夜鈴
チリン……、チリン……。
月夜の森の中、時折小さな鈴の音が響いていた。
「誰かいるのかー」
何人かの男たちがそう叫びながら、手元の行灯と月明りを頼りに森の奥へと踏み入っていく。男たちは皆、がっちりとした体つきをしていた。
「本当に、この奥に誰かいるのでしょうか」
「実際、村人の言った通り鈴の音が聞こえるんだ。少なくとも鈴はあるはずだ」
中でも上等な衣を着た、頭首らしき男が答えた。
この日の朝、彼らのもとに数人の村人が訪ねてきていた。
夜になると村のそばにある森から鈴の音が聞こえてくる、もう三日もその状況が続いていて、流石に恐ろしくなった、と。祟りだとか、呪われたんだとか、口々に好き勝手言っていた。
しかし『何でも屋』を生業としている男たちに、調査を断る理由はなかった。
「まあ、祟りやら呪いやらはないだろうが」
呟きを漏らしながら、頭首らしき男も辺りを見渡していく。
何でも屋といえども、祟りや呪いなど実在するかもわからないものをはじめ、森の中を歩き回ることさえも彼の専門ではない。ただでさえ今は、貴族を攫っては消える謎の集団・貴族狩りや、情勢の悪化による強盗の増加などで忙しいのだ。
まったく、一つの組織が権力を持ち続けたらろくなことにならない。
数十年前に政治の中心が上流貴族、樹宮家に移ってから、貧富の格差が年々広がっている。となれば犯罪はもちろん増加するし、男たちの仕事も増える。
それが良いのか悪いのかは、人によるだろうが。
とにかく、ずっと休めていないのだ。
だからこういう地味な仕事はできるだけ早く終わらせて、一刻も早く帰りたかった。
……チリン。
再び鈴の音が聞こえた。先程よりも大きな音だった。
「近いぞ!」
誰かの叫び声に、どうせ何もないだろうと呆れ始めていた皆の精気が少しだけ戻った。
足取りがしっかりし、歩幅が大きくなる。
(皆も早く終わらせたいのだな……)
そう思いながら頭首らしき男も茂みの影までしっかり確認していく。
チリン……、チリン…、チリン、チリン。
奥に進むにつれて鈴の音が大きくなる。絶対にこの近くに探している誰かがいる。少なくとも音を立てている鈴は存在する。
そう確信すると、無謀だと思われた調査任務も、先が見えた気がした。
チリン!!
突然、少し離れたところから、これまでにない程大きな音が聞こえた。鈴を地面に落としたような音だった。
「いました……!」
頭首らしき男は声のした方を振り返り、すぐに駆けつける。
大きな木のそばに、目的の人物は座り込んでいた。想定外の人物に、思わず拍子抜けしてしまう。齢九つくらいの、小さな少女。男たちを見上げる瑠璃紺の瞳には、涙が浮かんでいた。
「……だっ、……れ……」
静かな夜でも消え入りそうなくらい、小さくて頼りない声だった。
男は、疲れがたまって目つきが悪くなっていた顔をできる限り優しく穏やかな笑みに変え、少女の目線の高さに合わせるようにしゃがみこんだ。そばに落ちていた桜柄の鈴を拾い、そっと差し出す。
「おじさんたち、怖い人じゃないよ。人助けをしているんだ」
少女は恐る恐る顔を上げ、思い出したかのように男の手から鈴を奪い取った。
その様子を見ていた従者が、クスクス笑いながら言う。
「そんな言い方したら、余計に怖いですよ」
「……そうか?」
「はい。それに人助けなんて、綺麗事を……」
最後は笑っていてはっきりとは聞き取れなかったが、言いたいことはよくわかった。
「おい、仁鑑……」
頭首らしき男は、不機嫌そうに従者を睨みつける。だがその顔は、全く怖くない。
そのやりとりを見て安心したのか、少女はゆっくりと口を開いた。
「いい人、なのですね……」
