46 カン違い
果実水がテーブルに到着し、残りの肴や酒も並んだようだ。届けた店主は「ごゆっくり」と一言だけ溢し去って行った。
夜は更に深まり、見渡せば客足は多少減っている。ただその分酔っ払いも増え、騒がしさに変わりはない。そんないつもの雰囲気を味わいながら、セウルスは赤い瞳を向けて話し始めた。
「こちらから話を持ち掛けた以上、先に情報を開示します。ただ、その前に言っておきますが、依頼主からの条件の中に含まれているので、違反をしているわけじゃありません」
「条件? 情報の開示がか?」
思わずヒューゴが聞き直した。かなり珍しいからだ。
「正確に言うなら、凡ゆる準備を進めるよう全ての判断を任せる、ですが。例えば新たな情報の入手には資金を提供され、一定量の冒険者増員も同様ですね」
「……なんだそりゃ」
今度はドティルが呟いた。依頼主が冒険者にそこまで任せるなんて聞いたことがない。各国に一、二組存在するような超高位のパーティを除き、まず有り得ない話だ。赤の旋風は確かに高位に数えられるが、まだ比較的新しく、その域には到達していないだろう。
ますます深く聞くのが怖くなってくる。それも仕方ないだろう。セウルスはそれを感じたようだが、会話を止める気はないらしい。
「調査と別に、二つの依頼が含まれていました。簡単に言えば、護衛、そして戦闘状況の報告。と言うか、後者が本来のものでしょう」
「護衛か。あの森ならば当たり前だし、赤の旋風は最適と思う」
「ありがとうございます」
「ははん、分かったぞ。その護衛対象がヤバい奴なんだろ? 身分を隠した誰かさんとか、他国からの要望とか。それなら俺達と依頼内容が被るのは望ましくない。二重依頼なら尚更だ」
「……いえ、残念ながら。ドティルさんの考え方は間違っていませんが、今回は例外なんです」
ドヤ顔で当てにいったのに、ドティルはちょっと恥ずかしい。ヨヒムはニヤリと笑い、普段無口なイェンまで笑っている。こいつらこんな時だけ感情を見せやがってと、ドティルの羞恥心は増すばかりだ。
「じゃあ何なんだ」
「ヒューゴさん。勿体ぶっているわけじゃなく、僕らも少し混乱してまして。先ずは依頼の内容を大まかなに説明します」
護衛対象は女性。ヒトか異種族か、赤の旋風が正しいと思う行動に期待している。そうだと判断したら、貴方達の全てを賭けて護って欲しい。但し、護衛に際して重要な条件がある。必ず偶然を装い、依頼があったことを明かさないように。これに違反した場合、罰則を覚悟して貰う。
「細かな指示は他にもありますが……そんな内容でした。どうですか? 不思議な依頼でしょう?」
「……」
困惑。そうとしか取れない表情のまま、ドティル達は顔を見合わせている。質問を返すのも馬鹿らしいが、指摘しないのも気持ち悪い。だから酒を一口だけ飲み、ヒューゴは言葉にしていった。
「あー、つまり、女性と言うだけで、護衛対象の名前も種族も不明なのか? いや、態々ヒト以外をこの国で求めるなら、異種族の可能性が高いだろうが」
「はい」
「何から護るのかも?」
「凡ゆる危険から、ですね」
「いやいや……何の冗談だ? そんなの達成しようがないじゃないか」
「ええ。混乱するのも分かるでしょう?」
もう一度酒を煽った。ドティルやヨヒムも同じだ。ベレルマンの爺様は黙ってチビリチビリしてるし、キーランは瞼を閉じたまま。まさか寝てるのかとドティルは疑っていたりする。
「そんな意味不明な依頼なんて蹴っちまえ。アホらし過ぎて罠とも思えないが……赤の旋風に何か恨みがある奴が絵を描いた可能性だってある」
「いえ、既に依頼は請けました」
「マジかよ……べレルマンの爺様がいながら、何でこんな」
「ワシもセウルスの判断と一緒じゃ。無論キーランやイェンもな。ワシらはこれから凡ゆる準備をして、力の全てを合わせ達成するつもりじゃよ」
