16 ありふれた日常
「……そんな話が」
「はっ。ですので、レオアノ殿下や他の誰からも距離を置く事は、決して隔意などからではありません。寧ろ親愛が有るからこそでしょう」
或いは、身近な者を巻き込まず、昔の様に悲しい結末を迎えたくないと言う恐怖からか。語られた過去を思い、ロッタはセナの孤独を再び感じた。そして若き王子の願いが叶わない現実も。
オーフェルレム聖王国の中心にある城内の一室で、二人に一時の沈黙が舞い降りている。ジッと何かを考えるレオアノは何を思うのだろうか。
「……ずっと前から暇さえ有れば眺めていた」
「はい」
何を眺めていたのか、言わなくとも分かる。シーグリーンの瞳は過去と今を同時に見ているのだろう。
「セナの肖像画と、実際に出会った時の印象は余り変わらない。美しく、優しくて、精霊が舞い降りたと思ったよ。想像通りに崇高で遠い存在だってね。でも、話してみたら意外に悪戯好きだし、ヒト種みたいに喜怒哀楽もはっきりしてた。我等と同じ、感情のある者なんだと」
「その通りです」
「ロッタの話を聞いて確信したよ。セナはきっと……寂しくて、辛くて、強がってる。何度か悲しそうな表情を見たことがあるし、直ぐに消えてしまいそうな弱さも……」
ロッタはこの時、レオアノの成長を強く感じた。元々優秀な王子ではあったが、若さを思わせる言動も多かったのだ。恋は人を強くする。想う相手が彼女であることは彼の運命に影響を及ぼすかもしれない。もちろん良い意味でだ。
もしかしたら、セナは何かを知っているのだろうか。聖王国の王子レオアノが、将来何かを成し遂げる存在なのだと。だからこそ気に掛けている。彼女自身の戒めとして占術師らしく言葉には出来ないし、あからさまな救いや教えも伝えないのだとしたら?
何か気付いた気がするロッタだったが、やはり言葉にしない。そのままレオアノの声に耳を傾け続けた。
「叶わない気持ちだろうと、自分を裏切りたくないんだ。セナを守る誰かが現れたら良いって、ロッタはさっき言ったじゃないか。だったらもっともっと強くなればいい、自分も聖王国も」
「はっ。御立派なお考えと思います」
「明日から今まで以上に鍛えるぞ。ロッタ、頼めるか」
「無論でございます。厳しくいきますぞ?」
「遠慮は要らない」
「よろしい。そして、近いうちにセナ様とお会いする日が来るはずです」
「ああ、もう子供だなんて思われたくないからな」
ニヤリと笑うレオアノは、間違いなく立派な一人の男なのだろう。
山音まさゆきさんよりちちぷいにてFA頂きました。
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聖王国の聖都レミュがかなり遠くに感じられた。
レミュはかなり巨大な街と言って良い。遠景だとそれがよく分かる。全体は白が基調。散らばる建物は淡色に染められていて、花々を思わせる華やかな印象だ。
しかし、街から伸びる街道を歩けば、一気に長閑な雰囲気に変わる。畑も見えなくはないが、安全性から非常に少ないのも影響しているだろう。視界を埋めるのは背の高い野草や樹々、キラキラと陽光を反射する小川くらいだ。
そして、魔物の存在や獣だって人には脅威になる。例外的に単独で街を離れるのは"冒険者"などを生業にしている限られた者達だ。大抵は複数か馬車、或いは警護を引き連れている。
そんな理由から、たった一人で気軽に歩く姿は非常に稀有で、同時に阿呆な世間知らずだろう。ましてや若い女性で非常に美しい容姿となれば、現実かを疑ってしまう筈だ。
見えるのは長い両耳。ピコピコと不規則に揺れている。金の髪も風に揺れていて何だか楽しそう。陽光を受けた肌は小麦色に染まり、彼女が特徴的な種族だと示していた。
「ふんふーん♪」
黒エルフであるセナ=エンデヴァルは、一人街から離れてピクニックを楽しんでいるのだ。
前世でもコミュニケーション能力はある方だったが、かと言ってストレスが発生しない訳でもない。こっちの世界に来てからは引き篭もりの時間が長い、いや長過ぎるのだ。だからなのか、彼女は一人の時間を愛する事が出来ていた。
「んー、天気もサイコーだぁ。美味しそうなお弁当もゲットしたし、今日はのんびりするぞ」
レミュを出る前に昔馴染みであるラウラと会い、お出掛けを伝えた。ヒト種の老婆であるラウラは、はしゃぐ子供を見るような目でセナを見返し、出店のご飯を買い与えてくれたのだ。持ち金の少ないセナは感謝して、一方のラウラは「気を付けてくださいな。まあセナお姉様に言うのも野暮ですが」と見送った。
「そうだ。ラウラにお土産も用意しないと。うーん……色々と花を摘んで帰ろっかな。日本と違って街中に花屋さんなんて少ないし、何より非常にお高い。外の花とか貴重だもんね」
王家など限られた特権階級を除き、花々を愛でる余裕は殆ど無いだろう。堀や塀で囲まれた場所以外、安全と言い切れる場所は少ないからだ。そのため、その辺に生えているお花ですら立派なお土産になる。
