6 アダルベララ
「お前、こりゃあ……」
セナが長めの皮袋から取り出したソレを眺め、ドワーフの老鍛冶師ヴァランタンは呟いた。
「えーっと……」
「……ひでぇな、おい。セナらしいと言えばそうだが……」
「ご、ごめんね?」
するとヴァランタンはクワリと目を見開き、血管も浮き出たようだ。ドワーフらしい白髭に包まれた口を大きく開けると、怒鳴り声が店内に響き始めた。因みに、セナは慣れているのか両手を長耳に当てて塞いでいる。
「こんの馬鹿娘が! あれだけ装備を大事にしろと言っただろうが! この弓は古くから伝わる、特別な、銘持ちの武器なんだぞ! 幾らエルフ族にとって弓が手足と一緒だろうと限度があるぞ、限度が!!」
まず単純に汚い。何かの液体にところどころ染まっているが、多分魔物か獣の血だろう。あと美しい彫刻に彩られていた筈のハンドルも一緒だ。リムも何だかバランスが悪いし、何処かにぶつけたのか。ストリング、つまり弦もユルユルでまともに矢が放てるとは思えない。何より、長い間放置していたのは間違い無いだろう。
綺麗な橙色した瞳も隠れている。つまりセナは瞼をギュッと瞑り、ヴァランタンの怒りが収まるのを待っているようだ。
「セナ! 聞いてるのか!」
「はいはい、聞こえてますぅ。塞いでてもバッチリ」
「だったら少しはちゃんとしろ!」
「うー」
「お前も世界に名を馳せた冒険者だろうに! 後輩達に申し訳なく思わんのか! セナの弓に、英雄譚に憧れて志した奴等もたくさんいるんだぞ、コラ!」
「えー、私は占術師ですから……」
「ああん⁉︎」
「ご、ごめんなさい」
世界には多くの英雄譚が伝わっている。その中には黒エルフであるセナも含まれているのだが、当人は全く誇っていなかった。寧ろ忘れて欲しいらしく、基本的にセナとして表に出る事も少ない。
この弓は「アダルベララの紅弓」と呼ばれるほぼ伝説と化した武器だ。そして、セナの代名詞的な装備でもある。値段なんてつける事も不可能で、何より操る者がいない。目の前の黒エルフを除いて。この弓を十全に操るには、ただ弓の腕があれば良いと言う訳では無いのだ。
「あれだけ家事も得意で、綺麗好きなセナだろうに、何で装備だけはダメなんだ……」
「魔物の血ってばっちいから。触りたくない」
「なら直ぐに拭けよ」
「……帰ったら、あとで、とか思ってたらつい」
「はぁ……相変わらず血がダメなのか」
「うん、まあね」
ヴァランタンはそれ以上追求出来ない。彼女は非常に強力な戦闘力を持っているが、同時に相当な平和主義でもある。過去にあった様々な事情から血が苦手となっており、今では出来るだけ戦いから距離を取る黒エルフなのだ。料理も好きらしいが、野菜や果物中心で肉を好まないのもソレが理由だろう。
ずっと昔に冒険者として戦っていた。それはあくまで生活費を稼ぐためで、仕方なく所属していただけだ。占術師の資格を得てからは、あっさり冒険者稼業から足を洗った。当時の冒険者ギルドは何とか留まって欲しかったが、セナは決して首を縦に振らなかった。実のところ血が苦手などと知る者は少なかったのだ。
ヴァランタンは彼女の過去を多少知っており、その特殊な出生と育ちから強く言えない部分もある。
「で、コレを整備するって事はまさか……」
だが、ニコリと笑うだけでセナは答えなかった。"聖級"の占術師は世界に唯一人。その占術は未来を見通し、多くの危機すら予兆を掴むと言う。彼女曰く、未来は決して決まってはいないらしいが、幾つかある可能性に辿り着く選択がある。間違えば、きっと良からぬ事が起きるのだろう。
