(9)二人だけの舞踏会
そこはまさに"大地の裂け目"だった。
深い峡谷の底に青く滲む川が流れており、悠久の時により地形を変えたのが分かる。
ゆったりと羽根を揺らし舞うのは、鳥だけでなく小型竜種だろうか。温厚な彼等は景色の一部として空に溶け込み、時の流れさえ優しく思う。ところどころに樹々も生えているため、生命力の逞しさも十分に感じられた。
「綺麗なところだね……」
セナは長い年月を過ごすなかで、異世界の風景を数多く見てきた。それでも、見渡す先まで続く峡谷はやはり美しい。白い雲がいつもより高く思えるし、風も強いのに柔らかい。きっと精霊達も好きな場所なのだろう。
セナとクラウディアは室内での話し合いを止め、オーラヴ村の外へと足を運んでいた。危険を憂慮し、もちろん武装済だ。紅きアダルベララは背中にあるが、気配を感じたら直ぐにでも矢を放つだろう。
そして、もう一方のエルフの少女。
「その剣、重くない?」
「全然」
「そ、そう」
クラウディアの背丈くらいある長剣。シャティヨンが使っていた細剣でもなく片手半剣だ。片手でも両手でも両用出来る剣だが、果たして片手で振れるのか。セナでさえフラつきそうな重量のはずだ。
だが確かにクラウディアは辛そうとか我慢してる風でもない。何より使い込んでいる。
小柄で白いエルフの少女。細っそりした手足も手伝い庇護欲を強く刺激された。だが装備してるのは重そうな片手半剣。ギャップ萌えとはこれなのかと、セナは馬鹿らしい考えに浸っている。まあ近接のクラウディアと中遠距離を得意とするセナだから、きっと組み合わせは丁度良い。
「もしかして普段一人で出歩いたりする?」
「シャティヨンがうるさいから、あまり」
つまり内緒でならばある、と。まあ万が一の危険も排除したいシャティヨンからしたら当然だ。自分が護衛についてるならまだしも、エルフの少女たった一人など考えられない。ましてや精霊魔法もまともに使えず、見たところ弓矢も手慣れていないようだ。
「心配なんだよ」
「分かってる」
まあその代わりの剣があるけれど。
それからも暫く歩き、平地に出た。右手には先程から続く峡谷。かなりの高さだから近づかないようにしている。
森から離れた為か木々も少なく、周囲の視界も確保し易い此処ならば魔物の急襲にも対処可能だし、悪漢が居ようとも直ぐに見つかるだろう。片側は峡谷の為に、警戒する範囲も狭く出来た。何かに遭遇したら当然にセナが排除するつもりだが、オーラヴ村から徒歩で来れた場所で大した危険があるとも思えない。
そもそもの話、セナは白の姫に戦闘技術を教えに村を訪れた訳ではないのだが……当の教え子があからさまな戦闘狂で、普通の会話が酷く退屈そうだった。なので仕方なく、本当に仕方なく散歩に出た訳だ。
「よし、じゃあそろそろ剣を見せて貰おうか。さっきの話の通り、先にクラウのチカラを見せて」
「うん」
何にしてもクラウディアの実力はある程度知っておいた方がよいだろう。弱いとは思えないが、あんな剣の所為でまともに戦えないとか最悪だ。そんな言い訳を心で唱えつつ、何となしにエルフの少女を見る。
そして酷くあっさりと始まった試技。
それを見たセナは、直ぐに固まり、動けなくなった。なのに胸は高鳴って、鼓動は激しくなるばかり。もしかしたら、いや間違いなく、セナは感動を覚えていた。
「なんて……綺麗……」
演武のはずだ。だけれど、目の前で繰り広げられるのは"演舞"だった。音楽なんて流れていないのに。
軽やかに舞い踊る無骨な剣。
歌う風、しなる細くて白い四肢、全てが円を宙空に描く。
奏でる音は風切りだけ。フワリフワリと泳ぐ髪は絡まる事を知らない。全てが美しく、どこまでも流麗だ。しかも何故か、可愛らしさまで併せ持っていた。
「信じられない……あんな風に精霊が」
風精霊。意思を持たない小精霊達がクラウディアと共に踊っている。全く見えないのに分かるのだ。そう、あれだけの重量物を軽々しく操るのは精霊達が自然に助けているからだ。他にも火精霊や水精霊の精霊力を感じる。体内の熱量、水分、その全てを補助していると予想出来た。今は分からないが土精霊すら何かをしているかもしれない。いや、もしかしたら"悲哀の上位精霊"さえも。
「何なんだ、一体……」
セナは思わず呟いた。長い年月を生きてきたセナが全く出会ったことのない存在だった。まさに異常と言える人、いや"精霊の愛し子"であるエルフ。
長老のザカリアやシャティヨンも幾度も口を揃えて言っていた。"白の姫"はどこまでも"白の姫"なのだろう。
最後の鋭い刺突を終え、クラウディアは剣を鞘に収めた。その所作さえ美しさを纏うのだから笑うしか出来ない。刺突はシャティヨンをほんの少し思わせたので、彼女が教えた技なのか。
