(16)道標
「シャティヨン、目が覚めたか」
ゆっくりと上半身を起こしたシャティヨンは、未だ悲哀の上位精霊に捕えられたままのクラウディアを見詰めた。最初に見たときは思わず駆け出したが、今はほんの少しだけ冷静になっている。まあ両手両足を縛られているから、そもそも走る事も出来ないが。
「長老。私は何故縛られているのでしょうか」
「お前がいきなり悲哀の上位精霊に攻撃しようとしたからに決まってるだろ。上位精霊に突撃するなど、愚かなことをするんじゃない。アレに睨まれ精神が死ねば、あとは緩やかな滅びの日々となるだけ。これ以上にクラウディアを悲しませる気か?」
白の姫に剣を捧げたシャティヨンからしたら、我が命よりもクラウディアが大切なのだろうが……まさかいきなり斬り掛かるなど予想外だった。
長老としての責務でもあるが、同時に村の皆は全てが可愛い我が子同然なのだ。ザカリアはシャティヨンの前に膝をつき、再び問い掛ける。
「もう無茶はしないな? ならば直ぐにでも解いてやる」
「はい。アナタの落ち着き払った態度から想像がつきます。何か対策が見つかったのですね」
「何となく棘を感じる言葉だが……まあ良い。おい、拘束を解いてやれ」
少し離れた場所に立っていた男性エルフに命じ、合わせて周囲にいるオーラヴの皆へ語り掛ける。誰もがクラウディアを案じて、何が出来る訳でもないのに此処から立ち去ったりしない。
「全員聞いて欲しい。クラウディアが生まれた日の翌朝、私はオーラヴの森の上位精霊に誘われて、預言を授っていた。如何にもな意味の分からない言葉の羅列だ」
血は異界の使者、白のロズダマスク、そして灰は降り積もり優しく見守るだろう。孤独の中で誰もが決断を迫られ、迷い路へと誘われる。
約百年前に耳にしていたが、当時は全く意味を為さず、ただ忘れないように努めていたのだ。
「アナタがそうと思ったならば、異界の者を一人だけで遣わせなさい。必ずその者だけを。そう言っていたんだ。そして私は判断した。今この時こそが預言の示す瞬間であり、遣わせる使者こそセナ=エンデヴァルだと。あの黒エルフの善性とクラウディアを心から案じる気持ちを私は信じている」
「異界……オーラヴの者でない誰か、そう言う意味ですか」
実際には文字通りの"異界"だが、誰も理解出来ないだろう。森の上位精霊がセナとある意味で同郷の者であることも。
「ああ。シャティヨンの言う通りだ。セナはあの魔弓の使い手であり、装備していた籠手にはロズダマスクが描かれていた。皆には見えていなかっただろうが……そんな偶然が揃うなど考えられないはずだ」
その籠手はエルジュビエータがセナに贈ったもの。ロズダマスクの花言葉は"大切な仲間"、そして祈りと願い。
預言というやつは、いざ条件が揃って見れば安直に思えるが、齎されたのは百年近くも前だ。しかもクラウディアが生まれた翌朝に呼び出された。ロズダマスクに白と態々加えているのも、当然に"白の姫"を暗示しているのだろう。
その白の姫は灰色した繭糸に包まれて眠ったまま。最初からピクリとも動かず、今も宙に浮いている。クラウディアを抱き締めるように、絶対に離さない強い意志さえ感じる、そんな風に存在しているのは悲哀の上位精霊だ。あの精霊の髪は灰色で、本人の体高よりもずっと長いだろう。それをクラウディアの周りにくるくると巻き付けたような、そんな姿だ。
「正直な話、多少の気色悪さもあるが……今はただセナを待つしかない」
「セナならば……きっと大丈夫です」
「ふん、お前にしては珍しいな、シャティヨン」
「共に旅をして来ましたから。何の得にもならない他者のために手を差し伸べる、そんな愚かで優しい女性でした」
「ほう? クラウディアはセナにとって他者か?」
「聞くまでも無いことを聞くのはやめてください。それに……気付いてないのは本人だけですよ」
ザカリアもシャティヨンも信じて待つのみだ。それしか出来ない。
◯ ◯ ◯
静寂が暫く続いて、セナはキツく結んでいた瞼と口を恐る恐る開いた。
「生き、てる」
間違いなく森の上位精霊のミスズに喰われたのに、まだ意識があるのを不思議に思う。太い幹が音を立てて割れ、巨大な口に変化した。身体を蔦で縛られて、ゆっくりと運ばれたのだ。まるでお菓子を食べるように。
今は拘束もされていない。
≪喰われたなんて心外なんだけど。ちゃんと理由もあるのよ? まあ説明なんてしてないし、許してあげましょうか≫
