17 お呼ばれ
ピクニックを中止したセナは、レミュへの帰路についていた。折角のお弁当もそのままで、かなり気落ちしている。だけど、気分が上向かないのはそれだけが理由ではなかった。
「かー、ネーチャン、めちゃくちゃ別嬪だなぁ。なあなあ名前は? 教えてくれよ。あ、オイラはティコってんだ」
返した弓矢と小剣を背中に掛け、一応の格好は出来ている。だが、ソバカスと赤茶色した短髪、垂れ目で幼さを残す容姿はそのまま子供っぽさを体現していた。身長もセナの胸に漸く届くくらいの高さだ。まあ出て来る言葉はマセているけれど。
セナの周囲をクルクル回りながら、飽きもせず声を掛けて来るのだ。遠慮ない視線はセナの胸、細い腰、丸い尻を眺め続けた。
このエロガキめ。
そんな風に、セナは内心でボヤくしかない。
「うちのカーチャンなんて樽みたいな腹なのに、アンタは細っこいなぁ。マジで同じ女とは思えねーよ。でもオッパイのデカさは流石のネーチャンも負けてるかもな。まあアッチはただデカいだけで垂れまくってるけど、ギャハハ!」
母親に対して酷く失礼な言葉だが、元男として理解してしまう部分もあったりする。子供の頃は馬鹿みたいな台詞や毒をあちこちで吐いていた訳だし。
セナはもう何度目か分からない溜息を溢し足を止めた。
「キミさ、ちょっと黙っ」「ティコ、な」「……」
「ネーチャンは黒エルフってヤツだろ? 美人だ綺麗だって聞いたことあったけど、ホントにホントだったんだな。はー、レミュのど真ん中でも会ったことないぜ、こんな別嬪」
「ティコくん? 静かにしてくれるかな」
ピクピクと唇が震え、ついでに長耳もプルプルしている。引き攣る笑顔を見れば、セナの困惑は手に取るように分かった。
「じゃあまず名乗ろうぜ? 挨拶は大切だって習わなかったのか?」
ギリッと噛み締める歯が鳴った気がする。常識のジョの字も知らなそうな子供に挨拶云々を説教されたのだ。ヘナヘナと萎れた両耳は呆れか諦めか。
「名前はセナ。適当に呼んで良いよ。それより一人で危険な真似はやめなさい。エイムーだけじゃなく、街の外が危ないことくらい知っているでしょう」
ちなみに、心の中を言葉にすると「あぶねーことすんな。街以外危険なんだから子供らしく中で遊んでろ」になるが、こういう時は外見に沿った言動の方が効果的と知っているのだ。つまり、ムカつくが綺麗なお姉さんとして対応するのが良いはず。
「ひゅー、セナか。そういやお礼も言ってなかったな。さっきはありがとよ、助かったぜ」
こんにゃろう馴れ馴れしく呼び捨てか。またもや内心そんな風に呟くが、適当に呼べと言ってしまった以上仕方ない。まあお姉さんぽい態度が効いたのか、少しだけティコも大人しくなったようだ。それに気付いたセナは、この流れで注意することにした。
「偶然私が近くに居たから良いけど、下手したら死んでるよ。街の外は大人だって一人で出歩いたりしない。お礼なら要らないから、こんな事はもうやめないと」
「あー、言ってることは分かるけど、オイラの腕なら大丈夫さ。大体さっきは油断してただけだ。もう何度かウロついてるし、獲物だって市場に卸してるんだぜ?」
「そう。でも、たった一度の油断で死ぬ時は死ぬ。その時に後悔しても遅い。それが理解出来ないなら口ばっかりの子供だね。ティコくん、例えば私の正体が悪者だったら? キミを連れ去って、何処かに売っ払う事も出来る。二度とお家に帰れなくするよ?」
セナは態と冷たい声を出し、ティコを見下ろした。子供だろうと簡単に死んでしまうのがこの世界だ。いや、元の世界だって一緒だろう。
「……セナは悪いヤツじゃないさ。オイラの目は確かだぜ」
少しだけビビり、それでも強がるティコ。反抗期なのか聞き分けが悪いようだ。セナは暫し考えて、親か目上に伝えた方が良いと判断した。レミュに到着したら家まで行って話をするしかない。
「はぁ。とにかく帰るよ。送るから案内して」
「おっ! ついでに飯でも食っていけよ! カーチャンの作るご飯はサイコーだからな!」
一気に機嫌が治り、ティコは眩しい笑顔に変わった。それだけ見れば可愛らしい。やっぱり子供の笑顔とキラキラの瞳は良いなと思う。
「そのあとオイラと遊ぶんだ。歳上の女と付き合ってるなんて、ダチや弟分に自慢出来るしな!」
はい前言撤回。一回痛い目に合わせないとダメかもしれない。
「大人に向かって"歳上の女"とか言うな、おばか」
強めに頭を叩き、ついでに頬もつねる。もう遠慮はない。
ティコはイテェ!イテテテ!と騒ぐが、セナはそのまま指に力を入れ続けた。
◯ ◯ ◯
セナが現在住まう家からはかなり離れた地区。
そもそもラウラに紹介された物件は好条件な場所にあるため、ティコが住む住宅密集地とは違うのだ。しかもこの辺りは低収入の者達が集まる地域と思われる。目の前にはティコの家が見えるが、かなり見窄らしいと言えた。
父親は腕のある弓士と言っていた。しかしそれならもっと収入が安定しているだろう。矛盾を感じるセナは色々と思考しつつ、当たり前だが言葉にしない。
「カーチャン、ただいまー!」