「何を言ってるんだ? 一体どうやって? だいたい何もかも分からないことだらけじゃないか。あの森はただでさえ危険で、油断すれば全滅するかもしれないんだぞ。そんな場所で意味不明な依頼に振り回されたら……誰だって、イェンだって、死ぬわけにはいかないだろうが!」
ドティルは、思わず大声で怒鳴ってしまう。あまりに無謀で、意味の分からない危険に腹が立ってしまった。イェンも、溺愛する娘を残して死ぬなんて絶対に認めないだろう。
そんなドティルの心からの怒りと嘆きに、セウルスは思わず笑みを浮かべた。彼の人柄は以前から変わらず、尊敬に値する男。戦う力に大きな差があろうとも、その気持ちに変わりはなかった。
「聞いてください。本来ならば僕達もこんな依頼を請けたりしません。ですが、依頼主はこのオーフェルレム聖王国に於いて、恐らく最も信用に足る人物です。ですから、この依頼にはきっと深い意義がある。そう判断しました」
「……大きく出たな。最初に言っていたが、余程の奴なのか?」
「はい、それはもう。アーシア王女殿下その人です」
「「……は?」」
ドティルとヒューゴは同時に呟き、ヨヒムはガタリと立ち上がった。セウルスが余りにあっさり言うものだから、少し理解が遅れたのもあるだろう。
「しかも身分を明かしての、直接の指名依頼。他言無用である理由、分かるでしょう? 吹聴する気も失せたと思います」
当たり前だ。この聖王国の最重要人物に数えられる王女の期待を裏切ったならば、この国に居られなくなるかもしれない。そんな不安に誰が抗えるのか。
そして、情報の擦り合わせを求めて来たのも理解出来る。依頼達成に向けて、一切の手抜きなど有り得ないはずだ。
「あの黒の森で何が起きるってんだ……」
「恐らく精霊絡みで間違いないと思っています。一方の調査依頼は"気候の変化"ですから。そして"レミュの街角に住まう占術師"という謎の人物が似た依頼を掛けていて、バイアの皆さんは個人的な願いとして同じ調査をしている。しかも対象の場所は"黒の森"。聖王国正規軍を動かせない事情も何かあるでしょうし、アーシア王女殿下の深謀遠慮は誰もが認めるところですからね」
何も分からない。それの何と恐ろしいことか。そして、もしかしたら自分たちも関わっているかもしれないのだ。
「……あのアーシア王女様のことだ。確かに何かあるのは間違いないか」
「はい。ですのでバイアが持つ情報が僕達に必要です。皆さんに依頼した誰かは、この"何か"を知っているでしょうから」
「言っていることは分かる、分かるが……」
だが依頼主の情報を明かすなど、冒険者にとっては禁忌に等しい。そもそも大半はギルド経由で、その情報すら伏せられているのだから。今回の赤の旋風は特殊な条件付きのようだが、普通は有り得ないのだ。そしてバイアの依頼主、つまりセナは自分のことを伏せておいて欲しいと言っていた。
「……ちょっと三人で話して来る。少し待っててくれ」
「はい」
ヒューゴとヨヒムを促し、ドティルは席を立った。
◯ ◯ ◯
「結論は出ましたか?」
「ああ。ある程度は提示しようと思う。ただ、依頼主については限らせて貰う。俺たちから名前は明かせない」
「ありがとうございます。十分ですよ」
「それと、あと一つ」
「はい」
「バイアを加えてくれないか。もちろん黒の森の難度に実力不足なのは理解しているが、それでも」「はい。お願いします」「足手纏い……ん? 何つった?」
「一緒に行きましょう。もちろん報酬も用意します」
「え? マジで?」
「寧ろ此方からお願いしようと思ってましたから」
「お、おう」
セウルスの顔色を見ても冗談ではないようだ。いや、彼の性格から考えて、この場面で茶化す様な話はしない。ベレルマンもキーランも、イェンだって表情に変化はなかった。バイアが話し合っている時間に赤の旋風も決めていたのだろう。
