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18 母の想い

 




「で、そのあとでっかい水玉が飛んできて、エイムーの顔の前でビチャーンって弾けたんだよ! アイツの顔がビチャビチャに濡れてさ、ポカーンってなって笑えたぜ!」


 大きな身振り手振りでティコは説明を続けている。


「へー、そうなのかい。怒ったエイムーがそんな風に静まるなんて不思議だね」


 因みに、ティコの頭には大きなタンコブが二つ生成されており、ついでに強く抓られた両頬は赤くなっている。内緒で一人街の外へ抜け出して、無謀な戦いに挑んだ息子への罰だ。ギャーと叫び声が上がったが、セナとしても止める気は起きなかった。


 ごめんなさいと謝ったあとに漸く落ち着きを見せ、テーブルにはヤトヴィお手製の料理が並んだ。野菜中心の料理だったため、セナとしても嬉しい。もしかしたらエルフは肉を食べないと言う迷信を気にしたのかもしれない。ティコの言う通り、料理の腕は素晴らしく、非常に美味しいものばかりだった。


 今は食後のお茶を頂きつつ会話を楽しんでいるところだ。話してみると二人とも気持ちの良い為人で、セナとしても心安らぐ時間になっている。


「言われてみたら確かにそうだな。セナ、アレって普通の魔法?」


「いや、ちょっと違うよ。あの時は精霊魔法を使ったから。水精霊(ウンディーネ)に力を借りたんだ」


「うへ! 精霊魔法か! 初めて見たぜ!」


 皆に自慢しようと喜ぶティコ。この辺はやはり子供らしさを感じられて微笑ましい。


「さすが黒エルフだねぇ。しかし、聞けば聞くほどセナは命の恩人じゃないか。本当に何度御礼を言っても足りないよ」


「こんなに美味しいご飯とお茶を頂きました。十分ですよ、ヤトヴィさん」


 セナとしては偶然な上に大した労力でもない。本心からの言葉だし、前世である日本人らしい謙虚さも含まれた返事だ。だが、ヤトヴィは驚き、感心しきりだった。黒エルフの種族そのものへの偏見さえ消え去っている。だから、先程から頭の中でチラついていた願いを伝えてみることにした。


「セナ、あの、本当に厚かましいのは分かってる。でも、一つお願いがあるんだ。聞いちゃくれないかい?」


「お願い、ですか?」


 コトリとお茶の入ったカップを置いた。橙色した切れ長の瞳を真っ直ぐに向け、セナは言葉を待つようだ。もうそれだけでヤトヴィは幸せな気持ちになる。文字通り厚かましい話だし、彼女が願いを聞く義務もない。なのに、真剣な眼差しを向けてくれているのだ。


「ありがとう……じゃあまず、少しだけ昔話に付き合っとくれ」


 はい。そう答えた綺麗なセナの姿を眺めつつ、ヤトヴィは心からこの出会いに感謝した。











 ティコは席を外している。


 ヤトヴィが此処から追い出したからだ。ティコは当然に反論したが、大人同士の話だよと切り捨てられた。結局は渋々納得し、今は外で薪割りと、包丁などの刃物類の整備を頑張っているはずだ。


「聞いとくれ。あのおバカの、ティコの父親はね……」


 ヤトヴィの夫であり、ティコの父親は腕の立つ弓士だった。


 若き頃から国軍に参加し、めきめきと上達。何度か褒賞も得て、一度だけだが聖王国から勲章を授与されたらしい。オーフェルレムの紋章が刻まれたメダルを見せられれば疑う必要もない。


 それなりの収入、周囲からの賞賛、弓の腕の自信と誇り。


 そして、ある意味で良くある話だが、其処から身を持ち崩していく。


 まず嵌ったのは賭博だ。掛け金はお小遣い程度の端金から増えていき、そのうち家族に残すはずの生活費にも手を付ける。借金につぐ借金が重なり、元々住んでいた場所から引越して来たのは三年前だそうだ。


