52 預言
評価を頂いたみたいで、ありがとうございます。
暗闇を抜けた先は真っ白な世界だった。
空もなく、地平線さえ認識出来ない。ごく普通の精神ならば発狂しそうな空間だが、白の姫はある一点を凝視していた。シャティヨンは今も昔も覚悟をしていて、クラウディアがそうなら慌てない。森の上位精霊とは何度か会っている長老のザカリアも落ち着いたようだ。
「ミスズ、早くして」
≪はいはい。今行くわ≫
クラウディアの視線の先に現れたのは白くボンヤリした人影。見える線から成人の女性で、ぱっと見はヒト種のようだ。シャティヨンは、何となくエルフのような者と思っていたため、ほんの少しだけ眉を顰めた。
≪じゃあ長くなるから座って話しましょう。さ、どうぞ≫
次に現れたのは、椅子が四脚と大きめのテーブル。それを認めると、クラウディアはそそくさと席についた。とにかく早く話を聞いて、直ぐにでもセナの元へ向かいたいのだ。溜息をこぼしたザカリアと無表情のシャティヨンが続く。テーブルの対面にはすでに座った姿勢のミスズ。残念ながら表情などは見えず、白っぽいカタチだけのようだ。
≪……風の上位精霊とは会えたみたいね≫
「分かるの?」
≪まあね。私も上位精霊の一つだし。悲哀の上位精霊ちゃんも寄り添ってくれてるから、貴女は確かに白の姫で間違いない。たったの百五十年でその域に届くなんて、歴史的にも珍しい≫
「じゃあ早く」
≪でも足りないわね。セナちゃんに勝ち、そして助けるには」
その言葉に、シャティヨンは思わず声を上げた。
「何故ですか? セナは確かに素晴らしい戦士ですが、あくまで一介の黒エルフ。アダルベララの力を加えたとしても、今のクラウに勝ち目がないとは思えません」
≪勝つと言っても、ただ戦いだけを言ってないわ。ねえ、クラウディア。貴女にとっての勝利って試合でセナちゃんを負かすことかしら? ええ、そうね、そんな小さな話じゃない。例え世界で最も強くても、大切な者を喪ったなら負けを意味する。そしてそれは、私にとっても同じなのよ≫
ミスズの話し方に慣れているザカリアは、黙ったまま聞いている。だがシャティヨンも、クラウディアも、遠回しな話し振りに反論したくなった。それを察したのか、ミスズは話を被せていく。
≪誤解してるみたいだから言っておくわ。単純な戦闘においても、今のクラウディアだとセナちゃんに負けると思う。勝率はまあ、多く見て一割五分かしら。もちろん本気の、制限を無くしたセナちゃんに、だけどね≫
「そんなに? セナってそんなに強いの?」
何故かクラウディアは嬉しそうだ。それをウンザリした顔で見るザカリア。
≪そうね。エルフに分かり易い表現で言うと……セナちゃんは"黒の姫"よ。彼女自身に自覚は全くないけれど、そう呼ばれても不自然じゃない力を持ってるわ。精霊との親和性はエルフ種が勝るのが一般的でも、あの娘には関係ない。制御不可能とされる怒りの上位精霊さえも、セナちゃんを祝福出来ないほどだから。今のところ、史上にも現れていない稀有な精霊使いよ≫
フフンと、今度は何故か胸を張るクラウディア。ほら、私のセナは凄いんだから。そんな台詞が目に見えるようだ。ザカリアは眉間をグニグニし、無表情のシャティヨンすら天を仰いだ。
≪そんなセナちゃんに今もこれからも、怒りの上位精霊は寄り添い続ける、はずだった。ずっと昔から、私が見ていた未来にも変化なんて無かったの≫
不吉な言い回し。クラウディアは視線を鋭くし、シャティヨン達も改めて聞く体勢に変わった。
そして、表情など見えないのに、ミスズが不安そうに俯いたのが分かる。森の上位精霊であろうと、あらゆる全てを理解するなど不可能だ。
「説明して」