「それで、料金なんだけど占術師組合からお金を下ろすから、少しだけ待っててよ。勿論それまでは触らなくて良いし、倉庫にでも放り投げておいてくれるかな」
「ああ、組合に預けた金は簡単に引き出せなくなったからな」
「らしいね。ラウラに聞いたよ」
「だが、駄目だ」
「ええ⁉︎ そ、そこを何とか」
長い両耳が萎れ、セナの感情を示している。まあ顔色もそのものだから、耳を見なくてもよく分かるのだが。
「金は要らん。整備は任せておけ」
「……え?」
「その代わり約束しろ。次からはちゃんと面倒を見るってな。難しいなら俺のところに持って来るんだ。それくらいなら出来るだろう」
「えー、タダってそう言う訳にはいかないよ」
「いやなら他に持っていくか? 言っとくが、この弓は有名だから、お前だって直ぐにバレちまうぞ? レオアノ王子殿下の耳に入るんじゃないか、すぐに」
「うーん……」
「あと、分かってるだろうが……"白の姫"がずっとお前を探しているからな。あの超絶お姫様のことだ、セナの気配を察知したら間違いなくすっ飛んで来るぞ。アダルベララの紅弓から直ぐに伝わって、聖都レミュに御降臨なんて勘弁してくれよ」
「うぅ、ソレは確かに困るかも」
「俺なら全部内緒にしてやれるな」
「……お願いします」
「全く、最初からそう言えばいいんだ」
「むー」
「そんな可愛らしい顔をしても駄目だ。諦めて今日は帰っちまえ。そうだな……七日あれば何とかしよう。その頃にまた来な」
「分かった。じゃあヴァランタン、お願い」
「気乗りしないなら、また酒とセナの手料理でも持って来い。それで許してやるよ」
「ふふふ、りょーかい」
ピンと両耳が立ち、セナの御機嫌も治ったらしい。お前はいつも笑っていればいい。そんな風に伝えたかったが、ヴァランタンはガラじゃないと言葉にしなかった。それが紛れもない本心であろうとも。
◯ ◯ ◯
「もう一度、お風呂に入ろっかな」
自宅兼占術師の店に帰り着くと、セナは相変わらずの独り言を呟いた。早朝に掃除を済ませ、朝風呂にも入った。しかし街中をたくさん歩き回ったし、何だか埃っぽい気がするのだ。基本的に綺麗好きでもあるから、早く洗い流したい気になるのだろう。
「よし」
奥に纏めてあった籠から、ガサゴソと着替えを取り出した。上下の下着、夜着、体を拭く布などだ。
「ラ、ラララァ♪」
魔法を操り、湯船に張った水を温める。予め設置された魔法具は如何なく力を発揮し、直ぐに丁度良い温度になった。セナは温めのお湯に長く浸かるのが好きだから、少しだけ早く準備も終わったようだ。
続いて衣服を取り払い、洗濯籠にポイと放り投げた。下着も同様だ。
そして、誰もが見惚れるだろう裸体が晒される。
衣服やローブを持ち上げていた双丘は、やはり見事な形と大きさだ。腰回りは非常に細く、本当に臓器が入っているのか疑わしい。それに反して尻は丸いから、胸ほどではないが当然にらしい線を誇っていた。因みに、両胸の頂点は薄い桃色のようだ。
セナは括り紐で髪を結ぶ。黄金色の髪はそこまで長くないが、湯船の湯に浸けるのは駄目と昔の知り合いに教わったのだ。それからはクセになり、自然に出来るようになっていた。
先ずは手桶で身体中にお湯を掛ける。それを三度行うと、お待ちかねの入水だ。
「ふぃぃ」
満足気な目尻と表情に、セナの気持ちは表されている。両耳はほんの少しだけ垂れているが、これは心身が弛緩した証左だろう。
「あー、気持ちいい」
この世界の住人は基本的に毎日風呂に入ったりしない。水浴びが一般的で、手拭きで済ます場合もある。魔法自体は広く利用されているが、水を温める魔法具が高価なのも理由だ。
