(8)餌付けと
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注がれた水は澄んでいて、かなり冷たいのもセナは気に入った。コクリコクリと二度喉を鳴らすと、フゥとカップを置く。
「とにかく、悲哀の上位精霊がいつクラウを害するか分からないはず……でも、ザカリアさんから危機感を感じられません」
なるほどとザカリアは頷いた。
「やはり知らなかったか。まず前提として、エルフの間では永らく伝承が伝わっているんだ。"白の姫"は凡ゆる精霊から祝福を受ける。悲哀の上位精霊だけでなく、怒りの上位精霊、勇気の上位精霊や困惑の上位精霊などはもちろん、水や火などの元素精霊だってそうだ」
そして、上位精霊の影響を色濃く受けながらも、決して負の祝福を授かることがないらしい。特徴的なのは、通常のエルフと比べて感情の起伏が激しいことか。ただ、これも各精霊との関係性から説明出来る。
「むしろ子供らしいとも言えるだろ? 幼い頃は皆、泣いたり笑ったり、感情を抑える事なんて難しい。それは精霊との距離間がまだ拙いためと考えられている。まあこの辺は黒エルフも一緒かな? ただ、キミはかなり幼い頃に村から追放されたと聞いているから……種族が持つ伝承や知識とは無縁だった」
セナの記憶には、この黒エルフの身体に精神が宿ったときの事が鮮明に残っている。村の中にある小さな池のそばで意識が戻り、直ぐに出会ったセナの兄、そして母親。簡単に異物が紛れ込んだ事も見抜かれ、心の準備もないままに、あっさり村から追放された。
それからの苦労は筆舌に尽くし難く、逆に現在の強さを身に付ける理由にもなったのだ。
「……それは認めますが、ならば尚更に事前の説明が必要だったのでは?」
「んー、まあ、そうなんだが……」
「?」
「怒らないでくれよ? 詳しく説明出来ないところもあるが……簡単に言うと、勘と興味だな。会ったとき最初に言ったが、アダルべララに喰われない本質をどうしても見たくなった。それに、シャティヨンから届いていた多くの報告を見て、キミを何だか身近に感じてしまってな……ただ、今は反省している」
多くの報告って何だろう? セナの頭に馬鹿らしい疑問が浮かんでしまい、何だか怒りの感情も落ち着いた。入浴時に裸体を眺めてしまったアレとか、酒に酔ってベラベラ喋ったらしい話とか、色々と不安が過ったのだ。
「と、とにかく、悲哀の上位精霊に喰われないのは間違いないですか? 万が一も」
「それに関しては確信がある。合わせて言えば、伝承などと言う不確かな何かだけを根拠にしてもいないよ。私自身が教えを受け、何度も質問したからな。その相手は精霊そのものだから安心して欲しい」
「精霊そのもの? ザカリアさんが教えを受けるとなると……森の上位精霊、ですか」
「ああ。このオーラヴに寄り添う大精霊のエントだ。しかし、もう存在に気付いているとは流石だな。古き森だからと言って必ず在る精霊でもないだろうに」
「あ、いえ、クラウから少しだけ教えて貰ったので」
「それは……いや、まあ良い」
初めて会ったセナからしたら違和感などないが、ザカリアにとって今のクラウディアの反応には驚きしかない。態々説明などしないが、過去の教導者の中には会話さえ不可能だった者も多かったのだ。
なのに、愛称を呼ぶよう願っただけでなく、自身や森の話までするとは。森の上位精霊に至っては、秘密とまで言わなくとも望ましい情報の開示ではない。そしてそれはクラウディアも分かっている。
「ザカリアさん。えっと、もちろん村の外に漏らしたりしませんよ。あの存在は争いを生む事もあるでしょうから」
不安そうな顔色を違う意味で受け取ったのか、セナは理解していると返した。
森の上位精霊は間違いなく大精霊に数えられるが、戦う力も他と比べれば弱く、何より動けない。その森に深く根を下ろしているからだ。
しかし特徴のもう一つが時に争いを呼ぶ。
それは"知識"だ。
他を圧倒する生命力と寿命により、近辺の動静や歴史さえ把握している。存在する生物や精霊の大半を知覚し、何よりも凡ゆる全ての言葉を解するのだ。種族の壁や時代の断裂も関係ない。
極論だが、国家転覆に至る情報提供も可能だろうし、そのように扇動する事さえ難しくないとされる。ヒトやエルフ、ドワーフたちを超える知識の深さを誰もが聞き及んでいるのだろう。
その常識を元に話したセナへ、ザカリアは首を振りつつ返した。
「ああ、済まない。そんな意味じゃないんだ」
「でも」
「別に気遣いで言ってる訳でもないよ。そうだな、正直に言うとキミに、セナ=エンデヴァルに訪れて欲しいと今は思っている」
「……え?」
セナはかなり驚いてしまった。つまり、オーラヴ村の長老が、完全な部外者な上に他種族のセナを森の上位精霊に会わせたいと言ったのだ。
いくら一応黒エルフのセナが相手と言えど、余りに常識外の言葉だった。
