(2)命の色
襲って来た獣型の魔物はウェリズン。
別名を長靴猫と言い、四足が巨大で靴を履いている様に見える。脚に見合う身体はやはり大きく、攻撃手法も踏み付けなどが主だ。もちろん獣型らしく、噛み付きや爪も要注意とされる。冒険者パーティならば中堅どころを求められる、かなり強力な魔物と言っていいだろう。
街道を逸れ、シャティヨン曰く"近道"の森に入って直ぐ、敵意を隠さないウェリズンがいたのだ。
ヤツはビョンと飛び上がり、獲物はペシャンコになるはずだった。それを想像したウェリズンは、もしかしたら愉悦を覚えていたかもしれない。
しかしシャティヨンは動揺も見せず、僅かな見切りで側面に移動。その位置に立った時、既に細剣が鞘から抜かれ、握られていた。無表情のままに刺突を行うと、ウェリズンの側頭部から貫通させる。長靴猫は一瞬で絶命した。
ほんの近くから見ていたセナだから、何とか確認出来たのだ。油断していたら何が起きたか分からなかったかもしれない。噴き出す血まで見えてしまい、セナは思わず視線を外した。
「まだ三匹来ますよ」
「分かってるけどさ……何で奴等が群れを?」
「魔物の考えは判りかねます」
長靴猫は通常単独で行動している。ごく稀に番でいるくらいだ。だから、複数が同時に現れるなど相当に珍しい。セナは不満顔を隠さず、アダルベララを背中から手元に持って来る。
「私は愚直な接近戦しか出来ません。申し訳ないですが、右の二匹を任せます」
返事を聞く気が全くないのだろう。シャティヨンは左側に回り込んだ一匹に近寄っていく。
溜息一つ。
セナは矢をつがえ、構えらしい構えもないままに放った。その矢は密集する樹々や枝葉の間を縫う様に飛び、走り来るウェリズンの頭蓋を破壊。それを確認もせず、セナは第二の矢を既に放つ寸前だ。一呼吸置きつつ横目でシャティヨンを見ると、逆にこちらを観察しているのが見える。左に回っていたウェリズンはもう地に伏せているようだ。
予想よりずっと強い。
セナは呟き、同時に二の矢を放った。シャティヨンが只者じゃないのは会った時から分かっていたが、想定を軽く上回る強さだ。
この僅かな間で四匹のウェリズンは始末された。
たった二人の美しき女性、装備は細い剣と弓矢だけ。魔法はおろか、精霊さえも力を貸していない。見る者が見れば顎が外れる程に慄いただろう。
「ウェリズンの討伐証明は長靴の先の右爪、でしたか。私は冒険者でないので儲けには出来ません。セナが剥ぎ取りしてください」
依頼が掛かった指定の魔物でないとしても、一定のお金にはなるのだ。シャティヨンの言葉は決して不自然なものでもない。
「……いや、いいよ。私だけで倒した訳じゃないし。さあ、行こう」
「いえ、急ぎでもないですから。それと、白の姫のことならば気になさらず」
すぐに立ち去ろうとしたセナ。だがシャティヨンは動かず、剥ぎ取りを更に薦めて来た。
「面倒だよ。それより」
「血が苦手」
ピクリと、セナの整った眉が揺れる。そして、夕焼けの色合いに染まる瞳は僅かな怒りを纏った。
「……最初からそのつもりだったんだ。この場所、ウェリズンも」
「ええ。セナも途中から分かっていたでしょう? まあ流石に四匹も居るとは考えていませんでしたが。弓の腕、アダルベララの力と暴走、そしてそれを制御する胆力。試すには多少弱い相手でしたが十分でしょう。そして、それほどの実力を持つ貴女が血を見るのさえ忌避するとは、余程の事があったのですね」
その口調と瞳には同情の色。
「……黙れ」
だからセナは苛立ちを募らせた。最近安定しない心を見抜かれた気がして、情けなくなったのもある。やはり、ウェリズンの死に様から目を逸らしたのも、シャティヨンは気付いていたらしい。
「改めて心からお詫びします。セナを試したこと、嫌なことを強要したこと、そして……不用意に血を見せてしまったことを」
左手を胸に当て、僅かに頭を下げた。
「……二度目は許さない。白の姫の為だろうから、今回だけ」
「はい」
シャティヨンは万が一にも白の姫へ危害を与えたくない。そして同時に実力と精神を試す気だった。このエルフからしたら、ある意味で当たり前かもしれない。ましてやセナは"殺戮の魔弓アダルベララ"の持ち主だ。その鏃の先が向けられたならば、それを躱すのは誰であろうと難しい。
「暫く先ですが、野営に適した場所があります。セナはそこで休んで下さい。私は食事を探して来ますので」
「疲れてなんてない」
「ええ、そうですね。ですが、私の我儘ですからお付き合い願いますか」
お詫びの意味と、気遣いもあるのだろう。白の姫の為とは言え、忌避感の強くなってしまった血まで見せたのだ。
「……好きにして」
それを知ったセナも、それ以上は否定しなかった。
◯ ◯ ◯
