三、 依頼人
「ちっ……おい、夜鈴はまだか」
応接室では、二十歳くらいの青年が苛立っていた。落ち着かない様子で部屋の中を歩き回っている。
日頃から鍛えているのか、身体つきは殺し屋にも負けないくらいしっかりしている。
「まだ呼びに行ったばかりですから。もう少しお待ちください」
依頼人に乱暴な態度はとれない。
盛雲はできるだけ相手を怒らせないよう、最大限丁寧かつ穏やかに、薄い藍色の髪の青年をなだめた。
「もういい! 外で待ってる。屋敷の裏に山があっただろう、そこに連れて来い」
「あっあと少し! あと少しですから、どうかここでお待ちください」
そう言う盛雲の言葉も聞かずに、青年は連れていた男たちとともに部屋を出て行ってしまった。
「どうしたものか……」
手のかかる依頼人は多くいる。そもそも人殺しを望んでやって来るのだから当たり前だが、それでもここまでの者は滅多にいない。基本的に温厚で誠実な盛雲にとって、面倒な依頼人の対応はかなり神経を削るものだった。
「失礼いたします」
溜息を吐きかけていたところに、少女の声が響いた。盛雲は慌てて姿勢を正す。
「夜鈴……、本当に来たのか」
「はい。盛雲さまのご命令ですから」
我が娘はつくづく従順な部下のようだな、と思う。
先日、多少は娘らしくなったと感じたのは気のせいだったのだろうか。
もう少し肩の力を抜いてほしいと思いながらも、今はそれどころではないと気持ちを引き締める。
「依頼人はどちらへ?」
後から入ってきた仁鑑が口を開いた。
「あぁ、少し前まではここにいたんだが、待ちくたびれて、怒って出て行った。裏山に来い、だそうだ」
「裏山って……、何で止めなかったんですか!?」
「いや、止めたんだがな……。あれは無理だ。俺の手には負えない」
「まったく、しっかりしてくださいよ」
仁鑑は盛雲には容赦ない。夜鈴には心配性を発揮するのに、盛雲にはずけずけと言う。
「では、私は裏山に行けば良いのですね?」
夜鈴はそんなやりとりなど気にも留めず、すぐにでも応接室を出て行こうとした。
「いや待て。それは危険すぎる」
「なぜですか?」
「なぜって。奴らが何を考えているのか全く分からないからだよ。殺し屋に依頼するようなことがあるのに、その頭首に何も言わないんだぞ。そんなにしてほしいことがあるなら、早く言えば良いものを……」
それは盛雲の言う通りだ。依頼内容を隠すことに得はない。危ないことくらい、夜鈴もわかっていた。
だが行かないわけにはいかない。
怖くなる前に、早く行きたかった。
「外に出て行ったなら、ほっとけば良いじゃないですか」
仁鑑はさらっと言う。
「そうなんだが……。だがな、仁鑑。依頼人の申し出を無視したら、どんなことになるかわからない」
「だからと言って、夜鈴さまを行かせる気ですか?」
「それは……」
盛雲は言葉に詰まった。
何をする気かわからない奴らのところに、大切な娘を行かせるわけにはいかない。しかし行かせなければ、今度は龍神家が危険に晒される。
「……それでも要求に応えないわけにはいかない。だが俺は屋敷を空けられないし、先程の様子からすると行ったところで逆効果だろう。……仁鑑、夜鈴について行け」
「私ですか……?」
「不満か」
「いえ、ですが、私で良いのかと思いまして」
少し戸惑っている仁鑑に対し、盛雲は柔らかく微笑んで続ける。
「俺は仁鑑を信頼している。俺と夜鈴と蹄を除くと、お前が一番強いからな。……あ、念のため武器は持っていけよ」
「武器? 依頼もなく殺しはできないのでは……」
「例外もある。万一相手が攻撃してきてこちらに命の危険が迫るようであれば、怪我くらいはさせても良い。正当防衛だ」
「わかりました」
怪我くらいと言っても、ただの切り傷ではない。一生残るくらいの大怪我だ。
だからこちらから手を出すのは、よほどのことがない限りできないのだ。
それを承知の上で、仁鑑は命令に従った。
「夜鈴、くれぐれも気を付けろよ」
「はい」
夜鈴も盛雲をしっかりと見据えて、力強く頷いた。
* * *
裏山に立ち入る人など滅多にいない。
そこには、男たち以外誰もいなかった。
「本当に静かだな」
青年は小さく呟いた。
その声は、草木の揺れる音しかない場所にもかかわらず、他の者には聞こえなかった。
そんな青年がふぅと息を吐いた時、龍神家のある方向から歩いてくる二つの人影が見えた。
青年の口元がふっと緩む。
「……来たな」
その人影はだんだんと大きくなっていき、やがて少女と、応接室で頭首の横にいた三十代後半くらいの男が現れた。
「お前は呼んでない。帰れ」
仁鑑に対する第一声で、青年は冷たく言い放った。
「私が同行することが、夜鈴さまと会わせる条件です。私が帰るなら、夜鈴さまも一緒に帰ります」
仁鑑の堂々とした返答に、青年はチッ、と舌打ちをする。
「まあいい」
そう言いながら、夜鈴のほうに顔を向ける。
その顔は何だか誰かに似ている気がしたが、誰に似ているのかはわからなかった。
もっとも、夜鈴はその青年のことを知らなかった。
「龍神家頭首の娘、夜鈴です。私をお呼びということですが、ご用件は何でしょうか」
軽く一礼して顔を上げると、そこには優しい笑みが浮かんでいた。それを見て、夜鈴は不気味に思う。
「そんな、敬語なんて使わなくていいよ。久しぶりだね、夜鈴」
いきなり馴れ馴れしく話しかけられて、ぞっとする。
「ええと、どちら様でしょうか」
「えー、覚えてないの? 悲しいな。昔、会ったことあるでしょ?」
そう言われて考えるが、やはり思い出せなかった。
「まあ、いいや。それよりも、一緒に来てほしいところがあるんだよね」
「あ、あの、お名前は……?」
夜鈴の問いには一切答えずに、一人でどんどん話を進めていく。その話も、「とりあえず一緒に来てほしい」とか「二人で話がしたい」とか、いまいち理解できないものだった。
「まあ、だから、今から俺たちと一緒に――」
「その依頼を引き受けることはできません。我々はこれで失礼いたします。……行きますよ、夜鈴さま」
青年の意味不明で理解不能な話を仁鑑が強引に遮った。帰るように促された夜鈴は、頷いて屋敷に引き返そうとする。
――その時だった。
「おっさんが入ってくんじゃねぇよ!!」
鼓膜を引き裂くのではと思うくらいの声で、叫んだ。その青年の怒声に合わせて、刀が振り下ろされた。
青年に付いていた男が、仁鑑を斬ったのだ。
「仁鑑!!」
目の前で、赤い液体が、血が、飛び散った。
あの日の光景と重なる。
あの時、あの立派な庭で、鵺重と、……母上が――。
嫌な記憶がフラッシュバックし、呆然とする。
それが仇となった。
殺し屋になって身体も心も鍛えていたのに、反応できなかった。
別の男に背後をとられ、首の血管を圧迫される。
抵抗しようとするが、もう遅かった。だんだんと視界が真っ暗になって、青年の声が遠ざかる。
そして――、
「夜鈴を危険に晒しておいて、偉そうに――」
意識が途切れ、その先は聞こえなかった。




