❹憩いのひととき
この世界では情報の伝達が酷く遅い。正確性にも乏しく、その真偽を確認するため余計に時間と金が必要だ。
それでもセナは出来るだけ身を隠して来たし、冒険者時代の話などを漏らす事も無かった。占術師として名を使うが、顔は絶対に見せない。
因みに、偽名を使う事は占術師ギルドに登録する事をかなり難しくする。更に言えば、セナ自身も登録時に偽名を使うような意識が無かった。
冒険者を引退して十数年。黒エルフにとっては僅かな時、ヒト種ならば一昔前になる。そんな時間だけに、裏ではセナの名が情報に残っていたのだろう。
噂が時の流れの中に消え去るまで、もう少しの時間が必要だ。
「……おい、どうするんだ?」
ジャレッドは立ったままのセナに問い掛けた。微妙な空気感を感じたのか、レオナも黙ったままだったのだ。
「分かってるけど……」
セナの正直な気持ちを言葉にすれば「助けてあげたい」となるだろう。しかし同時に彼女は世界の"敵対者"だ。直接的な関わりを断ちたいのに、それでも目の前に現れる。そんな気味悪さをセナは感じていた。
後のセナ自身により、運命の"呼び寄せ"と名付けられる現象だ。何故か特徴的な人物や事柄に吸い寄せられ、気付けば逃げられない。これは自意識過剰などでなく、今後も幾度と無く現れることになる。
クラウディア然り、エルジュビエータ然り、揺り戻しはこれからもセナを苦悩させるだろう。森の上位精霊のミスズが言っていたように。
だが、やっぱり捨て置くことが出来ない。こればかりはセナが生来持っている性分だ。
頭に被せていたローブから顔を出し、もう一度レオナに向き直った。
それを見たレオナはポカンと気の抜けた表情に変わる。人生で初めて目にした種族であり、見慣れぬ長耳と褐色の肌が全てを示していた。
「く、黒エルフ? で、ではアナタが」
「そう、私はセナ。キミが探していた占術師だね」
気丈に振る舞っていたレオナだったが、緊張の糸が切れたのだろう。ポロポロと涙をこぼし、思わずセナの胸に抱き付く。この時ばかりは年相応の幼さと弱さを見せて、セナも暫くそのままにしてあげた。
「すいません……」
「うんん、気にしないで良いよ」
「その……セナさんの力をお借りしたいです」
「何でも出来る訳じゃないけど……キミはどうして欲しい?」
あっさりと請負われたので、レオナはちょっと吃驚したようだ。シーグリーンの瞳が見開かれたので間違いない。
「え……っと、その、危険は承知ですが、オーフェルまで私を護衛してくれたら」
「つまり、無事にオーフェルの仲間の所まで送り届ける。それがお願い、かな」
「はい」
「分かった。こっちも準備があるし、明日の深夜に出発する。それと、今から連れて行くからキミは私の家で休んでて。ここだと守りが厳しいし、親父さんに迷惑が掛かる」
「え、そ、そうですね」
凄い勢いで物事が決まっていくので、レオナはちょっと混乱していた。だが同時に、強い安心感、安堵の気持ちが生まれる。今日初めて会った異種族でもある他人なのに、何故だろうか、必ず戻れると思えた。
「セナ。決めたんだな」
「親父さんは今日の事を忘れて。いい?」
「ああ、分かってる」
「よし、薬も大体抜けたみたいだね。直ぐに動こう。まず私が今から外を確認する。そのあと合図するから、お店から出てついて来て。その時は絶対に声を出さず、必ず私の後ろに。手を繋ぐけど離さないこと」
「は、はい」
「じゃ、行ってくる」
そう言葉を残すと、セナは足音を殺し暗闇へ消えて行った。移動のために周囲の安全を確認に行ったのだろう。レオナはもう何を言ったら良いか分からず、ジャレッドの方を見た。
「ま、絶対なんてこの世界にはないが……セナが連れて行くと約束したならきっと大丈夫だ。あの見た目からは想像しづらいが、俺達ヒト種を遥かに超えた時間と経験を持つ、一時代を築いた超一流冒険者だからな。キミが生まれる前までは、セナ=エンデヴァルを知らない方がモグリと言われる、それほどの女だよ」
黒エルフの姿が消えた扉の方にレオナは視線を移し、何かを思っているのか言葉は返って来なかった。それを気にもせず、ジャレッドは続ける。
「それに……馬鹿みたいにお人好し……いやまあ黒エルフなんだが。今も占術をしながら、そっと誰かを助けたりしてる。そもそも今のレムに残る義理なんて無いだろうに」
「セナ……エンデヴァル……」
ボソリと再び名を溢し、ジッと扉を眺めたままだった。
◯ ◯ ◯
「草の下位精霊よ、力を私に」
路地裏の暗闇に足を踏み出す前、セナは姿隠しの精霊魔法を使った。"姿隠し"は文字通りのもので、足音や気配などが消えない。ただ今は障害物の多い街中で夜の暗闇。余程が無ければ見つからないだろう。