疎らに針葉樹が立つ此処は、広葉樹林と違って空から光も届いた。セナの瞳の色と同じ夕方が訪れたのも、かなり分かり易い。完全な夜になるまで時間もある。シャティヨンが集めて来た野草やキノコを軽く調理し、軽く腹を満たした。
今は温め直したお茶を片手に言葉を重ねているところだ。
「質問なんだけど」
「なんでしょう」
「さっきのウェリズン、私が必ず二匹倒せると思ってたわけ?」
その疑問に、無表情の見本みたいなシャティヨンには珍しく、ポカンとした顔色になった。
「……そうですね。セナに依頼を掛ける前、一応の情報は集めましたので。何よりアダルベララを御する貴女がウェリズン程度にやられるとは、露にも想像していませんでした。ですが、言われてみれば不用意だったでしょうか。セナがもし負傷などしたら、詫びようもありません」
ほんの僅かだがシャティヨンは俯いた。計算高く見られがちの彼女であるが、基本は非常に真っ直ぐなエルフである。いや、寧ろ真っ直ぐ過ぎると言えるだろう。
「……私が血を苦手に思ってるって、何で知ってるの」
元の世界では血を直接見る事自体が少ない。だから苦手とか考えたことも無かったが、今は見たり触るのも避けたいのだ。鉄錆の匂い、ドス黒い赤、僅かな滑り、全てが嫌いだ。だが、冒険者ギルドに限らず態々吹聴などしていない。
「ヴァランタンですよ。彼がセナのことを教えてくれたのです。随分と心配していました」
「勝手に……」
「責めないで上げてください。私は古い馴染みで、色々と縁もあったのです。それに、白の姫の教導者として相応しいか質問を重ねましたので。最初は渋っていたのですが、強くお願いした結果です」
ドワーフであるヴァランタンに悪気があるなど、セナは全く思っていない。それどころか、最近の状態をずっと心配してくれていた。寧ろ助ける手段が無い事を悔やんでいたほどだ。今の環境から一度距離を置くべきと、彼なりに考えたのだろう。
「ただ、視界に入れるのも苦しく感じるほどとは……私の浅慮でした。本当に申し訳ありません」
「もう良いよ。さっきも謝って貰ったし。あ、もしかして……まさか"揺り戻し"の事まで聞いた?」
「……はい。貴女が血を苦手に思う理由の最たるものですから」
セナがつい最近名付けた"揺り戻し"まで知っているとは。ヴァランタンのシャティヨンに対する信頼度の高さも分かってしまう。だが流石に想定外で、暫くは沈黙が訪れた。
「……別に忘れてくれて良いよ。運命がどうとか戯言に聞こえるだろうから」
そもそも確実かどうかの証拠もないし、何か調査をした訳でもないのだ。いきなり相手が運命や世界がとか話し始めたら、普通は痛い奴を見る目に変わるだろう。
だが、シャティヨンの瞳に変化は無かった。
「いえ。私はヴァランタンを心から信用していますし、戯言などとは全く思いません、が、白の姫に何か害が出る様なら、私も……」
流石に心から信じてはいない様だが、万が一も許せないのがシャティヨンの立場だ。
「だね。そんな事にならないよう私も気を付ける。もし嫌な感じがしたら直ぐに村を出るよ」
焚き火の炎が少しだけ弱り、重ねていた薪木を焚べた。パチパチと火花が飛び、空の暗さを強く映した。
夜が訪れようとしている。
そんな暗さと同じくらい雰囲気も悪くなったのを感じ、セナは話題を切り替えることにした。
「じゃあ折角だし、その白の姫について少し教えて貰おっかな。噂には聞いてたけど、まだ子供、いや女の子でしょう?」
それを察したシャティヨンもほんの僅かな笑みを浮かべ、セナの質問へ返していく。
「あの娘の名はクラウディア。クラウディア=オベ=オーラヴです。九十一年前に生まれ落ち、今も健やかに育っています。白の姫を知らぬエルフなど居ませんが、まさか文字通りの存在などとは考えていませんでした。セナも会えば驚くと思います」
「クラウディアか。精霊の愛し子、エルフを癒す、だっけ?」
「ええ。"癒す"の意味は受け取る側で違うみたいですが、私は既に癒されたと感じています。長く生きてきて、これほど命を強く想う日が来ようとは。クラウに剣を捧げると決めるのも一瞬でした」
「それは……凄いね」
エルフ、或いは黒エルフは王政を敷いていないため、白の姫という名もあくまで俗称に過ぎない。シャティヨンが剣を捧げたのも強制でなく、自身の判断なのだ。レイピアの達人であり、エルフの中でも相当な強さを誇る彼女が誓いを立てたのも、そのクラウディアの持つ魅力が素晴らしいのだろう。
「だからこそ、より良い教導者を求めたのです。セナ=エンデヴァル。多少の危険は厭いません」
「責任重大すぎない?」
あと真面目だ、シャティヨンて。意外に気に入ったかも。
そんな風に思い、セナは内心で笑ってしまった。