「未だ会話をしたことが無いから分からないだろうが、このオーラヴのエントは……簡単に言うと変わり者だ。偶に全く意味不明な表現を使い、聞いた事もない単語を吐くからな。だが、キミを会わせる事に意味があると私の勘が囁いてくる。感じるんだ」
そしてそれは"白の姫"の為にも必要なことだと思う。ザカリアは真剣な色をした瞳をセナに向け、そんな風に話を結んだ。冗談ですよねと返すつもりだったセナも言葉が出ない。ザカリアが本気だと分かったからだろう。
暫くは沈黙が支配し、気不味い空気が流れる。
「……すまん、少し混乱させたな。まあ今は気にしないでくれ。そもそも向こうが興味を持つかも分からないし、会うのだって簡単じゃないんだ。それに、私としても考えたい事がある」
「は、はい」
「話を戻すが、悲哀の上位精霊がクラウディアを喰らうことは無いと、私はそう判断している。事実、あの娘は意思を失わず、周りを害するわけでもないからな。だが」
だが。
ザカリアから不安は消えない。セナを招聘したのもそうだし、白の姫の日々が健やかだと保証された訳でもないのだ。
エルフならば知っている。
精霊は悪意ある存在でなくとも、生物全般にとって良き隣人とは言い切れないと。彼等は時に牙を剥き、襲い掛かってくる。強風、洪水、地割れ、山火事などなど。それらの現象は精霊が影響しているが、その全てに悪い感情は混ざらないのだ。上位精霊を除き、彼等からしたら全く同一の行いだから。そして何よりも"死"さえ理解の範疇外だ。
「クラウディアがあれだけ戦いに拘るのも、私達に分からない不安を抱えているのが理由かもしれない。精霊達から影響を受け、世界の理に触れたのかもしれない。"白の姫"は深い叡智に触れ、癒しを与えると言われるが……果たしてその対象に自らが含まれているのか」
「ザカリアさん……」
セナは先程まで抱えていた不満が消え去るのを感じた。シャティヨンだけでなく、長老のザカリアもクラウディアを心から案じているのが分かったからだ。そしてそれはオーラヴ村のエルフ達も同様だろう。
「私からの依頼と希望は最初から変わらない。どうかあの娘に教えを授け、出来るだけ支えて上げてほしい。足りないものや、手伝いが必要なら遠慮なく言ってくれ。情けないが、私から言えるのはそれくらいだ」
「分かりました。私の出来る範囲で精一杯頑張ります」
漸く、ザカリアに笑顔が浮かんだ。
◯
◯
◯
長老宅を後にして、仮住まいへの家路についた。
幾人かのエルフとすれ違い、その全てがセナに注目している。黒エルフであるからだが、不審気な空気をそこまで感じない。来訪者の情報は一応周知されたのだろう。
セナは頭を巡る課題を整理しつつクラウディアを思っていた。悲哀の上位精霊の事は一安心と言って良いが、まだまだ課題は山積みなのだ。
「とりあえず明日から、もっともっと話をしよう。正直余り気が進まないけど、試合とか付き合った方が良い? とにかくクラウには幸せになって欲しいし、あれだけ皆が大切にしてるなら、きっと大丈夫……ん?」
ふと視線を感じたと思ったら、もう少しで到着する仮住まいの前にポツンと一人立っている。青みの混ざる白髪はやっぱり綺麗。細い手足も白く、それだけで輝いている様に見えた。
「今日は来なくていいって言ったのに」
つい早足になるのも仕方ない。一体いつから待っていたのだろうか。
「クラウ!」
「セナ先生」
「どうしたの? 教導はお休みって」
「知ってる」
「じゃあどうして」
クラウディアは上目遣い。その可愛らしさにセナの胸は高鳴ってしまった。だが、続いた仕草でそんな気持ちもすぐに消え、寧ろ笑いが込み上げてきた。
白の姫は左手で自分のお腹を摩っている。
「えっと、もしかして、ご飯?」
「そう。セナ先生の料理美味しかったから」
最初の教導のお昼に食べさせたのを思い出す。胸を触りたいとか服を脱いでとか、困った要望をぶつけて来た後だ。
不思議とセナは幸福感を覚えた。手料理を美味しいと言ってくれたらもちろん嬉しいが……それだけじゃない。
心を開いてくれているから?
それもあるが、違う。
きっとそれは、クラウディアだから。
出会ってから僅かな時間しか過ごしていないのに、距離を縮めるつもりなんて無かったのに。今は目の前の女の子を愛おしく感じ始めている。
「すぐ作るから、中に入って」
「うん」
きっと母性本能だ。そんな風にセナは思う。自意識は男性でも本能は身体に宿るのだなと、なぜだか内心に説明をつけていた。
森の上位精霊。
姿形はでっかい樹。深く根を張る為、その森から離れることはない。個性はそれぞれに在っても、温厚で生物に対し優しいとされる。周囲に存在する精霊や様々な生物、更には地形や歴史の変化などもほぼ全て知覚していると、そう信じられている大精霊。助言を与えるなどの一面を持つが、基本的に詳細を語らない。全てのエントが謎かけや遠回しな伝え方をすることから、何らかの制約があると考えられている。
オーラヴのエント
後にセナと出会い、冒険者から占術師へと転身する最初にして最大のきっかけを作る。出番はもうすぐ。




