9 まさか、そんな雲の上の御方だったなんて……!
「お帰りなさいませ、若様」
屋敷の中へ足を踏み入れた途端、ずらりと並んだ使用人が一糸乱れぬ動きで頭を下げた。
それだけで、ティリアはくらりと気が遠くなる思いだった。
(どう考えても場違いだわ……!)
……できることなら、今すぐにここから逃げ出したい。
だが、先ほど通って来た巨大な門扉にも守衛がいるのをこの目で見たばかりだ。
逃走を図ったとしても、すぐに取り押さえられるのがおちだろう。
「おやおや、そちらの女性はお客様ですか」
おろおろと内心で焦っていると、使用人の一人――執事服を身に纏う青年が進み出てくる。
自分のことが話題に上り、ティリアは思わずどきりとしてしまう。
「あ、あの……」
「あぁ、悪いがラウラを呼んでくれるか」
「承知いたしました。お嬢様、どうぞこちらでお待ちください」
「…………はっ、はい!」
彼の言う「お嬢様」が自分のことなのだと、一拍遅れてティリアは気づく。
その途端何とも言えない感情が沸き上がって来て、ティリアは俯き気味に足を進めた。
通された応接間も金色に輝くシャンデリアに傷一つない調度品が照らし出されている、目もくらむような壮麗な空間だった。
促されるままソファに腰掛けた途端……そのあまりの柔らかさに思わず腰を浮かせてしまう。
そんなティリアを見て、ユニコーンの飼い主である青年は首を傾げた。
「どうかしたのかい?」
「い、いえ……なんでもありません……」
おそるおそる腰を下ろすと、青年はほっとしたように笑う。
「それはよかった。もっと楽にしてくれて構わないよ」
(む、無理です……!)
あまりにも上質で優雅な空間に、ティリアはどう見ても異分子だ。
かちこちに固まるティリアを、青年は不思議そうに眺めている。
そうこうしているうちにやって来たのは、ティリアと同年代の、上等なお仕着せを身に纏う女性だった。
「お待たせいたしました! 若様のご指名なんて珍しいですね」
「ラウラ、彼女は僕の客人だ、こちらの不手際で彼女の衣服を破いてしまったので、取り急ぎ彼女に合いそうな衣装を見繕ってほしい」
「えっ、衣服を破くって……何したんですか若様」
批難するような目つきの女性に、青年はため息交じりに告げる。
「やったのは僕ではなくブラックサンダーだ。それと――」
青年が小声で何か女性に耳打ちする。
女性は一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐにしっかりと頷いた。
「……承知いたしました。お嬢様、この屋敷に滞在する間お嬢様のお世話を担当させていただくラウラと申します」
ラウラと名乗った女性は、そう言って丁寧に礼をした。
ティリアも慌てて立ち上がり、何度も何度も頭を下げる。
「はっ、はい! 私はティリアと申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」
「なるほど、君はティリアと言うのか」
感心したようにそう呟く青年に、ラウラはあからさまに呆れた表情を浮かべた。
「えっ、まだ名前すら聞いてなかったんですか」
「往来で彼女に恥をかかせるわけにはいかなかったんだ。会話よりも移動を優先して当然だろう」
「……まさか、自分も名乗っていないわけないですよね? 名前や身分を明かさずにつれてくるなんて、一歩間違えれば不審者ですよ」
「うっ……」
ラウラの指摘に、青年は気まずそうに視線を逸らす。
その視線がティリアの方を向いたかと思うと、彼は観念したように口を開いた。
「その……不安にさせてしまったのならすまなかった。決して君を悪いようにはしないから安心してほしい」
今でもどうしてこんな状況になってしまったのかはわからないが……少なくとも、目の前の青年は嘘をついているようには見えない。
「はい、大丈夫です」
頷くティリアに、青年は安堵したように表情を緩め、あらためて告げた。
「僕はアルヴィス。ここリースベルク公爵家の一員で、現リースベルク公爵の長男だ」
「リースベルク、公爵家……」
青年――アルヴィスが告げた家名に、ティリアは全身からサッと血の気が引いた。
(まさか、そんな雲の上の御方だったなんて……!)
リースベルク公爵家の名は、世俗に疎いティリアでも知っている。
建国より続く歴史ある名家であり、王家との親交も深いと聞く。
伯爵家の娘でありながら惨めに踏みつけられているティリアにとっては、まさしく天上の存在だ。
(ど、どう考えても私がここにいるのは失礼だわ……!)
彼らを怒らせないうちに、不快にさせないように、早くここから去らなくては。
だがティリアがそう告げようとした途端――。
「準備が整いました! さぁティリア様、参りましょう」
「いえ、私――」
「大丈夫です! ティリア様のお眼鏡に適うようにたくさんの衣装を取り揃えましたから! さぁさぁ!」
「えっと、あの……」
気弱な性格が災いして、ティリアはラウラに押されるように別室へと連れていかれてしまった。