 最悪なのは同じ頃酒に溺れたこと。そう、自慢だった弓の腕すら衰えてしまった。集中力の欠如、震える腕と指、視力も低下していく。


 そしてある日彼は行方を眩まし、それ以降は帰って来てもいない。まさに最低の父親だろう。


「もうそれは良いんだよ。ずっと前から愛想が尽きていたし、借金も増える一方だったからね。でも、それでも、ティコにとってはやっぱり父親だったのさ」


 ティコが小さな頃に、何度も腕前を見せてくれたらしい。


 父が放った矢は遥か遠くに置いた的や果物へ見事に命中する。そう、まるで魔法の様に。そして勲章のメダルはキラキラと眩い輝きを放った。


 失踪するずっと前、父はティコへ沢山のものを残してしまったのだ。弓士への強い憧れ、愚かな過信、そして子供用の弓と矢だ。


「矢が真っ直ぐ飛べば馬鹿みたいに褒めて、距離が少しでも伸びようものなら抱き上げて喜んでたよ。お前は天才だ、俺より才能があるって戯言を叫びながらね」


 悔しそうに、哀しそうに、ヤトヴィは顔を歪める。セナにもそれが見えたし、彼女の願いが何なのか分かって来た。


「分かるだろ? 今でも勘違いしちまってるのさ、ティコは。私が何を言おうと信じないし、あの腕白ぶりだからね。注意しても危ない事ばかり。気付いたら外にまで行って……」


 伏せられた瞳は彼女の気持ちそのままだろう。


「でもね、一度だけ獲物を採ってきたこともあったんだ。あの子はおバカだけど、根は優しいんだよ? 余裕のない私を普段も見てただろうし、家計の助けにってね、自慢げに鳥を一羽渡して来たんだ。その時の……危ない真似をしたことの怒り、気遣ってくれた気持ちへの幸せ、分かってくれるかい?」


「ええ、もちろん」


 獲物を採ったのは本当だったらしい。幾ら運が良かったとは言え、驚くべき事実だろう。そして、ティコがエイムーを求めた理由も理解出来た。


「じゃあお願いと言うのは」


「セナの言う通り、死んじまったらと思うと生きた心地がしないんだ。だから、はっきりと言ってやって欲しいのさ。ティコに、弓の才能なんて無い、別の道を目指すべきだってね。弓なんて触ったことない私より、黒エルフのアンタなら説得力が違うだろ? だってエルフと言えば、美しくて、寿命が長くて、魔法と、何より弓だ。その辺のガキでも知ってる話さね」


 やはり予想通りの願いだった。同時にセナはなかなか酷な話と思う。だが、ヤトヴィからしたこんな機会は殆どないのだ。弓矢を手足同様に扱うと言われるエルフなぞ、会うことさえ難しい。だが何の偶然か、目の前にはお人好しな黒エルフの女性が居る。愛する息子を案じる気持ちを誰も否定出来ないだろう。まさに、藁をも掴む想いから出た願いだ。


「私の言う事を聞くとは限りませんけど」


「はは、勿論分かってるさ。結果なんて気にしなくていい。むしろ……憎まれ役なんて申し訳ない話だよ」


 セナの優しい表情と返した言葉から、手助けしてくれるのは間違いない。それが分かったヤトヴィも、笑顔と涙を浮かべた。


「分かりました。彼の実力を見て、思うままに言います。良いですね?」


「泣いちまう様な可愛らしさなんて無いさ。気にせずズバッと言っとくれ」











 ◯ ◯ ◯



 ティコは真剣な表情を浮かべて包丁を研いでいた。パチャリと指で水を掛け、再び刃を砥石に当てる。シャッシャと規則的な音が響いていった。見ればかなり丁寧な研ぎで、最初の印象に反してしっかりとした仕事ぶりだ。薪も充分な量があり、こちらも一仕事終えているらしい。


「……ん? お、セナ、話が終わったんだな。ヒヒ、大人の話って、やっぱりアッチのことだろ? 大丈夫、オイラの女の扱いは優しいぜ。歳上だろうと任せ……な、何だよカーチャン! い、いてえ!」


