(6)嫌いなこと好きなもの
「はい、いらっしゃい」
「セナ先生」
「先生? どうしたの急に」
「シャティヨンが教えてくれた」
「あー、なるほどね」
長い白髪は後頭部でまとめて団子にしている。それが幼さを強めて、庇護欲をかなり唆られた。セナに母性本能が存在するのか本人も分からないが、守って上げたいと思う気持ちを否定出来ない。
「とにかく入って」
「うん」
クラウディアは遠慮なく入室し、居間に当たる部屋をキョロキョロと観察し始めた。
「どしたの? さっきも見たでしょ、ここ」
「凄く片付いてるなって。こんなに綺麗じゃなかった」
「ああ、さっきまでお掃除してたから」
「良い匂いもする」
「お昼のご飯を作ってあって、その分かな」
「私も食べる?」
「もちろん」
意外によく喋る子だなと、セナは未だ部屋をウロウロしているクラウディアを観察していた。最初の遭遇が酷すぎて、先入観が働いているのだろう。今の姿は飛び抜けて美しい少女にしか見えない。
「じゃあお昼まで戦おうよ。セナ先生のアダルベララを見てみたい」
「……」
やっぱり可愛いだけの女の子じゃなかった。残念ながら。
しかし、ホントに綺麗な娘だなぁ。
セナはつい、ボソボソと独り言を呟いた。
"白の姫"は白を体現し、そして超えてもいる。不思議とそんな風に思うのだ。瞳は青だし、同様に髪にも薄く混じっているのだが、印象はやはり"白"。
エルフ族は元々全体的に白をイメージしやすく、その美しさはよく知られている。細く小柄な者が多いことから、長命でありながらも儚さを纏っているのだろう。
分かってはいた。いたはずだが、まだ僅かに幼さも残すその美貌に目を惹かれてしまう。
「セナ先生。なに」
「ううん、別に」
ボンヤリとクラウディアを眺めていたので不審に思ったのかもしれない。その何かを責めるような視線さえ美しい。
「じゃあ始めようか」
「試合?」
「違う」
セナが示した最初の授業は……
初めて訪れた先生に"オーラヴ村"を教えることだった。どんなものが、どんなところに、どれくらい存在するのか。そして、クラウディアは何を思い、何を感じているのか。
今までは教えを受ける側であった"白の姫"だが、逆に教えを授ける立場だからこそ理解出来る事があるものだ。両者は反対に位置していても、必ず共通点を見出せる。
もちろん先人として伝えたいこともある。シャティヨンから聞いた話、実際に会話した感覚、全てがクラウディアを特別に感じさせた。例え悲哀の上位精霊が寄り添っていようとも。
「そんなの楽しくない」
しかし、当の御本人はご機嫌斜めなようだ。やはり感情の起伏が乏しいと感じる。如何にエルフと言えど、子供は子供だ。この年代はヒト種と変わらず感情のコントロールも効かないし、泣いたり笑ったり怒ったりするもの。だが、クラウディアからは其れ等が強く伝わって来ない。
何より笑顔が全く浮かばない。子供特有の、眩いばかりのアレだ。
間違いなく悲哀の上位精霊の影響だろう。まあ通常ならば精神が摩耗し死に至るから、ある意味で使役しているとも言える。
「文句は聞かない。さあ」
「……分かった」
そして、訥々と始まったオーラヴ村の説明。
現在村に住まうエルフは約八百人。小川が綱を掛けるように流れており、日々の生活を支えているらしい。中心地には商店が配置され、明確な商売として物資が流通していた。また、外貨と言えばよいか、ヒト種に代表される他種族とも交易があり、意外にオープンな状態だ。
泉が村に寄り添うように存在し、憩いの場にもなっている。恐らく、セナが初めて村を訪れた時に見たあの綺麗な泉だろう。そしてその泉からさらに奥、そこには遥か古代から存在する古き森がある。深い場所では樹齢万年を超えるような大樹まで生きているそうだ。樹齢千年でなく万年。その辺りはセナがいた世界との違いか。
それほどの時を重ねた以上、樹木の精霊がたくさん居るだろう。ごく稀に、緑髪の女の子の格好で男の子を誘惑し、木の中に引きずり込むと言われる。ヒト種などに友好的な精霊ではないが、刺激しなければ害はない。
そして、もう一つの可能性として上げるならば、森の上位精霊だ。
エントならば意思疎通も可能で、別種族にも理解があるとされる。重ねた年月から知識も豊富で、時に助言なども授けてくれると言う。もし存在するならば、きっとオーラヴ村を見守っているだろう。
これだけ特徴的な森と泉を抱える村人ならば、誇りに思うし、象徴ともなるはず……とは言えそこはエルフ族。説明するクラウディアが感情に乏しいのもあるが、特に感慨や気持ちも入っていない。
これには文化的にも違いがあり、深い部分でヒト種と相容れない部分である。圧倒的な寿命、それはある意味で生物としての当たり前を歪めてしまうのだ。
そう、ヒトとしての意識が強いセナは、嫌と言うほど実感がある。
「その話し方だと、森の深いところに入ったことないの?」
「ない。あっち、気持ち悪いから」
気持ち悪いとは、森と共に生きるエルフとは思えない言葉だった。
「森の上位精霊だったら歓迎されそうだけど」
白の姫は精霊の愛し子。そう伝承されている。
だが、目の前のお姫様は無表情のまま「アイツ大嫌い」と言った。つまり、予想通りにエントは存在する。だがそうなると彼女の状況は更に複雑だ。