因みにだが、森に住む黒エルフであり精霊力の高いセナが気に入る花々は、ヒト種の中では特に貴重な存在となる。本人は無意識に何となく選ぶので、余り理解していないが。
「あそこにしようかな。景色良さそうだし」
眺める先には小高い丘がある。樹々も視界を邪魔していないようなので、遠くまで見渡す事が出来そうだった。
テクテクと少しだけ歩けば直ぐに到着。
丁度良い位置に腰掛け出来そうな岩もある。予想通りに景色も開けているし、前世の日本ならばスマホでも取り出し撮影したくなるだろう。
「よっこいしょ」
見た目は若々しい女性なのだが、大きめなお尻を下ろしたセナはラウラみたいな台詞を溢した。まあ年齢だけならラウラより遥かに歳上だ。間違ってはいない。
「ふー。うんうん」
ピコピコ震える長耳は彼女のご機嫌をばっちり示している。咲く笑顔を見れば、美貌も相まり視線を奪われるだろう。
ボンヤリと流れる時間に身を任せた。
ゆっくりと泳ぐ白い雲。サワサワと鳴くのは風に揺れる草花達。小川からピョンと跳ねたのは中々な大きさの魚か。
「やっぱり綺麗だな。アーシントはあっつい砂漠ばかりだったし。まああの風景も好きだけど」
聖王国を訪れる前は"熱砂漠"と呼ばれるアーシント王国に居たのだ。様々な用事もあったのだが、何より知り合いも少なく引き篭もりにピッタリだった。距離的にも非常に離れていて、レミュに住む人々の大半は訪れた事もないだろう。
そうしているうちに陽も高くなり、セナは随分と長い時間を過ごした。段々とお腹も空いて来て、持って来たお弁当を肩掛けの袋から取り出そうとしたときーーーー
小さな、本当に小さな声が聞こえた。
特徴として黒エルフは身体的に優れた種族だ。だから、セナが捉えた悲鳴は普通なら届かなかっただろう。しかし、間違いなく、セナは誰かが危険な目に遭っていると知ってしまった。
「……う」
更には「誰かー」と耳にすれば、もう無視なんて出来ない。
「あー、もう! 定番のイベントなんて要らないのに!」
取り出し掛けたお弁当を仕舞い、丘を駆け下りる。身体的能力を遺憾なく発揮し、セナの走行速度は相当なものだ。
そして直ぐに見えてくる。
それは簡単に言えば"牛"だ。前世で良く見た白黒の可愛らしい仔牛ではなく、巨大な暴れ牛ではあるが。色は真っ黒で、筋肉質。あと尻尾が長くて太いのが目に付いた。
草花を薙ぎ倒しつつ突進する先には、必死な形相で逃げ惑う子供の姿がある。いや、弓矢と小剣を背中に抱えている姿から、冒険者の卵な少年かもしれない。
「……エイムーは大人しい生き物なのに、あんなに怒らせるなんて何をしたんだか」
牛、つまりエイムーは巨体から魔物に間違われるが、実際には非常に大人しい草食の野生動物だ。決めつけてはダメだが、あの少年が原因だと思われる。まあだからと言って放っておく訳にもいかないだろう。
溜息をついたあと、セナは魔力と精霊力を集める。そして小さく「水精霊よ」と詠唱を唇に乗せ、素早く精霊魔法を解き放った。
目の前に透き通った水玉が発生。大きさはセナの両胸を足しても足りないかもしれない。つまりかなりのサイズ感だ。そして、そこから凄まじい速度で発射。誘導されるような緩やかさで曲がり、エイムーの眼前で破裂した。
ブモモと鳴いたエイムーの足は止まったようだ。精霊魔法で冷やされたのか、もう落ち着いた様子に見える。
ちょうど見事に転んだ少年とエイムーの間に入ったセナは、優しく語り掛けた。
「よしよし良い子だね。さあお帰り」
ほんの少しだけ精霊力を乗せた言葉のおかげか、エイムーは大人しく帰って行く。去り際に何度か振り返るのが可愛らしい。セナも思わず笑みを浮かべ、手をフリフリして見送った。
「あー! オイラの獲物が!」
背後からの変声期前の声。もうそれだけで何が起きたかセナは察する。エイムーは普段大人しいが、怒らせたら凄まじい強さを誇る生き物だ。と言うか、この世界の野生生物は大半がとんでもなく強い。
「はぁ……キミ、大丈夫? 怪我はない?」
相手は子供、相手は子供。そんな風に内心で唱えつつ振り返る。見れば矢をつがえエイムーに狙いを定める少年。ついペシリと頭を叩き、セナは弓を奪い取った。
「イテ! 何すんだよ!」
「こんな弓でエイムーを倒せる訳ない。死にたいの?」
「うっせー! オイラは有名な弓士の親父の、自慢の息子だぞ! あんな獣なんて、なんて……」
ソバカスが残る少年はようやく命の恩人、つまりセナを見上げて、とんでもない美人がそばに居ると知ったようだ。街中みたいにローブで姿も隠していないため、セナの全身が余す所なく現れている。大変珍しい黒エルフでもあるため、彼が驚くのも無理はないだろう。
「全く……それだと凄いのはお父さんでしょ。鍛えるにしても最初は相手を考え」「やっべ! すっげえ色っぽいネーチャンだ! なあなあ今日ひま? オイラとあそぼーぜ? しっかりと愉しませてやる、イテ! なんで叩くんだ!」
何だか頭痛がしてきたセナだった。