「おバカ! 全く、頭が痛くなる話ばかりして!」


 んー、やっぱり親子だなぁ。髪色もそっくりで、眼差しも似てる。性格だってどこか憎めない。そんな風にうんうんと内心頷くと、セナはゆっくりと歩み寄った。


「冗談だろうけど、はっきり言っておくね。ティコくんとは付き合いません」


「ぐえ……フラレちまった!」


 嘘泣きとはっきり分かる仕草。チラチラとセナを伺う視線はちょっとウザい。


「ホレ、コイツを持ちな!」


 ヤトヴィは手渡したのは、家に置いてあった小型の弓矢。つまりティコの装備品だ。


「オイラの弓?」


「アンタは何度言っても分からないみたいだからね。弓の腕をセナが見てくれるのさ。あれだけ普段から偉そうな口を聞いてるんだ、まさか嫌とは言わないはずだ。さあさあ、その自慢の腕を見せてみな。それに今度のお相手は黒エルフのセナだ、不満なんてないだろ?」


 グッと言葉に詰まり、それでも上を向く。その辺はやっぱりティコらしい。


「ふ、ふん! オイラの腕を見てビビるなよ!」


「分かった。じゃあ遠慮なく見させて貰うね、その才能ってやつ。それと、ヤトヴィさんから頼まれたし、思ったことを言うから。いい?」


「うっ」


「あれ? どうしたの?」


「べ、別に! 全然大丈夫だし!」


 当たり前だが、自らの腕と才能に絶対の自信があるわけじゃないらしい。目の前にいるのは弓を手足の様に操るだろう黒エルフだから、母の様に誤魔化しも効かない。


「あそこに見えるのは修練場かな。ティコくん、行こっか」


「お、おう!」


 少し離れた場所に広場らしきところがあった。かなり頑丈そうな壁、的代わりの瓶が転がっているのが見える。壁には矢が突き立った穴がたくさん空いていて、昔からあるのだろう。


 緊張した面持ちのティコ。そして、これから厳しい言葉を伝えないといけないセナ。そんなセナは少しだけ胸が痛んだが、子供の命には換えられない。


 ところでセナは、黒エルフとしての教育を全く受けていない。だが、弓自体はずっと昔から扱って来た。ドワーフの老ヴァランタンに預けてある「アダルべララの紅弓」があれば、文字通りの人外な戦闘力を発揮出来る。そもそも鍛えた弓矢の腕はヒト種から教わったものだから、ティコへの助言にも大きな間違いはないだろう。


 テクテクと歩くティコの背中は小さい。


 "占術"で何かを伝える事も出来るかもしれない。セナはそんな事を思ったが、余計なお世話と思う。人の才能を占いで示すのは、酷く烏滸がましく感じるのだ。この世界ならばそんな違和感も少ないだろうが、セナからしたら前世の常識が基本になっている。


「なあセナ」


「なに、ティコくん」


「オイラの腕が言う通り凄かったら褒めてくれる?」


「勿論ちゃんと言うよ」


「ホントだな?」


「約束する」


 横を歩くヤトヴィも否定はしない。当然だが、嘘をつく気は全く無いセナだった。


「うーん、でもさ、ご褒美があればやる気がすっごく出るよなぁ」


 チラッチラッとセナを見るティコ。


 うん、ちょっと苛つく。そう思ったセナの両耳が一瞬だけピクリと震えた。大体やる気があろうとなかろうとセナには全く関係ないのだが。


「はあ……で、何か希望でもある? そのご褒美」


「セナがオイラにチュー……は冗談で、一日街で遊ぶのは?」


 チューのところでギロリと睨んだら、さすがにティコもヤバいと思ったらしい。一日デートに変更して来た。まあデートもセナからしたらアホらしいが。


「全くもう……りょーかい。それも約束するよ」


「ホ、ホントか! やっべ、やっべ、オイラにも彼女が!」


「いや、彼女じゃないから」






キャラ紹介10


ティコとヤトヴィ。


優秀な弓士だった父親がいたが、数年前に失踪したらしい。それ以降は貧しい暮らしのなかで、母子二人何とか過ごしている。最近ティコが悪知恵をつけて勝手な行動をする様になり、ヤトヴィは気を揉んでいた。


偶然に出会い助けられたセナに、ヤトヴィは願いを伝える。ティコが弓を諦め、別の道へ歩むきっかけを。


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