≪……セナちゃんはこの世界に産まれ落ちてから最近まで、ずっと怒りを抱えていた。誰も理解出来ない特別な事情でね。その怒りはある意味で世界唯一のものだから、怒りの上位精霊も寄り添うことを決めたのだと思う≫
異世界から落ちてきたことも、元の人生だって説明は出来なかった。いや、しても理解出来ないだろう。ミスズならば立場が似ているが、もう二度と二人は会えない。
怒りの上位精霊は、セナの怒りに共振して、そしてそれを助けもする。それがアダルベララであり、敵対者としての力を補助さえしたのだ。しかし今、セナ=エンデヴァルに何かが起きようとしている。
≪望みもしない孤独を強いられ、いつも寂しい想いに駆られ続ける。生み出されるのは、より特別で強い怒り。それがあるからこそ"祝福"なんて必要なかった。でも、ある変化が起きたの。今から百五十年前のことよ≫
百五十年前。それを知り、シャティヨンもザカリアも、そしてクラウディアも理解した。避けられない運命が訪れたことを。
≪そう。セナちゃんは貴女に出会ってしまった≫
その言葉には複雑な感情が混ざっている。同情なのか、憐憫なのか、あるいは怒りか。判然としなくても、ミスズがセナを憂いているのは間違いない。
≪暫くしてアナタ達は愛し合い、互いを何よりも大切な存在だと思うようになる。孤独な世界から飛び立つ鳥のように、それはどんな心の変化だったと思う?≫
察した風のクラウディア。それを少しだけ微笑ましく眺め、ミスズは幸せそうに、悲しそうに伝える。
≪セナちゃんは初めて"心からこの世界を愛し始めた"の。白の姫が生きる場所だから、何よりも大事だって。そして、その気持ちは今も色褪せていない≫
その変化を知った怒りの上位精霊。
あの精霊がいつ祝福するのか誰も分からない。そして、もしその時が訪れたならば、セナは狂戦士と成り果てる。それがどれだけ哀しい結果を導こうと、それがあの精霊の愛し方なのだ。
◯ ◯ ◯
自分の所為なのかと、そんな風に責めているのだろう。そんなクラウディアの背中を摩り、シャティヨンも哀しそうな表情を見せている。ザカリアさえもそうだから、返すべき声を上げた。
「ミスズ。クラウディアを責める為に呼んだ訳じゃないはずだろう。白の姫とは言え、この娘はまだ子供なんだ。余り苛めないで欲しい」
≪そうね、ごめんなさい。そんな哀しそうな顔をしないで。私も、そしてセナちゃんも、アナタとの出会いを悔いたりなんて絶対にしてない。だって、クラウディアが初めてよ? セナちゃんに寄り添って生きることが出来る相手なんて。ね、だから説明させて?≫
慈愛溢れる言葉達をミスズは重ねていく。
今から五十年程度。怒りの上位精霊が動き出す。残念ながら、それはどうあっても避けられない。それを避けられるとしたら、セナがクラウディアへの想いを捨て切るしかないからだ。
≪アダルベララをただ破壊しても意味がない。もう既に、あの精霊はセナちゃんの心に巣食ってしまったの。まず一番心配してるのは、祝福自体をセナちゃん自身が知ってしまうことよ。もしそんな事を知ったら……あの優しいセナちゃんだもの、想像出来るでしょう?≫
「……狂戦士になってしまったら周りへの被害が酷いとセナは分かってる。だったら見つからない場所に身を隠すか……ううん、最悪は自分で命を」
≪クラウディアの言う通り、私もそう思う。この世界に、アナタに万が一危険が迫るなら、セナちゃんは決断してしまうわ。自らの罪だって、それが一番良い方法だって、ね。だから、まずはこの事実を絶対に悟られない事。これが最初の注意点よ≫
コクリとクラウディア達は頷いた。その懸念を十分に理解出来るからだ。あの黒エルフの善性に疑いなんて持っていない。
