4 永遠のひととき
セナ=エンデヴァルは朝早くから起き出して、新しい住居の掃除を始めていた。
先ずは全ての窓を開けて空気を入れ替える。少しだけ風精霊の力を借りてるのは内緒だ。一般的に風精霊と黒エルフは相容れないと言われるが、セナには通用しない。
「んー、はぁ」
新鮮な朝の空気を肺いっぱいに吸い込む。ただでさえ大きな両胸が膨らんだが、それを眺める他人はいないのだ。久しぶりの聖都にセナは少しだけ浮かれている。
「よし」
あとで水浴びもしたいから、先ずはお風呂場だねと一階に降りて行った。
ワイドなロングパンツも引っ張り上げ、木で出来た布挟みで膝上に固定する。植物の繊維を束ねたブラシを持つと、フンと気合いを入れた様だ。艶やかな太もも、スラリとした足。黒エルフらしい小麦色した肌が美しい。
「危ない危ない。着替えは少ないから大切にしないとね」
一人暮らしが長くなると独り言が増えるのだ。
やはり植物の汁などから作り出された洗剤をタイルに撒いた。ちなみに粉洗剤なので、水で溶かないと使えない。
「水よ」
撒いた洗剤に、魔法で生み出した水を加える。そしてシャカシャカとブラシで混ぜると泡立ち始めた。ゴシゴシと擦ると古い積み重なった汚れが浮き上がってきた。
「ふんふーん♪」
セナは家事が嫌いではない。特に汚れが無くなり綺麗になっていく様はかなり好きな部類に入る。濃い藍色と思っていたタイルはもっと淡い色合いだった。こっちの方が好きかもと、セナはますます上機嫌だ。
続いて湯船を洗う。この世界では毎日風呂に入るなんてしない。だから、此処の元の持ち主はかなりの趣味人だろう。まあ借主にとっては好都合で、毎日入るぞーと意気込んているようだ。
「よし、ここはおしまいっと」
うーむと細い顎に指を当て、今のうちに準備しておこうと決めた。再び魔法を唱える。
「水よ」
みるみるうちに湯船は綺麗な水で満たされた。温めるのは後だが、セナはうんうんと頷いている。何処か可愛らしいのが可笑しい。相当の美女なのだが、子供っぽさも併せ持つのだ。
寝室は昨夜のうちに済ましているので、次は仕事場を片付けることにしたようだ。そうして魔法具のお店だった表側に回る。するとちょうど来客があったのか、店先に人影が見えた。まだ占術師として活動もしてないし、組合にも場所を伝えていない。つまり、来客など限られる。セナの予想通りの姿につい笑ってしまった。つい昨日会ったばかりだ。
「ラウラ、おはよう」
「おはようございます、お姉様」
ラウラはヒト種の老婆だ。皺くちゃの顔に曲がった腰、杖も片手に持っていて、髪も真っ白。そんな老婆が若き美女に"お姉様"などと呼べば違和感しかないだろう。しかし二人にとっては馴染みな感じだし、セナは変わらずラウラを見ている。
「来てくれるのは嬉しいけど、朝からどうしたの?」
管理が行き届いていたので汚くは感じない。だが、まだ片付けは終わっていなかった。置いてあった椅子を布巾で拭い、セナはラウラに差し出す。
「あら、ありがとうございます……よっこらせと。朝ご飯ですよ、まだまともな準備もしてないでしょう。適当な露店ものですけど、一応買って来ました」
「わー、ありがと。お茶を淹れるから一緒に食べよっか」
後で適当に済ます気だったセナにとって、凄く有難い申し出だろう。
「はい、もちろん」
「よし、待ってて」
暫くすると茶葉の芳しい香りが漂ってきた。
「どうぞ、ラウラ」
「あら良い香り。でも、この茶葉はどうしたんですか?」
「持って来てたんだよ。前に居たアーシントで買ったやつ」
「アーシント? 熱砂漠のアーシント王国ですか?」
「そうそう」
アーシント王国はこのオーフェルレム聖王国から随分遠い。馬を走らせても二月は掛かる距離だ。まあヒト種から見てほぼ永遠の命をもつ彼女にとっては、時間など数える必要がないかもしれない。ラウラは思わず詳しく聞きたくなったが、余り自分のことを語りたがらないセナを思い出し自重した。昔、永く生きる事を羨ましいと話したとき、橙色した瞳が哀しそうに揺れたのをラウラは強く憶えている。子供はときに残酷な言葉を言ってしまうものだ。ラウラはそのあと大人になり、セナの孤独を知って後悔した。吐いた言葉は二度と返って来ない。