「こんな感じ」
「……あ、うん、お疲れ様」
「全然疲れてない」
息も乱れてないし、汗一つかいてない。分かってはいたが、セナは何となく口にしただけだ。
「あー、そうだね。でも、見せて貰って良かったかな。色々と理解出来てきたから」
「強い?」
「それもあるけど、精霊絡みで」
「そう」
「やっぱり戦うの好き、なのかな」
「うん。すっきりするから」
「すっきり? 面白い感想だなぁ」
「セナ先生、約束。早くアダルべララを見せて」
一方のクラウディアは、感動的と言える演舞が無かったかの様に変わらぬ無表情を貫いている。自身の事だから仕方ないが、少しだけ寂しさを覚えたセナだった。
「約束だし別に良いけど、楽しいものじゃないよ」
言いながらも、背中側に装備していたアダルべララを手に持った。紅の弓幹には祈る少女を模した彫像。これだけならば怒りの上位精霊とは無縁に思えるはずだ。
セナは徐に矢をつがえ、そして峡谷の反対側に放つ。当然に他の生物など居ないのは確認済だ。飛び行く矢は重力など無いとばかりに真っ直ぐ進み、硬いはずの岩肌に突き立ったようだ。
「かなり遠いのに、落ちなかった。確かに普通の弓じゃない」
「流石だね、クラウ。この子は威力だけでなく、射程も違うから。あとは……」
振り向き笑顔で返したセナは、そのままに精霊魔法を行使する。戦闘でもあるまいし、極小の精霊力だ。それでも"アダルベララ"は行使者である黒エルフの想いを汲み取った。
構えたのは紅弓だけなのに、しっかりと矢が創造される。見た目はメラメラと燃える炎の矢だ。やはりあっさりと放てば、赤い線を空に描いていった。
「今は水の精霊をアダルベララに与えたんだ。そうすると相反する精霊力を持った矢を創り出すってところ。まあ実際には怒りの上位精霊が、文字通り怒って反対にしてるって話なんだけどね」
「……それって大丈夫なの?」
「んー、まあ色々と理由があるんだけど、私の場合は何とかなってるよ」
「やっぱり凄い。セナ先生」
御するのがほぼ不可能とされる上位精霊であり、その中で最たる存在こそが"怒り"なのだ。それを知るクラウディアは只々尊敬の念を持つしかない。珍しく感情を映した青い瞳はキラキラと輝いて見えた。
「……まあその色々が反則なんだけど」
「なに?」
「何でもないよ」
「連射は? 威力とか自由に出来る? もっと近くで見てみたい。私に向けて撃って欲しい」
矢継早に質問や要求を重ねてくるクラウディア。やっぱり戦いに関する話だと心躍るらしい。複雑な想いを抱えながら、セナは淡々と答えていった。最後の要望だけは冗談だと思いたいが。
「普通の矢は普通に腕次第かな。ただ精霊の力を使った場合はちょっと違う。遣り方次第だけど、連射は出来ると言えるよ。あと威力も同じ。近くで見るのはダメ。と言うかクラウに向けてなんて放たないから、絶対に」
実際には連射どころか乱発も可能だ。精霊力は相当喰われるが広範囲への拡散も出来る。そうなると、もう弓の域を超えて魔法と言えるだろう。もちろん当然に制約はある。あるが、やはりセナはそれに縛られない。"史上初の使い手"とエルフ族に言われるのは、決して拡大解釈などではないのだ。
「凄い。勝つ方法が浮かばない。毒、眠りの魔法、闇討ち……あとは集団戦で背後に回るくらい? でもどれも絶対じゃないし、セナ先生は精霊魔法を使う」
「クラウ? お願いだから怖いこと言わないで」
セナは峡谷に向かって「すっごい美少女なのに!」と叫びたい気持ちをグッと抑えた。そもそも浮かばないとか言っている割に、複数の方法論を思い付いている。
「あの夜、体術も凄そうだったから、接近戦も難しい」
最初に出会った時のことを言ってるらしい。手作り石ナイフで襲い掛かってきた夜だ。
「……何でそんなに戦いたいの?」
セナからしたら全く理解出来ない思考だった。訓練ならともかく、戦えば血も流れるし、痛みを感じることもある。そして、最悪は死を迎えるのだ。此処は元の世界ほど安全じゃないし、魔物だって普通に生息している。それでも、戦いを生業にする者はやはり少数で、大半は平和な日々を過ごすのに。
「さっきと同じ。好き、だから?」
「ああ、そうだったね……」
「だから強いセナ先生のことも好き」
「そ、そっか」
女性から、女の子から真っ直ぐに好きと言われた経験の無いセナからしたら、もうそれだけで緊張が走る。ましてやクラウは非常に美しく可愛らしいのだ。
恋愛感情じゃないのだからと、ドキリと鳴った胸に落ち着けと話しかけた。でも、そんなクラウディアから視線を外せない。
白の姫には珍しい感情を映すだけで、瞳が更に輝いて見える。そして彼女も……セナを見詰め続けた。




