8 「大丈夫、絶対に落とさないよ」
『きゅーい!』
「あっ」
突然現れた青年に、ユニコーンの雛が嬉しそうに鳴きティリアの腕の中から飛び出した。
そのままユニコーンの雛は、青年の腕の中へとダイブする。
「こーらブラックサンダー。急にいなくなったら心配するだろう?」
『きゅい! きゅい!』
「まったく、わがままなお姫様には苦労させられるよ」
(「お姫様」って……あのユニコーンの子どものことだったのね)
青年は嬉しそうに、腕の中のユニコーンの雛を撫でまわしている。
ユニコーンの方も嫌がることなく、きゅいきゅいと喜んでいるようだった。
この様子を見る限り、彼こそがユニコーンの雛の飼い主で間違いはないのだろう。
微笑ましい光景を目にして、ティリアはほっと安堵に胸をなでおろした。
……あの子が飼い主の下へ戻れたのなら、もうティリアの出番は終わりだろう。
先ほど案内してくれた青年も、もしかしたらまだ近くにいるかもしれない。
そう思い、ティリアは静かにその場を去ろうとしたが……なぜか行く手を塞ぐようにして、成獣の方のユニコーンが前方に立ち塞がったのだ。
ティリアを見下ろすほどの立派な体格に、底知れぬ威圧を感じさせる鋭い眼光。
初めて間近で見るユニコーンの姿に、ティリアはすっかり気圧されてしまった。
「あ、あの……」
何かユニコーンの機嫌を損ねるようなことをしてしまっただろうか……と慌てたが、事態に気づいた青年がすぐに割って入ってくる。
「すまない! 君に襲い掛かろうとしているわけじゃなんだ。だから安心してくれ」
青年はそう言ってティリアに向き合い、あらためて口を開く。
「君が、さっきの奴らからこの子を救ってくれたんだね。本当にありがとう」
「いえ、当然のことです」
ティリアがそう言うと、青年は驚いたように目を丸くした後、静かに首を横に振る。
「……明らかにガラの悪そうな男二人に立ち向かうなんて、そうそうできることじゃない。君の勇気ある行為に、最大の敬意と感謝を」
そう言って青年は、胸に手を当て恭しく礼をする。
(うっ……)
ティリアはなんだかそわそわしてしまい、うろうろと視線を彷徨わせた。
屋敷ではずっとひどい扱いを受けてきた。ティリアが何かしても、叱責こそされど感謝されたことなど無いに等しかった。
……だから、こんな風に誰かに礼を言われるのには慣れてないのだ。
それに――。
(この人……きっと、上流階級の方よね……?)
曲がりなりにも貴族の屋敷で育ったティリアだからこそわかる。
目の前の青年が身に着けている衣服は、どうみても一級品だ。
それこそ、父や義母が身に着けていた物よりも上等だろう。
つまりは……伯爵家以上の家格の者である可能性が高い。
だが、そんな衣装を身に着けている彼自身も、上等な衣服に負けないほどの輝きを放っていた。
年のころは二十代前半ほどだろうか。
すらりとした長身に、どこをとっても文句のつけようのない涼やかで整った顔立ち。
あまり他人の美醜に関心がないティリアでさえも、思わず息をのむほどの美貌なのだ。
(それに比べて私は……こんなぼろぼろの格好で、恥ずかしい……)
自分が彼の前に存在しているというただそれだけで、何かの罪を犯しているような気分になってしまう。
羞恥心と惨めさが押し寄せてきて、ティリアは慌てて一歩足を引いた。
「あのっ、本当にお礼を言っていただけるようなことはしておりませんので……あなたのユニコーンが無事で何よりです。それでは……」
青年が何か言う前に、踵を返そうとしたが――。
『きゅい!』
ティリアを引き止めようとしたのか、先ほど助けたユニコーンの雛がティリアのスカートをはむっと口にくわえて引っ張ったのだ。
たいした力ではなかっただろうが、長年着古したぼろぼろの布地は耐えられなかった。
――「びりっ」と。
布地が裂ける嫌な音がその場に響く。
おそるおそる視線を下に向けると、スカートの裾が無惨にも大きく裂けてしまっていた。
「ぁ………」
素足が露出し、冷たい空気が肌を刺す。
(どうしよう、一着しかない服なのに……)
こんな格好では、このまま街を歩くことも仕事を探すこともままならないだろう。
思わぬアクシデントに、ティリアは泣きだしたくなってしまった。
「すっ、すまない! 君の衣服は必ず弁償し――」
青年は慌てたようにそう口にしたが、言葉の途中で口をつぐんでしまう。
かと思うと、急に浮遊感に襲われティリアは小さく悲鳴を上げてしまった。
「ひゃっ!?」
顔を上げれば思ったよりもずっと近くに青年の顔が見え、ティリアはそこでやっと自分が彼に抱き上げられているのだと気づいた。
「あ、あのっ……!?」
「予定変更だ。ブラックサンダーの恩人に衆人環視の中で恥をかかせるわけにはいかない。悪いようにはしないから、僕と一緒に来てくれ」
「えっ、どこに……ひゃあ!」
ティリアの返答を聞くことなく、青年はティリアをユニコーンの成獣の背に乗せる。
そしてその後ろに自身も騎乗すると、風のように走り出したのだ。
(ど、どうなってるの……?)
瞬く間に周囲の景色が移り変わり、ティリアは目が回りそうになってしまう。
『きゅい!』
そんなティリアを気遣うように、ユニコーンの雛が胸元に飛び込んでくる。
気を落ち着けるようにユニコーンの雛を撫でながら、ティリアはおそるおそる周囲の風景に視線を走らせた。
その行為をティリアが怯えていると思ったのか、後ろに騎乗する青年がぐい、とティリアの体を強く抱き寄せた。
「大丈夫、絶対に落とさないよ」
(そ、そんな風にされたらますます大丈夫じゃないです……!)
いったいどうして、自分は見ず知らずの男の人とユニコーンに乗って王都を駆けているのだろう。
どれだけ考えても、わかる気がしなかった。
ユニコーンは瞬く間に道を駆け抜け、やがて周囲の景色も商店が立ち並ぶ大通りから、豪奢な邸宅が並ぶ区画へと変わっていく。
(もしかして、貴族街……?)
王都の一角には、比較的裕福な貴族が邸宅を構える区画が存在すると聞いたことがある。
間違いなく、ここがそうなのだろう。
(ということは、まさか……)
ティリアの予想を裏付けるかのように、ユニコーンはまるで宮殿と見紛うようなひときわ大きな邸宅の前で足を止める。
青年はするりとユニコーンの背から降りると、呆然とするティリアを抱えるようにして降ろしてくれた。
「君はブラックサンダーの恩人だ。ぜひともここを我が家と思いくつろいでいってくれ」
『きゅい!』
……どうやら自分は、知らない間にとんでもない者たちに関わってしまったらしい。
そびえたつ大邸宅を前に、ティリアはそう悟らずにはいられなかった。