「……お姉様、今日はどうするのですか?」
「んー、先ずは家の片付けと、聖都の見学かな。かなり久しぶりだし、きっと変わった場所も多いでしょ。ゆっくり歩いてみるよ」
「そうですか。ならば南街区が良いかもしれないですね。かなり造成が進み、新しい街並みが綺麗ですから」
「そうなんだ。分かった、行ってみる」
「ええ。きっと楽しいですよ」
共に街を歩きたい。しかしラウラの足腰は酷く弱り、長い距離を一緒になんて無理だ。
「あ、これ美味しい」
余り肉を好まないセナを思い、野菜中心の朝飯だ。ある種の穀物と油で炒めた野菜を混ぜ合わせた団子と言えば良いか。安く、そして腹持ちも良い。聖都の庶民にとっても比較的知られたモノでもある。
「それはプティポトルですね。南街区へ行く途中に、露店商が多く並ぶ場所があるんです。他にも種類が沢山ありますから、お姉様の好きな野菜も買い出し出来ますよ。それと生活雑貨も豊富なので、これからの聖都の暮らしにも役立つでしょう」
プティポトルは混ぜ合わせる素材が多岐に渡り、色々と種類を味わえる。
「ふふ、ラウラったら凄く優しいね。あのお転婆娘も大人になったみたいで、お姉さんは嬉しいよ」
モグと手に持ったプティポトルを口に運んだ。そうやってセナは顔を下げたから、ちょうど長い両耳が目の前で揺れている。自分を冷やかしたお姉様に罰を与えるべく、ついでに愉しむために、ラウラは昨晩同様に耳を摘んだ。
「んぐぅ⁉︎」
口の中は一杯のため、文句も言えない。セナはサッと頭を振り、ほんの少しだけ距離を取った。頬が赤く染まったのが分かる。例え黒エルフだろうと、セナの表情は分かりやすい。
「あらあらお姉様、お行儀が悪いですよ」
「……ん、だ、から! 耳を触らないでって昔から言ってるでしょ!」
「やっぱり気持ち良いのですか?」
「違います!」
ラウラはそれこそ少女の頃から悪戯好きだった。知り合った当初は大人しかったのだが、セナの優しい人柄を知ってからは豹変、いや本性を現したのだ。何か隙を見せたら直ぐに長耳を触ってくるので、セナは一時期かなり警戒していた。まさか五十年経った今も変わらないとは思っていなかったのだろう。
「懐かしい……お姉様と居ると、昔に戻ったみたいに感じます」
「……よく言われるよ、それ」
「そうなんですか?」
皺の刻まれた表情に疑問符が浮かんでいる。
「うん。そうだね、たとえば昔嗅いだことのある匂いや、聞いたことのある音楽、他には忘れていた風景……ボヤけて消えかけてた記憶にまた出逢えたとき、直ぐに戻れる。あの頃の自分に。ね、私の顔や声って変わった?」
「……いえ、全く。橙色した瞳も、優しい色合いの肌も、声だって変わってませんよ。最初に出逢って驚いた美貌も何一つ。本当に何も……」
「でしょう? 私は黒エルフの生まれだから、精霊達と同じ時間を生きてる。風や水、大地や炎、全部同じだよ」
またあの哀しい色だ。ラウラは思った。目の前の彼女は確かに黒エルフだが、その一族から長い間離れたまま。普通、エルフは同族で固まり、ヒト種の世界には現れない。全くいないわけではないけれど、かなり珍しいと言っていい。理由など聞かないが、セナは基本的に一人で暮らしている……別種族の人に寄り添いながら。
「なるほど。でもお姉様、一つだけ間違っていますよ」
「そう?」
「はい。貴女は物じゃありません。景色でも、音でも、香りでも。確かにお姉様は一見変化のない姿でしょう。しかし、コロコロと目まぐるしく変わる表情や、長耳を触った時の反応だって、たった一つとして同じじゃない。ええ、私が保証しますとも」
ポカンとしたセナの顔。酷く珍しい。
「……ふふ、そうかも!」
そして破顔した。その笑顔だってきっと一つじゃないだろう。
セナは幸せな気持ちになって、ラウラの皺くちゃの顔を眺めた。確かにヒト種は短い人生を送る。それでも目の前の人は老婆で、ずっとずっと大人なのだ。
最後の一口をパクリと食べて、元気よく噛み締める。その幸せと一緒に。
ブックマークや評価を頂きました。ありがとうございます。些細でちょっとした日常が良いと思う今日この頃です。次話にドワーフが出てきます。