≪その上で、怒りの上位精霊に祝福させる≫
今度は全員が怪訝な顔色になった。それも当然だろう。
「一体何を言って……」
≪但し、それは私達の手のひらの上で、時間も場所もコントロールして。祝福のそのあとならば、引き剥がす可能性が高まるのよ≫
こんとろーる? 一瞬聞いたことない単語に反応しそうになったが、含まれる意味は理解出来たからか、そのままにシャティヨンが質問を続ける。
「意図的に起こすと言う事ですか? しかしどうやって」
≪大体は理解してるでしょ? セナちゃんはある理由から強力な未来視を持っている。だから、本当に可哀想だけど……心を揺さぶる方法は分かってるの。あの娘が見た遠い未来は、誰よりも大切な者の危機だったから。血、冬、雪、森、そしてクラウディア。アナタなら分かるんじゃない?≫
「……うん、分かる」
あの別れの朝、セナは突然叫んだのだ。もうすぐ冬が来る、と。つまり、何らの未来を知り、その条件にそれ等が含まれるのだろう。だからこそセナはクラウディアから身を隠すのだから。
≪今のセナちゃんは徹底的に避けてるわ。特に雪と森の組み合わせね。その場に、クラウディアのそばに自分さえいなければって。つまり、これがトリガーになる≫
またも意味不明な"とりがー"と言う単語だが、もう慣れたのかクラウディア達は反応しないようだ。
≪寒い地域には絶対に現れない。だったら無理矢理でも雪を降らせましょう。先ずは雪と氷の上位精霊と話をしてきて。彼は優しくて理性的な精霊だから、直ぐに理解してくれるでしょう。更にあと二人の上位精霊の力を借りないと、まともに戦うことも出来ないから時間はギリギリかもね。間に合えばアーシントだけど……ちょっと難しいかしら≫
「そんなに怒りの上位精霊は厄介だと? しかしクラウには対とされる悲哀の上位精霊がいますが」
≪悲哀の上位精霊ちゃんがクラウディアを愛してくれてるのは本当に僥倖よ。怒りの上位精霊と同じくらい珍しい精霊だからね。でも、残念ながら戦いには不向きなの。逆に相手は相性が良すぎて困るくらい。だから、まだ足りないわ≫
「では、どうすれば」
≪……悪いけど、ここから先は、アナタ達の受け取り方、判断に掛かってる。これ以上を伝えると、セナちゃんが知ってしまう危険があるの。さっきも言ったけど、彼女は私と同じ強力な未来視を持っているから。つまり出来るのは、幾つかある道の一つを提示することだけ。どう考え、行動するか任せるわ≫
正確に言えば、敵対者としての能力は非常に強力で、同時に厄介な危険を孕んでいる。くそったれの世界に見つかったなら、揺り戻しが起きてしまうからだ。それを明確に伝えられないミスズは悔しかったが、ようやく見つけたセナを救うチャンスはここしかなかった。
≪絶対にセナちゃんに伝わらないように≫
≪見られていると自覚し、全ての行動を隠して≫
≪一度だけ。一度だけ話すからよく聞きなさい≫
「炎」と「勇気」、そしてオーフェルレム。
世界の海に漂うヒト種の天才たち。
赤を纏う才女と青年。
全ての精霊は隠す事なく白日に。
老ドワーフの抱えた想いは結末を紡ぐ糸のよう。
黒い森で運命に踊る、セナを想う者達よ。
アナタ達は嘆き、苦しみ、倒れ伏す姿を見ることになる。それでも、優しく受け入れ、耐えなさい。
晒された精霊を結集し、哀しき絶望の淵へ旅立つ。怒りの上位精霊はセナを抱き締め愛してくれるでしょう。そんな祝福へ堕ちる瞬間、鈴が音を奏でたとき。世界に、淡く、淡く、どこまでも淡く溶け出していく。
真円は描かれ、忘却の彼方。全てが混沌へ。
それでも悲哀を、勇気を、怒りを愛してあげて。
暗い夜の訪れた夕焼けに、真っ白な朝日が映ることを。