白の姫が抱える問題はやはりこの辺りだろうか。セナはそんな風に思う。精霊は間違いなくクラウディアを愛しているのに、当の彼女は忌避しているようだ。
何だか色々と山積みだなぁ。
続く内心の言葉は吐き出されず、溢れたのは小さな溜息だけだった。
◯ ◯ ◯
暫しの休憩を挟み、セナは本題に切り込むことにした。これ以上ダラダラと会話を続けでも非効率に感じたからだ。何より、目の前の白き少女は酷く退屈そうだった。
「じゃあ、私から質問するね」
コクリと頷き、素直に待っている。青色が混じる白髪が揺れ、セナの視線を奪った。
「悲哀の上位精霊のこと、どれだけ理解してる?」
「?」
眉が僅かに歪み、珍しくクラウディアの感情を映した。だが、それは間違いなく疑問符。つまり、質問の意味が分かっていない。
「キミに、えっとクラウのそばに居るでしょう?」
「知らない」
「精霊力を感じない? これだけ強いのに」
「さあ」
どういうことだと、今度はセナが困惑する番だった。膨大な精霊力は眩しいばかりで、見えなくとも肌感覚で理解出来るほど。エルフに生まれたならば、ごく自然に身につく感覚のはずだ。長老のザカリアは「広い世界を教えてあげて欲しい」と言っていたが、精霊力を感じない方が問題だろうに。
「いや、会えば分かるって言ってたな」
全く、これだからエルフって。何度目か分からない愚痴を溢したくなったが、クラウディアの手前我慢する。多分だが、毎度のごとく時間が解決してくれると考えている。数えるのも馬鹿らしい年月を生きるエルフにとって、緊急を要する事態など殆ど無いと思っているのだ。いや、感覚そのものが違うと言っていい。
「とりあえず、その問題は棚上げか。じゃあ、そうだね、オーラヴ村以外について話そうか。どれくらいクラウが知ってるか教えてくれるかな」
持つ知識の理解度により教導にも影響がある。
「つまらない。話ばっかりじゃ楽しくない」
「えー……外の世界とか興味ない?」
「セナ先生より強いヤツ、いる?」
そっちかよ。世界最高と断定出来るほどの美貌を持ちながら、まさかの戦闘大好きエルフ。見た目だけなら儚い感じの超可愛い美少女なのに。セナはそんな風に何だか悲しくなって、クラウディアの青い瞳を眺めてしまった。
「一杯いるよ。エルフだけじゃなくヒト種やドワーフだってね。魔物にも厄介なのが沢山いるし」
「アダルべララがあっても?」
「言いたいことは分かるけど、アダルベララはあくまで武具の一種だし、それだけで強いとか言えない」
「でも長老やシャティヨンが言ってた。アレをまともに使える者が現れたなら、逃げるか死ぬか選べって」
「物騒だなぁ。まあ全く間違ってるとかじゃない、かな……個人としてどうとか、そんなのとは違うからね? 色々と反則的な力があるだけで」
怒りの上位精霊の存在そのもの。アダルベララを恐れるのはただその一点だけだ。逆に言えば、それさえ無ければ高性能な弓の一種でしかない。まあそれでも相当に強力な武具ではあるが。
「見てみたい」
「アダルベララを?」
「そう」
「うーん、見ても楽しいものじゃないけど。ただの派手な弓だよ、外見は」
「触ったり、壊したりしないから」
「壊すって……」
「じゃあ行こう」
「あ、うん……って違う違う! 今は私が質問するときだから!」
気付いたらクラウディアのペースになっていたようだ。ほんの僅かな不機嫌さが感じられ、作戦失敗と思っているのは間違いない。「油断ならない相手だぞ」と、遥かに歳上なセナは情けない警戒をしたりしている。
「とにかく、質問を続けます」
無表情なクラウディア。一応は素直に待つようだ。
「オーラヴ村の外に出たことないんだね?」
「うん」
「別の種族に会ったりは?」
「ある」
「お、誰だろう」
スッと左手を持ち上げ、細くて直ぐに折れそうな指を真っ直ぐ伸ばす。その指し示す先はセナだ。
「……まさか私が初めて?」
「あとは別の村のエルフくらい」
これだからエルフは。もう何度目か分からない嘆息をセナは溢した。まあセナと同種族である黒エルフの方が更に閉鎖的なので、表立って文句なんて言えないが。ある意味で過保護なのだろうが、教育上よろしくないだろう。
「そっか。じゃあ初めて会った黒エルフ、どう?」
とにかく今は興味をたくさん持つことだ。世界、魔力、精霊、そして赤の他人。何でもいい。セナは立ち上がり、自分を見てと両手を広げた。
「ん、ぜんぶ」
「ぜんぶ?」
「大きくて強そう。好き、かも」
「んん?」
クラウディアの視線は何故かセナの胸部に向かっていた。あと腰回りも遠慮なく観察している。確かに肌以外で種族的な違いとして挙げられる特徴だが、まじまじと眺められると流石に恥ずかしいものだ。相手が可愛らしい少女だとしても。
「ま、まあ、年頃の女の子だと気になるもの、かな」
実際にはよく知らないセナだったが、とりあえず分かったフリをした。
「服脱いで見せて」
「無理に決まってるでしょ。ダメです」
「じゃあ我慢する。代わりに」
「うんうん。で、なにかな?」
「触りたい、両方」
「……」
シャティヨンが訪れる迄の暫くの時間、二人の追い掛けっこが繰り広げられたらしい。




