(1)北の国で
白の姫とセナの出会いから別れまで。過去編です。
今から約二百余年前のこと。
北方の大国カルフルゼ。
「セナ=エンデヴァルは何処にいますか?」
カルフルゼの冒険者ギルドに入り、グルリと周りを見渡した。目立つ相手だし、直ぐに見つかると思ったが、一瞥した限りは姿が見えない。だが、最近はこの国を拠点とし活動していると情報で分かっている。だからシャティヨンはすぐ近くに居た若い冒険者に問うたのだ。
丁寧なのに冷たい響き、エルフ族特有の長耳、腰には細い剣の鞘。確認しなくても分かる強者の匂いに、若い彼も無視は出来なかったのだろう。ゆっくりと指先で示し、次いで言葉を紡いだ。
「あっちの右奥、個室になってる。あの黒エルフの女はいつもあそこだ」
「そうですか。ありがとうございます」
直ぐに向かおうとしたシャティヨンに、慌てて助言を伝える。
「アンタ! 今はやめとけって。昨日から飲んだくれて機嫌が悪いんだ。アイツに、セナ=エンデヴァルに睨まれたら死んじまうぞ」
「死ぬ? ですか?」
「噂を聞いてないのか? 仲間達を皆殺しにしたって聞いた奴もいるし、実際に今はパーティも組んでない。赤と黒って意味の古代語で"ルフスアテル"。奴に近づいたら最後は血の海に沈むって……」
「赤と黒、血と黒エルフ。なるほど、あのアダルベララの持ち主ならば不自然でもないですね。御忠告には感謝致します。が、私には使命がありますので。それでは」
「あ、おい!」
シャティヨンは恐れることもなく歩みを進めた。周りには多くの冒険者達が居るが、目的の黒エルフから距離を取っているのが分かる。ヒト種だけでなく、エルフ、黒エルフ、ドワーフなど、どの種族にも例外は無い様だ。
どうも聞いた話と違いますね。内心で呟くシャティヨンは全く表情を変えず、唇も動かさなかった。
この国、北の大国であるカルフルゼに来たのはセナの知り合いから情報を得たからだ。だが、情報元であるドワーフのヴァランタンが話した内容と全く一致しない。心優しく、お人好しで、誰もが笑顔になると聞いていたのだ。
「まさか……アダルベララに呑まれた? ならば人口密集地から離さないと大変なことに」
彼女の主武器であるアダルベララが持つ特有の能力、いや呪いに喰われたならば人格など消し飛んでもおかしくない。周りに死を振り撒いたあと、次の使い手を探し始める。あの最悪と言って良いアダルべララを御する者ならば招聘に相応しいと思っていたのだが。
角を右に折れると一番奥に閉じられた扉が見える。アレが説明のあった部屋だろう。シャティヨンは右手を細剣に添え、同時にノックした。更には丁寧に言葉を続ける。
「よろしいでしょうか。私はシャティヨン。エルフ族オーラヴ村より使者として参りました」
暫く待つが全く返事がない。
シャティヨンが持つ常識が、扉を開けようとする手を一瞬だけ止めた。だが、今は忠誠を誓ったあの娘の為に来ているのだ。自身の常識など火に焚べて仕舞えば良い。
「失礼します」
まず鼻を擽ったのは酒の香りだ。酷く甘ったるくて、シャティヨンの無表情が少しだけ歪む。
そして、真ん中に置かれた丸テーブルに突っ伏しているのが目的の女性か。伏せていても分かる背の高さ、今は潰れているが大きな胸、長い耳、そして褐色の肌。黒エルフらしい体型が全てを示している。
周囲に散らばる酒瓶を拾いつつ、その横を通り過ぎる。酒瓶はそのまま角にあるチェストの上に並べた。あとで片付けるつもりだろう。そのあとしっかりと閉まっていた木製の窓を解放すれば、一気に光が部屋に飛び込んでくる。今はまだ早朝で、外からの風は清々しい。
「風精霊よ」
続いて唱えた願いにより、部屋の淀んだ空気を窓から吐き出す。
「う」
漸くお目覚めか、呻くような声が聞こえた。
「眩し……」
目を擦りつつ、黒エルフの女性は体を起こしたようだ。金色の髪は陽光を反射しキラキラと輝く。まあ寝癖が酷いので綺麗とは言い切れない。更に言えば伏せていた顔にもテーブルの跡があり、もう情け無くなるほどだった。
「……貴女がセナ=エンデヴァルですか? 私の話は通じるでしょうか?」
直ぐ横、床に転がっている真っ赤な弓を見ながら、シャティヨンは声を掛けた。もし人格が消えていたらと気を揉んだが、今のところ気配はない。とは言え油断はまだ出来ないのだろう。アダルベララがいつ牙を剥くか誰も分からない。
焦点の合っていなかった視線がシャティヨンに向く。最初橙色した瞳は揺れていたが、次第に厳しく尖り始めた。
「通じてるし、誰でもいいでしょう。いきなりなに?」
かなり冷たい響き、責める様な口調。
だが、特徴の全てがセナだと言っているし、何よりも紅弓だ。そもそも目の前の黒エルフも否定はしていない。そして、どんな相手だろうと動じる様なシャティヨンでもなかった。
「ノックはしましたよ。私はシャティヨン」
「……エルフ族。でもこの辺じゃ見掛けない髪。その名前と雰囲気、西方から?」
白銀の長い髪をシャティヨンはそのまま流している。
「さすがですね、セナ=エンデヴァル。私は此処から遥か西にあるオーラヴ村から来ました。ですが、まずは確認させて貰います」