この精霊魔法は手の届く範囲ならば影響を与えることが出来るため、行使者のセナだけでなく、レオナも見えなくなっている。
問題は互いも見えなくなることだが……セナは彼女の手を握り、はぐれないようにしているようだ。事前の注意でこの精霊魔法を聞いたレオナは声を立てず、足音にも気を配る。優しく握ってくれているセナの体温を感じて余り恐怖感は感じない。
セナの住まいに到着するまでごく稀にヒトとすれ違ったり、明らかな体制側の兵士も居たが……結局彼等は気付かなかった。
カチャリと扉を開けて、セナはレオナを中へ促す。そのまま精霊魔法を解除し、漸く互いの姿を確認出来た。
安堵のため息のあと、レオナは小ぢんまりした部屋を観察する。窓には二重の木枠が嵌め込んであり、中の明かりや気配は漏れないように工夫されているようだ。
テーブルの上のランプに火を灯したセナは、身体を覆っていたローブを脱いで壁に掛ける。
「とりあえずは大丈夫かな。疲れたでしょ、そこ座って良いよ。軽いものだけど、食べ物とか持って来るから」
「は、はい。すいません」
言われたままに腰掛け、レオナは観察を続けた。
壁掛けにローブ、近くにはお手製らしき飾り棚が不規則に誂えてある。小さな鉢には野花と知らない植物が育てられていた。ほんのり香るのはその花達だろうか。反対側にはいくつかの食器と小物類。食器自体も装飾になっているのは酷く珍しい。
色合いも淡くて綺麗だなとレオナは思った。
ただ、全体的にはかなり質素で、ジャレッドが言う伝説的な元冒険者の部屋には正直見えない。ギルドでよく見掛ける武器類が無いのも大きいだろう。
「お待たせ」
「……」
軽いもの、セナはそう言ったはずだ。
確かにいま火を通したような料理はない。ないが、保存用の陶器の入れ物に入っているのは、彩り鮮やかな何かだ。
味付けをしてある木の実の煮付け。油で揚げただろう根菜類。お酢の香りが食欲を誘う野菜の和え物。これはキノコだろうか、焼き色も入って優しい匂い。
予め貯め込んだ保存食の一種だろうが、どれもこれも一手間掛けた料理だと分かる。
更にはチーズとパンまで出て来た。
「軽いもの……?」
レオナは思わずボソリと溢した。だって、香しいお茶が湯気を立てているのだ。オーフェルに無事帰ったとして、こんなものを食べたり出来る……筈がない。
材料一つ一つは決して高価なものじゃないのは分かる。だからと言って納得は出来ないレオナだった。
「口に合うなら全部食べて良いよ。また直ぐ作れるし」
「これって……全部セナさんが作ったんですか?」
「パンとチーズは違うよ?」
そこじゃありませんとレオナは反論したかったが、匂いに触発されたお腹がクーと鳴り、思わずフォークを手に取った。欲求のままに口に運ぶと、ジワリと旨味が広がる。
「……美味しい」
「良かった」
レオナから見て、目の前で佇む黒エルフは一人で此処に住んでいるようだ。生活空間の広さや食器類、雰囲気もそうだと言っている。なのにこんな美味しいものを普段から作り、全く意味の分からない精霊魔法を使い、ジャレッド曰く凄腕の元冒険者で、更には占術師までしているらしい。あとお人好し?まで加わる。
最後の別れのとき、仲間が一縷の望みを掛けて教えてくれた助力を求めるべき相手。それは予想と違い、いや上回ったのだ。
ジワリと涙が滲むのを感じ、レオナはそっと目元を拭った。その事には触れず、セナは今からの事を説明していく。
「後でお湯も用意しておく。身体を拭いてすっきりして。色々疲れただろうし、奥の部屋に小さいけどベッドがあるから」
「え? いや、そんな訳には」
まさかベッドが二つあるとは思えないし、信じられないほどに綺麗な女性と添い寝なぞレオナには経験がない。いや、孤児院にいた頃は雑魚寝ばかりだったが、あれは数に入れたり出来ないだろう。
そう言えば報酬の話をしていないと、レオナは思い出した。たった一つのベッドに入るよう言って来た黒エルフを恐る恐る観察する。女性同士で肌を重ねる事があるのを知っていたレオナは想像したのだ。
まさか報酬は自分の身体なのだろうか、と。この大変な時にお湯で拭くよう言って来たのだから。
なのに、何故か期待してしまう自分を自覚する。経験がないからこそ妄想だけはよくしていた。
「気にしないでいいよ。私は準備があるから出掛けるし、一人の方が気楽でしょ。但し、絶対に家から出ないでね。私以外の誰かが来たとしても……どうしたの? 顔が急に赤くなったけど」
「い、いえ! ななな何でもないですから!」
レオナは高潔な心を持っているが、実はちょっと妄想癖のある耳年増な年頃の少女なのだ。
不思議そうにしているセナの美貌を眺め、艶かしい唇から頑張って視線を逸らした。何故かがっかりしてしまい、レオナは新しい扉が少し開いたのを認識したらしい。




