした。確実に殺すには、この手しかないと思って」
なぜ監視されていたのか、手下として振舞っていた彼らは何者なのか。それは全くわからなかったが、今それを訊く必要はないと思った。ただし――。
「まあ、それはいいが。――だがお前をただで帰すわけにはいかない。こちらとしては部下を一人斬られ、娘を攫われたんだ。犯した罪は償ってもらう」
自己保身のためには仕方なかったとはいえ、罪は罪だ。許すわけにはいかない。
「夜鈴。どのくらいの罰を与えてほしい?」
「私は……」
盛雲に問われて、考え込む。仁鑑を斬られて自身も監禁された。本当は最大限の罰を与えてほしいところだ。だが、俐慧という名はどこかで聞いたことがある。もし本当はいい人なのだとしたら、罰はなしにしてもらいたいが……。
必死で記憶を辿っていく。樹宮家にいた頃。貴族狩りに攫われた時。龍神家に来た頃。大蜘蛛家に行った時――。
「私は、彼に罰を与えたいとは思いません」
思い出した。初めて大蜘蛛家に行った時、俐慧に会ったことがある。当時訓練生だった彼は、見学に来た夜鈴に優しく接してくれた。龍神家の娘である彼女に敬語を使わず話してくれた、唯一の訓練生だった。
「なぜだ?」
当然盛雲は不思議そうだ。
「彼は、――俐慧は、悪い人ではありません。きっと悪気があってこのようなことをしたわけではないと思います」
名を呼んだ夜鈴を、俐慧は驚いたように、そして嬉しそうに見た。そんな彼に夜鈴は微笑む。
「ずっと思い出せなくてごめんね、俐慧」
夜鈴は、無邪気に笑って言った。
彼は、絶対に悪い人ではない。それに根拠はないが、記憶が、直感がそう言っていた。記憶の中の俐慧は、夜鈴を大切にしてくれている。夜鈴にとっての、憧れだった。それは今も変わらない。夜鈴が憧れた俐慧が、きっと彼の素だから。彼は人間の素なんてどれかよくわからないと言ったが、これが彼の素だ。
「……本当だよ、夜鈴。ずっと敬語なんて使いやがって」
そう言いながらも俐慧は、嬉しそうだった。
「盛雲さま。わがままを言ってごめんなさい。ですが……、彼に罰は、与えないでいただけませんか?」
娘になってから、夜鈴が盛雲にこんなことを言ったのは初めてだった。
「夜鈴……。お前がそんなことを俺に言うとはな……」
「あ、ごめんさない。失礼でしたよね。あくまでもこれは私情なので、気になさらないでください」
「いや、いい。本音を言ってくれてありがとう。嬉しいよ」
盛雲の微笑みに、夜鈴は驚いたように口をぽかんと開けた。
「……だが、このまま野放しにはできないな……」
もしこのまま何もなしで帰して何か起こったら、大問題だ。
「とりあえず、龍神家には来てもらおう。最低限の話は訊く。処分をどうするかは、それからだ」
「わかりました」
盛雲の判断に、俐慧は臆することなく頷く。夜鈴もこのくらいなら納得だった。
「盛雲さま。任務完了いたしました」
「お疲れ。では帰ろうか。あ、こいつを頼む」
「御意!」
部下の中で一番位が高い者が報告に来た。はっきりと返事をし、俐慧を連れて出て行く。
そして、俐慧が夜鈴の隣を通り過ぎる時――、
「大蜘蛛家には気を付けろ」
彼は耳元でそう言った。夜鈴は一瞬思考が停止した。彼が何を言っているのかわからなかった。
思わず振り返って訊き返そうとしたが、もう俐慧はいない。不格好に開いた口を、ゆっくりと閉ざす。気持ちを紛らわすように、盛雲に向き直った。
「そういえば、蹄は来ていないのですね。……当たり前ですが」
わかっていながら訊いた。蹄は夜鈴のことなど心配すらしないだろうから、来るはずもない。だが、生きているかもわからない状況で助けに来てくれないのは、流石に悲しかった。
「あぁ。蹄には龍神家に残ってもらった。俺がいない間に依頼人が来たら、困るだろう? 今は仁鑑の看病でもしてるだろうな。説得するの、大変だったんだぞ」
「? どういうことですか?」
「あいつ、お前のことを一番心配していたんだ。来るって言って聞かなかったんだから」
蹄が、心配していた? 嬉しいが、それ以前に信じられない。
「本当、ですか?」
「本当だよ。蹄は夜鈴が強くなったのに自慢してこないのが悔しいんだと。だから思ってもないようなことをつい言ってしまうんだ。実際はお前のこと、そんなに悪く思ってないと思うぞ。きっと、夜鈴が無事に帰ってくるのをそわそわしながら待ってるよ」
予想外の事実に、驚きが隠せない。そして、じわじわと喜びが沸き上がってきた。
「では、早く帰らないと、ですね」
夜鈴は無意識の内に自然体の笑みを漏らしながら、その場を後にした。
「……夜鈴!」
龍神家に戻ると、夜鈴の姿を見つけたらしい蹄が駆け寄ってきた。初めて名前を呼ばれたことに夜鈴は驚く。
「良かった……。心配させやがって」
「ご、ごめん。……ふふ、心配ありがとう」
夜鈴も、初めて蹄に微笑んだ。これまではそんなこと、許されないと思っていたから。
「っ! ば、馬鹿にすんなよ! 龍神家の恥晒し!」
「おいおい、格好悪いぞ、蹄」
盛雲が茶化すように言いながら、その場を離れる。他の部下たちも盛雲に続き、二人だけになった。
「ま、まあ。無事で、何よりだ」
蹄は目を逸らしながら、小さく言った。
「私も、反省してるよ。仁鑑を守れなかったし、攫われたし。もう同じことがないように、鍛錬しないと。あ、でももう、蹄よりは強いけどね!」
「おい!」
夜鈴はにっこりとそう言った。強いのに自慢してこないのが悔しいのだと聞いたからだ。思った通り、蹄は言い返しながらも嬉しそうだ。
これまで、自分はよそ者だからと言い聞かせて諦めていたが、仲良くなるのは案外難しくないかもしれない。壁を作っていたのは自分だったのだと、気づかされた。
だから――、
「これからは、一緒に鍛錬しようね、蹄」
自分から歩み寄れば、きっと仲良くなれるのだ。
「まあ、悪くはねぇな」
素直じゃない。
その言葉は、心の中で留めておいてあげることにした。