視界もはっきりしてくる。どうやら椅子に腰掛けていて、目の前にはぼんやり光る人影。その光の影はテーブルを挟み、反対側に座っているようだ。顔などは判別出来ないが、シルエットから成人の女性と分かる。
ふと気付く。自分は喰われたと唇に乗せて言葉にしただろうか。
≪此処では発声に意味がないの。だから、セナちゃんの好きなようにしなさいな≫
やはり心の中を覗かれている。思った事そのままに、光る影、つまりミスズが返したことで証明された。
「ミスズさん、此処は……?」
≪私の中。世界と切り離し、私達二人だけね≫
世界、切り離し、二人だけ。
≪外で説明なんて出来ない。このくそったれな世界に気付かれてしまうから。だから、あんな感じでしかセナちゃんを連れて来れなかったの。ごめんなさいね。怖かったでしょう?≫
優しい問い掛け。それに、何となくミスズの心の中が理解出来た。騙す気も、セナを害する気持ちも存在しない。
僅かに燻っていた恐怖も消えて、視界がはっきりとしてくる。見れば、今いる場所は如何にも日本なリビングルームで、テーブルには緑茶と和菓子があった。フェイクレザーの座面と安っぽい合板で作られたテーブルは、セナに強い郷愁の念を浮かばせる。
ミスズが作った幻影であろうとも、懐かしく思う気持ちに嘘はない。
「いま、やつらって」
≪そうね。でもその前に先ずは整理しましょう。セナちゃんには経験があるはずよ。占いのような、でも妄想とも違う、まるで未来予知みたいな何かを。それは決定的な未来じゃないけれど、分岐する可能性の一つ。それをほんの少しだけ早く知る力がある。どうかしら?≫
ミスズには確信があるし、セナが歩んで来た過去も多少は知っている。だがそれでも、問い掛けることを止めない。今のミスズは森の上位精霊なのだ。
「……あります」
≪それはどんな形で見えた?≫
「一番最初はアダルベララを触ったとき。それからは……夢とか、でも凄く曖昧な感じで、視界に混ざり込むような、とにかく説明が難しいです。強く意識しようとしらたら直ぐに消えてしまって」
≪予想通り、かなり弱いわね。やはり補助媒介が無いとダメか≫
「……媒介? 一体何の話なんですか? そんな事より今は」
とても大切な話だと分かっている。だが今はクラウディアのことが頭から離れない。精神が磨耗して死ぬことはないと理解しても、悲哀の上位精霊の気が変わる可能性を誰が否定出来るのか。彼ら精霊には時の流れや命さえも、概念自体が違い過ぎるのだ。
先ずはクラウディアを救い出し、その後此処に戻ってくる。くそったれの世界の話はそれからで良い。そんな風に思ったとき、ミスズが悲しそうに返して来た。
≪このあと理由も伝えるけど……私とセナちゃんが話すのはこれが最後よ。もう二度と、私達に再会はない≫
「え?」
≪このチャンスを見つけるまで多くの時間を費やした。このタイミング、この場所、まだ何も知らない今のセナちゃんだからこそ可能なの≫
やはり森の上位精霊らしい言葉の選び方だとセナは思った。抱えて来た苦悩を、エルジュビエータ達との別れの真実を、この世界とは何なのか、全てを教えてくれるのかもしれない。そのチャンスは目の前にあり、一度しか掴めないのだろう。
だが、それでも、クラウに何かあったなら後悔しか残らない。セナはそう思う。自らの欲とクラウの命、天秤に掛けるなど最初から有り得ないのだから。
≪困った子ね、キミは。仕方ない、ではこうしましょう。最後まで私の話をちゃんと聞いてくれたら、クラウディアの眠りを覚ます方法を教えるわ。もちろん具体的な、ね≫
「……ホントに?」
≪約束する。私が嘘をついてないことは感じ取れるでしょ?≫
朧げながらだが、確かにミスズの言う通りだった。
≪それとこれを。もし私が疑わしい存在ならば好きな時に射抜きなさい。その弓ならば森の上位精霊であろうとも殺せる。あの怒りの上位精霊だもの≫
いきなり手元に現れたのはセナの愛弓だった。真っ赤な弓幹がアダルべララらしさを見せてくれる。
≪悲哀の上位精霊ちゃんは可愛らしいけれど、ソイツはホントにヤバいからね。正直に言うけど、セナちゃんの意思を無視して強引に引き離してると危ないのよ。周りの樹木の中位精霊ちゃんなんて怖がって泣いてるし、草の下位精霊達は全部近くから逃げ出しちゃった≫
散々な話だが、セナも否定出来ないのだから仕方ない。
≪じゃあ、良いかしら?≫
アダルベララから手を離し、使う気など無いと示した。
「はい。よろしくお願いします」