ティコが元気一杯な声を出し、強く扉を開いた。ガタンと大きな音がしたため壊れたりしないか心配になる。扉や壁も薄く、建具も安物だろう。
「お帰り! 全く、昼も食べずに何処行ってたんだい! 大体アンタはいつもいつも……」
セナを見て固まる母親。その様子は最初に会った時のティコにそっくりだった。赤茶けた髪色は母譲りか、顔立ちも似通って見える。
「分かってるって! それより今日はお客を連れてきたぜ! なんとオイラの新しい彼女だ! 別嬪だろう、な?」
その台詞を聞いた母親の視線が不信感に染まった。他種族の黒エルフで、年齢も違い、見た目は超美人。普通に考えてかなり怪しいだろう。
それを理解するセナは眉間に指を当て、グニグニする。もう溜息も出なかった。
まあ子供のティコに頼っても仕方ない。そもそもいきなり身も知らない他人が現れたら警戒するのが普通だ。今でこそ平和だが、エルフなどとずっと昔は戦争していた。ましてや非常に珍しい黒エルフである。だからセナは背筋を伸ばし、出来るだけゆっくりと話し始めた。
「あの、突然ごめんなさい。私はセナ。セナ=エンデヴァルと言います。まず最初に言っておきますが、ティコくんの彼女じゃありません。ついさっき、事情があって外でティコくんと知り合いました。その事情について少しだけお話がしたいのですが、宜しいでしょうか」
「おーいカーチャン、聞いてるかー? いくら美人なオイラの彼女が登場したからって、ビビり過ぎだって!」
固まったままの母にティコは冷やかしの声を掛ける。
「あ、ああ。ごめんよ。吃驚しちまって。私はそこの生意気なティコの母親で、名前はヤトヴィだよ。とにかく……何が何だか分からないけど、まあ上がって。狭い家で悪いね」
だが同時に、不信感一杯だった視線は幾分か和らいだようだ。「外で」と言う言葉、セナの誠実な表情と反応、更に言えば息子の性格。もう色々と想像がついてしまったらしい。
「いえ。とんでもないです、ヤトヴィさん」
声まで綺麗でヤトヴィの体に震えが走った。長い耳、褐色の肌、絶世の美貌。誰が見ても黒エルフの女性だ。ヒト種と違い、ほぼ永遠の寿命を持つ精霊種と同一と言って良い。つまり見た目が若くとも、実年齢はさっぱり分からないのだ。聖王国に住む者は下手したら一生出会わないかもしれない。そんな存在が彼女と言える。
そしてヤトヴィはヒト種として年相応の外見だ。収入も不安定なため食事も偏りがちで、体型にも現れている。そこはティコの言っていた通りで、肝っ玉母ちゃんってヤツだなどとセナは失礼なことを考えたりしていた。
「セナはオイラの隣な。そうそう、ここに座って」
ギシギシとなる椅子は手作りだろう。流石に折れたりはしないだろうが、少しだけ不安定に感じる。向かい側にヤトヴィが座り、暫く沈黙が漂った。
「あの、突然で驚かれたと思います。すいません」
「い、いえいえ。多分うちのが何かしでかしたんでしょ? 綺麗なヒトを見ると声を掛けまくるおバカなんで、謝るのはこっちだよ」
「えーっと……」
セナは完全に否定出来ない。原因はおバカ、いやティコだからだ。ヤトヴィの顔色からも毎度のことなのだろう。
「カーチャン違うんだって! これには深い訳が」
「お黙り」
ムスリと黙り込むティコ。もう定番過ぎてセナも笑いそうになった。まあ長居するのもアレだしと、話を続ける。
「実は、街の外で偶然に会ったんです。彼はエイムーに追われてて、弓で仕留めるつもりだったと。知っての通り、余程の腕がないと倒すなんて無理な相手です。最悪は手酷い反撃を喰らって命を落とすでしょう。ですので、お知らせしておこうと伺いました」
そんな話を聞けばヤトヴィの顔色が悪くなり、続いて怒りの表情へ。最後の方は少し悲しげだった。セナとしてもホッとする。息子を心から案じる母親だと分かったからだ。
「セナ! オイラなら大丈夫だって言ってるだろ! オヤジから才能があるって何度も褒められたんだぞ!」
自分から言っても仕方ない。そう判断したセナは反論しない。
「……ありがとうよ。ん? ああ、言わなくても分かる。きっとアンタがティコを助けてくれたんだろ?」
「本当に偶然でしたから、お気になさらず。しっかりと注意してあげてください。それでは私はこれで」
言う事だけ言うと立ち去ろうとするセナ。その様子だけで彼女が善意のもとに訪ねてくれたと分かる。ヤトヴィは慌てて止めた。
「待っておくれ! せめてお茶だけでも……ちゃんとしたお礼もまだ」
「先程も言いましたが、気になさらず」
固辞するセナに、ヤトヴィは何か言い分をと考える。すると丁度よくティコが声を上げた。
「もう帰っちゃうのか⁉︎ さっきも言ったけど、カーチャンの飯は最高なんだ。な? 食べていけって、お願い!」
「そ、そうさ! 今すぐ用意するからね!」
断りの声を聞く前に、ヤトヴィは台所に向かった。この時ばかりは息子を褒めてあげる。言葉にはしないが。
「え、あ、いや私は」
聞こえないフリ聞こえないフリ。ティコが厚かましくもセナの腕に抱きついていたが、ヤトヴィはそれもついでに無視した。