「はー、やっぱり日本人なら風呂だよな。これがないと眠りも浅い気がするし。ついでに風呂上がりのコーヒー牛乳でもあれば完璧なのになぁ」
そう、彼女セナ=エンデヴァルはこの世界の生まれではない。正確にはセナの肉体に憑依した元日本人と言えばいいか。因みに、元男の子でもあるので二重に違ってしまっている。
「本場のポテチ食べたい……」
あの安っぽくて塩辛い、体に悪そうな食べ物が好きだった。近いものは作れるが、一向に同じ味が再現出来ないのだ。
この身体になってから非常に長い年月が経っている。だから流石に違和感も無くなったし、今更女体に慌てたりもしない。まあ最初の頃は大変だったが。特に黒エルフ……セナの記憶でダークエルフと呼ばれる種族は、非常に色っぽい人が多いので、色々と困ったことも多かったらしい。
この身体も御多分に洩れず、美人なお姉様になってしまった。
思わずムニュリと両胸を掴む。適度な弾力と、沈み込む柔らかさはちょっと気持ち良い。
「巨乳……重いだけだし、弓矢を扱うのも邪魔。はぁ、自分で持っててもなぁ」
まだ慣れない頃のセナは「わー、すっごいオッパイ!」と無邪気に喜んでいた。しかし、自らの身体がそうであることは直ぐに飽きが来る。色々と探究が済んだあと、これが賢者かと達観したものだ。
面倒なことに、弓を射つときは胸部にサポーターを入れないといけない。そうでもないと、弦に弾かれて大変なことになるのだ、冗談でなく。あの痛みは相当に酷いもので、セナは暫くの間のたうち回ったのを覚えている。
「……あーやめやめ! 明日から少しでも仕事しないと、生活費もカツカツなんだし。とにかく先ずは情報収集かな。あとラウラのお手伝いと、夜は酒場に行こう」
予定には冒険者の集まるギルドも含まれるが、セナは気乗りしない。血が苦手なために、あの場所が好きではないのだ。怪我人や血の汚れを気にしない者が多く、何より特徴的な容姿が余計な手間を増やしてしまう。だが、情報を扱うには最適なところな上、それ自体を依頼に掛けることも可能だ。情報収集は冒険者の代表的な仕事と言っていい。
「まあ気が向いたらで」
セナは無理矢理自分を納得させて……お湯の幸せに身を任せた。
キャラ紹介④
レオアノ。
第一話に登場。オーフェルレム聖王国の若き王子。彼が小さな頃危機に瀕したが、フワリと現れたセナに命を救われた過去がある。子供ながらに見た美貌と優しい笑顔。しかも頭をナデナデされて、抱っこまでして貰った。余りに強烈な記憶と印象だったのでレオアノはセナを忘れることが出来ず、今も惚れたまま。セナは何故かレオアノを気に掛けているフシがある。
赤髪、シーグリーンの瞳。身長はセナより少しだけ低い。性格は真っ直ぐで誠実。ロッタと呼ばれるお付きがいつもそばに居る。
キャラ紹介⑤
白の姫。
エルフ族の至宝。最高の美、最強の力。セナを愛し、行方を探し回っているらしい。登場はまだまだ先です。メインヒロインなのに。
ついでに武器紹介
アダルベララの紅弓
*エルフの世界では別の名前。
普通の弓としても非常に優秀で、腕のある弓士が扱えば必中に等しい力を持つと言う。また、射程も一般的な長弓の二倍近くに達する。*ただ実際には命中率も大きく落ちる。
第二の能力として、精霊力を浴びせるとそれに反発した属性を宿し、強力な魔法矢に変わって殺傷力が極端に増加する。
だが本来の力は別にある、らしい。血を嫌うセナがアダルベララを手放さないのもその辺に理由がある。また彼女だけが扱えると言われる所以もそこに。