(5)繋いだ手
クラウディア=オベ=オーラヴは目を覚ました。
まだ外は薄暗い。この天井は見たことがなく、鼻に届く匂いも知らないものだ。だから白の姫は、ここが自分の寝床ではないと理解する。掛かっているのはフワフワの毛布。ベッドは縦横に大きく、あと三人は寝れそう。端っこで寝ていたのは勿体無く感じた。
いつもの嫌な夢も見なかった。
丸い窓の外を何となしに眺めたあと、反対側に首を倒す。すると、一脚の椅子に腰掛け、眠っている女性が居た。村ではまず見ない褐色の肌、大きな胸と高い身長は座っていても分かる。長い耳は時々ピクリピクリと揺れていて、なぜだか可愛らしさを感じた。
スースーと僅かな寝息が聞こえる。
今更に気付いた。どうやら手を握られている様だ。直ぐに離そうと身動ぎしたが、結局そのままにする。そしてもう一度、眠る黒エルフを観察してみた。
間違いなく歳上の女性。唇が少し厚めで、肩口で切り揃えた髪は金色。今は閉じているけれど、夕焼けの空色で染めたような瞳が綺麗だった。背の高さは多分シャティヨンと同じくらい。でも、両胸の重さは全然違うだろう。呼吸に合わせて揺れるなんて、クラウディアは初めて目撃したかもしれない。
昨晩羽織っていたローブは見当たらない。だから彼女の全身を余す所なく観察出来るのだ。全身で"女性"を体現するセナだけど、同時に凄まじい強さを持っていた。あそこまで簡単に意識を奪われたのは、シャティヨンに気配を消して真夜中に襲い掛かった時くらいだ。今回は真正面から攻撃したので、少し条件は違うかもしれない。だが聞こえた、「勘弁してよ」と。つまり、相当な余裕があったのだろう。
今度は少し楽しめそう。
今までの教導者は全てが弱かった。いや強き者もいたが、同時に彼等の限界も簡単に知れたのだ。それだけで興味が失せ、教えを伝える声は鳥の囀りより耳に残らない。あれならまだ、一撃で捕まえるのも難しい羽虫の方が好きかもしれない。唯一の愉しみだったシャティヨンも、最近は相手をしてくれなくなった。
何が「剣を捧げる」だ。そんな事を全く望んでいなかったのに。その誓いを聞いた時から何かが変わってしまった。世界は薄暗く、灰色で、何一つ楽しくない。
そう。
楽しくないし、怒りも湧かない。以前ならばもっと感情が踊る瞬間があったのに。最近は色々と忘れてしまっている。笑顔も、苛立ちも。
これが成長すると言う事なのか。ならば成長などしたくないと思うのが、白の姫クラウディアだった。
「……ん、起きた?」
慌てた様に優しく握っていた手を離した。クラウディアは何故か寂しく思い、肌に残る感触を覚えようとする。
「えっと、此処は私の仮住まいだよ。キミの家を知らなくて、夜も遅かったから……直ぐに帰った方がいい」
黙ったままなので、セナは言葉を続けた。あの戦闘の事を問い正すつもりだったが、今は起き抜けで余り頭も回っていない。そして何より……クラウディア=オベ=オーラヴの美しさに心の殆どが奪われていたからだ。
エルフ族は元々儚い容姿を持ち、その美貌もよく知られていた。だが、白の姫は何もかもが現実より遊離している。そうとしか表現出来ないのだ。
ボンヤリとクラウディアの青い瞳を眺め、やはり僅かに青みを帯びた白髪も似合ってるなと考えていた。
「クラウ」
上半身を起こしたエルフの少女が何かを呟いた。
「え?」
「シャティヨンはそう呼ぶ」
「ああ名前、と言うか愛称かな。私も呼んで良いってこと?」
「うん」
「クラウ、だね。私はセナ」
クラウディアからしたら、簡単に自分を倒せる相手である、その一点だけで認める事が出来るらしい。フルフルと小さく顔を振り、それだけで髪は整ったようだ。思わず撫でたくなったセナだが、グッと我慢する。馴れ合う事を望んでなどいない。
「そうだ、一つだけ話を聞かせて」
コクリと頷き、先を促して来る。
「昨晩、何故いきなりあんな事を?」
手作りらしき石のナイフで襲い掛かってきたのだ。セナの様に戦闘に慣れた者でなければ、大変な事になっていたかもしれない。
「長老から凄く強いと聞いてたから。ずっと待ってたの」
「強い? それだけ?」
「最近は楽しくないことばっかりだったけど、セナとはたくさん遊べそう」
意味が分からない。この娘、何言ってるの? それがセナの率直な感想だった。そもそもアレが遊びとか常識から掛け離れ過ぎだ。もしかして戦闘狂ってヤツかなと、最近のセナからしたら少し苦手なタイプである。しかし既に依頼は受領済で、ましてやこの娘を放っておくことも出来ない。悲哀の上位精霊の事がある。
その辺から教えないとダメかと思ったが、同時に長老やシャティヨンから教えられた事前情報が頭を過ぎる。かなり含みもあったし、隠された事実もあるはず。何より今は時間がない。百歳程度の、エルフ基準で年端もいかぬ少女を朝まで家に留め置いたのだ。元の世界であれば間違いなく事案だろう。