音もなく鞘から細剣を抜いた。そして剣先を真っ直ぐセナに向ける。シャティヨンの変わらぬ無表情、全く揺れない剣、そしてセナもただ座ったままだ。
「別に意識を奪われてるとか無いよ。そっちこそ、アダルベララを知ってるなら、危険な真似はやめた方がいい」
スッと上げた指先でシャティヨンの剣先を横にずらした。見れば空いた反対の手を胸元のナイフに添えている。その後抜きかけたナイフを納め、セナは感情を伏せた声で返した。
「……なるほど。確かにアダルベララの主人、ですね」
「まあね」
「失礼しました」
再び無音のまま剣を鞘に戻す。そしてそのまま語り掛けた。席にはつかない様だ。
「貴女の、力を見込んで頼みがあります」
「……座りなよ」
「いえ、このままで。私は貴女に依頼したく参じた使者ですので」
「固いなぁ。まあ話を聞くくらいなら。で、頼みって厄介な魔物の討伐? それとも気に入らないやつの暗殺とか? 先に言っておくけど、ヒトを殺すなんて大金積まれてもやらない」
「……何故そんな頼みだと?」
ツラツラと流れて来たのはかなり物騒な言葉達だった。この辺りも事前の情報と余り一致しない。心穏やかな女性と聞いていたのだ。
「そんなの簡単。私は依頼を請けるだけだし、今は見ての通りソロだから……最近そんな依頼ばかりで大変なんだよね。ほら、凄いでしょ、赤と黒ってさ」
赤と黒。古代語でルフスとアーテルを混ぜた造語だろう。かなり不吉な名で、同時に彼女の特徴を表してもいた。
だが、シャティヨンには見えた。悲しそうに、泣きそうに揺れる瞳が。
「そうですか。まず、今回の願いはその様なものではありません。先程も言いましたが、貴女の力を見込んだからこそ、貴女にしか頼めない依頼です。私に同行し、オーラヴ村まで来て頂きたい」
「同行?」
「はい。暫く滞在して貰い、ある人物に授けて欲しいのです。貴女が持つ経験や知識、その力の源泉を」
「あー……思い出した。もしかして"白の姫"に」
つい最近、約九十年前に西方で誕生したらしいとセナは聞いていた。
「その通り。彼女に何人かの教導者を付けましたが……その歩む道が正しいのか分からないのです。ですので、貴女の様な強者を求めることにしました」
手渡して来たのはオーラヴからの書状。長老の名も記されており、間違いなく正式な依頼だ。ザッと目を通したあと、再度佇むエルフに視線を合わせる。
そんなシャティヨンが抱えている感情の色は……何故か"不安"に見えた。
◯ ◯ ◯
通称"白の姫"は極々稀に生まれるエルフの至宝だ。精霊の愛し子として、深い叡智に触れる事が出来るとされる。その存在はエルフに幸福を齎し、同時に癒しを齎すのだ。だが、その育ち具合が思わしく無いのだろう。
酒瓶を片付け、朝のお茶を淹れたセナは喉を潤している。目の前に立つエルフの女性シャティヨンにも勧めたが、頑なに固辞されたので一人だけだ。
「ところでさ。アダルベララの持ち主で、おまけに黒エルフなんて近づけて良いの?」
「長老様が認められました。セナの懸念通り、反対する者もいましたが」
「思い切ったものだね」
「流石にヒト種は呼べません。ましてや貴女はハグレでしょう」
「遠慮なしだなぁ、シャティヨンは」
ハグレ。つまり何らかの事情により故郷を追い出されたエルフだ。各村の結束が強く、一族で固まるのが一般的なエルフにおいて、放浪を続ける者など非常に珍しい。しかもセナは更に少数となる黒エルフ。ある意味で、しがらみから解放されたセナが適任と判断したのだろう。
「実のところ、私も気乗りはしていませんでした。ですが、集めた情報から考えを改めたのです。何より、あのヴァランタンが褒めていましたよ、貴女を」
「……ヴァランタン。随分と会ってないけど、元気にしてた?」
「ええ、変わらず矍鑠とした翁でした。私の剣も見て頂けたので、きっと幸運なのでしょう」
「分かった。その依頼、請けるよ。ただ、幾つか条件がある」
ヴァランタン。その名が出た段階で、セナは断ることをやめた。彼には返し切れない恩がある。
「どうぞ」
アダルベララの紅弓を引き寄せ、セナはシャティヨンへ向き直る。
「一つ、私のやり方に口出ししないこと」
「次は」
「もちろんアダルベララにも。触るなんて有り得ない」
「無論です。むしろ近付いたりしませんよ、私も」
「次。いつ終わるかは全て私が決める。村を離れる時も絶対に止めないで」
「なるほど。良いでしょう」
特別な話でもない。シャティヨンからした拍子抜けに等しい条件だ。そもそも報酬について未だ伝えてもいないのだ。
「じゃあ最後にあと二つ」
「はい」
これが本命だろうとシャティヨンは身構えた。
「私がしたこと、伝えたこと、全部を、絶対に記録に残さないこと。それと」
「それと?」
「必要なとき以外、近寄らないで」
「……何故でしょう?」
「私はハグレ……自分以外のヒトもエルフも、全部が嫌いだから。そう言うことにしておいて」
間違いなく嘘だ。シャティヨンにも直ぐに分かったが、言及は出来ない。セナの強い断固とした意志が瞳に宿っていた。
だが、それでも、泣いている様に感じる。
それはまるで、孤独を恐れ涙を溢す幼子のように。