やけに丁寧な口調が気になったが、わかってくれたようで何よりだ。ホッとすると、男は微笑みを取り戻し、再び少女に向き直った。
「なぜこんな森の中で、鈴を鳴らしていたんだ?」
「え、えーっと……す、鈴の音は、怖いものから守ってくれると、聞きましたから……」
幼いながらに恥ずかしそうに答える少女に、「怖いものとは何だ?」とか、「そんなこと誰に聞いたんだ?」とは訊けなかった。代わりに、「とても大切な物なんだな」と柔らかい口調で言う。少女は大きく頷いた。その様子を見て、もう警戒されていないことを確認し、男は続けた。
「お前、名は何と言う?」
少女は少し驚いた様子を見せると、しっかりと口をつぐんで俯いてしまった。
「……名がないのか? まあいい。では、帰る場所はわかるか?」
「…………」
これにも少女は答えない。困った顔をして男は従者、仁鑑を見た。
「どうするかは、貴方次第ですよ」
「そうだな……」
きっぱりと言われて考え込む。
少しおいて、男は決心したように口を開いた。
「帰る場所がないなら、俺たちのところに来るか?」
その言葉に、少女はぱっと顔を上げた。そこには、驚きと戸惑い、そして喜びの表情が浮かんでいた。
「決まりだな。俺は盛雲という者だ。こいつらは俺の仲間、皆悪い奴じゃない」
後ろに立っている男たちを示す男、盛雲に、少女は静かに頷く。それを見て、盛雲はゆっくりと立ち上がった。
「俺はまだ少し用があるから、こいつについて行け。――頼んだぞ、仁鑑」
「御意」
仁鑑はすぐにそう答え、軽く頭を下げる。先程までの馴れ馴れしさが嘘のようだ。二人の間に、少女にとっては堅苦しい主従関係が感じられた。
「そうだ、名がないと呼ぶのに困るな……」
そう言って盛雲は顎に手を当て、少女を眺める。それに反応するように、少女も恐る恐る立ち上がった。
元々は上等だったであろう、土まみれでぼろぼろになった衣服。男たちとは対照的な、白く細い手足。その小さな手に握りしめられた、鈴。空を見上げれば、真っ暗なそこに満月が輝いていた。
「夜に鳴り響く鈴の音……」
そう口にする盛雲を少女は不思議そうに見上げていた。そんな少女がビクッとなったのは、ずっと静かだった盛雲が「そうだ!」と叫んだからだ。
「夜鈴っていうのはどうだ?」
「夜鈴……」
少女はその音を確かめるように、ぽつりと呟く。
それは、彼女にとってとても気持ちの良い響きだった。
「素敵な名前ですね。夜鈴……。うん、綺麗……」
少女はすっかり安心したのか、嬉しそうに何度も繰り返している。
「気に入ったようで何よりだ。では仁鑑、夜鈴を頼む」
盛雲は早速少女を夜鈴と呼んだ。怯えていた少女はもう無邪気な笑みを浮かべていて、それが少し、盛雲の親心をくすぐった。
しかし彼にはまだ、依頼人、村人への解決報告という仕事がある。
夜鈴の面倒を見ていたい衝動を抑えて、先に森を出て行った。
「では、我々も行きましょうか。……夜鈴」
盛雲より少し年上の仁鑑は、戸惑い気味に名を呼んだ。少女は嬉しそうに頷く。
それを合図に、男たちは皆、森の出口へと動き出した。彼らは少女を連れて帰ること、名を付けることに少々抵抗感を覚えていたようだが、盛雲の意向ということで一人も反対はしなかった。
その代わりに、これから起こるであろう面倒な問題の解決に向け、覚悟を決めたのだった。
その満月の夜、三日も森の中にいた謎の少女は夜鈴と名付けられ、盛雲たちのもとで暮らすことになった。そこは『何でも屋』という、平民なら誰もが憧れる裕福な集団だった。
その名の通り、何でも引き受け、実行する。本当に、何でも。そこに例外は存在しない。
よって、彼らが受ける依頼のほとんどは『殺し』であった。
夜鈴はこの夜、殺し屋御三家の一つ、龍神家の頭首・盛雲の娘となった。