「さあ座ってください。今は共同で依頼を請けた仲間ですから」
「ったく。セウルスもいい性格してやがるぜ」
「褒め言葉として受け取っておきますね」
苦笑しつつ、バイアの三人は腰を下ろした。そして慎重に会話を続けていく。
「まず気候のことだが、あの森に雪が降っているのを見たらしい。吹雪に近い強さだったそうだ。乗り合い馬車からの目撃情報で、その裏どりをしてたんだ。日時と大まかな場所は……これだ」
「……つい最近ですね。森の、かなり深いところ……なるほど。雪、吹雪」
「ああ、眉唾だろ?」
「どうでしょうか。自然な現象ならば疑いますが、意図的と考えれば辻褄が合いますね。つまり、精霊の悪戯じゃないなら……誘い込みとか」
誘い込みと言われ、確かにとドティルも感じた。気候の変化を探している誰かがいて、その者に悪意を持つ輩がいるとしたら。あんな南方で雪なんて降ったら不自然に過ぎる。つまり、誘われてしまうだろう。そして、その誘い込みたい対象は……
「レミュの街角に住まう占術師。その依頼主を罠に嵌めたい誰かがいると考えられますね」
「くそっ、まずいな……早く報せてやらないと」
その占術師がセナ=エンデヴァルと確信しているドティルは、心配で居ても立っても居られなくなってきた。例え自分より遥かに強かろう黒エルフでも、惚れた相手なのだから。
「待ってくださいドティルさん。まだもう一つの可能性があります」
「もう一つ?」
「はい。そちらの、その依頼主こそが首魁である、と」
「はあ? なぜだ?」
「落ち着いて考えてください。ギルドに出ている占術師の正体を知っているのですか? 本当に同一の人物なのか、誰かと間違っている可能性は? 更に言えば、詐称していることも考慮しないといけません」
「……そ、そんなはずは」
ギルドに依頼した者とセナが同一人物なのか、自分たちでは調べようがなかった。
「気候の変化を案じ調べていたとき、何故か自分の掛けた依頼と似た話が耳に入る。誰でも気になるでしょう。つまり、本来の、僕等が護るべき相手は反対の、そちらの方かもしれません。ですから教えてください。こんな珍しくもない依頼を何故か正規でなく……冒険者ギルドを経由せずバイアに話してきたのは誰でしょうか? もし危険な相手だったら大変なことになりますよ」
冒険者ギルドでは直接の依頼を禁止しているからだ。
「そ、そんなの、ありえない」
嫌でも、疑問が擡げる。考えたくもないのに否定なんて出来ない。そう、指摘を受けてみれば確かに不自然なのだ。まるで偶然のように現れ、自分達を救ってくれた。どこまでも善良で、最初は見返りだって求めなかった。そのあと出て来た願いは、気候の変化に関する調査依頼。しかも実際の彼女はただの占術師などでなく……もし古き冒険者に詳しいヒューゴが居なかったら、自分が赤と黒だと明かしただろうか。
そんなドティルの疑問と動揺を見て、ずっと黙っていたヒューゴが呟いた。約束として名は明かさない。そもそも今の時代に生きるヒト種ならば、大半が知らない相手だ。
「占術師と言うより、随分前に冒険者を引退した女性だな。名前はまあ"赤と黒"と言っておこうか。俺達の依頼主は彼女だよ」
「ルフスアテルだとぉ⁉︎」
今まで一言も喋らなかったキーランが青白い顔をして叫んだ。彼はクォーターとはいえエルフの血が流れている。それを忘れていたヒューゴは苦い顔をした。
「ま、まさか黒エルフなどでは……やはりそうか! セウルス! 確定であるぞ! 奴だ、奴が絵を描いたに違いない! 黒き死を求め、その限りを尽くす化け物だ! 殺戮の魔弓アダルベララの使い手にして、近付いた者は仲間であろうと血の海に沈む! ああ、ああ、何と恐ろしい! まだ生きておったか!」
キーランの演技染みた声と仕草。
だが、だからこそ彼の恐怖は際立って見えた。