「そっか。また話をしましょう。で、お父さん、お母さんは? 怒られない?」
「パパはいない。ママは死んだ」
「……そう」
想像を超えた悲惨な境遇だった。セナは何と言って良いか分からず言葉に詰まる。適当に飾り付けた話ならば出来るが、目の前の彼女がそれを望んでいるとも思えない。なんと言うか、本質のみで構成された精神に感じるのだ。
「今は一人で住んでるから、誰も怒らない。だから安心して」
「一人で」
「うん」
怒りを覚えるのも仕方ないだろう。もちろん村の中だから安全性は担保されているし、放ったらかしでもないはずだ。だが、それでも、こんな少女を一人で生活させるなど、セナの感覚では到底許せない。ましてや両親を亡くしているのだ。
「こんな時間、ベッドにいたらシャティヨンが煩いから、先に帰るね。セナの教導、楽しみにしてる」
「……優しくなんてしないよ、私は」
「うん、だから、楽しみ。じゃあ」
ベッドから下り、クラウディアはタタタと走り去って行く。セナは、はためく白のワンピースをひとしきり眺め、背中が見えなくなっても暫くそのままだった。
「全く……これだからエルフは」
非常に長い時間を生きるエルフ族。彼等は精霊魔法や弓に長け、蓄積された知識も非常に深い。尊敬出来る事もあるが、その逆に違和感を覚える事が多いのだ。
その代表的なものの一つに、感情の希薄さがある。ヒトの感覚で見ると家族愛が非常に弱く、むしろ一族全体と伝統を大切に考える者達だ。そう、ずっと昔にセナをあっさり村から追放した母や兄の様に。
「まあその方が好都合か……」
セナとしてはオーラヴ村の連中と距離を縮める意思がなかった。それは白の姫クラウディアも例外でない。ないのだが、騒つく心を感じるのもまた事実だ。
「とにかく、シャティヨンから話を聞こう」
◯ ◯ ◯
先程訪れたシャティヨンを問い詰めた。
だが、セナは責める気を直ぐに失うことになる。感情面を表に余り出さないシャティヨンが悲しげに笑い、暫く言葉を返さなかったのだ。そして最後に、どうかクラウを宜しく頼みますと頭を下げた。
まず、懸念の一つである一人暮らしについてだ。シャティヨンとしてもクラウディアを孤独にしたい訳でなく、何度も一緒に住もうと誘ったし、強引に連れて来たこともあったそうだ。だが、白の姫は頑なにそれを拒み、必ず脱走するらしい。家出を繰り返し、時には森の深部で眠っていたこともあった。シャティヨンも慌ててしまい、全速力で探し回った過去もある。
そして、あの掴みどこのない精神だが、これも誰一人望んでなく、気付いたらあんな風に育っていたとの事だ。もちろん戦闘や生存技術は教えの中にあるが、才能は持って生まれたもので、シャティヨンも羨ましく思うほど。
精霊との距離だけはまだ学びが足りず、精霊魔法もまともに使えないらしい。これはかなり遅く、他のエルフと比べて二倍は停滞している。ただ悲哀の上位精霊に代表される上位精霊との親和性が高いのは長老も認めているそうで、時間の問題とされているようだ。この辺りは時の流れが違うエルフらしい鈍感さだった。
シャティヨンから受け取った食材や調味料を棚や箱に並べ、セナはこれからの時間を考えていた。
クラウディアは不良少女と言うより、個性的な女の子だろうか。その精神もまだ幼く、何より純粋と思える。境遇さえも決して幸せでないし、あの戦闘への強い興味も、今までの体験が影響しているかもしれない。そうなると単純に辞めさせるのも反発を受けるだろう。
「んー。予定変更で、先ずはあの子を知る事、か。シャティヨンの説明もいまいち要領を得ないし」
幸い教導の全てはセナに任されている。時間の配分も内容も、全てだ。学校の先生よろしく授業でも展開しようと軽く考えていたが、どうやら単純にはいかないらしい。
まあ今までの教導者が失敗していることから、そもそも想定外と断言出来ない。
暫く待てば、彼女は此処に再度訪れるはず。シャティヨンがそのように伝えると言っていた。
とにかく今日はコミュニケーションだと、セナは飲み物やお昼ご飯の下拵えを開始した。
まだこの部屋の設備に慣れてないが、簡単なものなら問題ないのだろう。美味しいご飯と飲み物があれば、誰だって心が柔らかくなるはず。セナは勝手にそう思っているし、最近は苦手な酒すら役割を果たしてくれた。まあ酒に関しては、現実を忘れさせてくれる存在だが。
「お酒……当分は飲まないようにしようかな」
子供相手の仕事、つまり依頼だ。
アルコール臭漂う教師なんて最低だし、そんな大人からものを教わりたい女の子なんていないだろう。
これからも不定期になると思います。すいません。




