77 大事な一歩を踏み出す日
「……よし、できた! とっても綺麗よ、ティリア」
「ありがとうございます、ラウラさん」
振り返ってお礼を言うと、ラウラは嬉しそうに目を細める。
「はぁ、こうしてみるとティリアが初めて屋敷に来た日のことを思い出すね。懐かしいなぁ……」
「えっと、あの時は右も左もわからずに大変なご迷惑を――」
「何言ってるの! あの時最初にティリアのドレスアップを手伝った私が、今こうやってもう一度ティリアを綺麗におめかしできるのが嬉しいってこと!」
満面の笑みを浮かべたラウラに、ティリアは頬を染めてはにかんだ。
本日ティリアが身にまとっているのは、初めて公爵邸を訪れた時に貸してもらったドレス……によく似た、新しく仕立て上げたものだった。
美しくグラデーションを描く青の生地に、いくつもの小粒の宝石があしらわれている。
ティリアが動くたびにスカート部分の何重にも重なった生地が、緩やかな波を描くように美しく流れる。
そのたびに角度を変えた宝石が光を反射し、天空の星々のように輝く様は壮観で。
まるで、ティリア自身が光のかけらを生み出しているかのようだった。
希少な光属性の使い手たるにふさわしいその姿に、ラウラは笑みを深める。
「……ふふ、やっぱり若様の直感は間違ってなかったってことなのかな」
「ラウラさん?」
「ううん、こっちの話! さて、準備ができたから行こっか」
「はい!」
ラウラに促されるようにして、ティリアは立ち上がった。
今日、ティリアは初めてアルヴィスの婚約者として社交界に足を踏み入れることになる。
もちろん不安がないわけじゃない。
だが、それでもアルヴィスの婚約者として隣に立つことを決めたから。
(しっかり、前を向かないと)
初めてこの場所に来た時のおぼつかない足取りとは違う。
凛と前を向いて、ティリアは歩みを進めた。
「お待たせいたしました~」
ラウラが嬉しそうに扉を開くと、すぐさま待っていたアルヴィスの姿が目に入る。
「ティリア!」
慌てたようにこちらへ駆けてきたアルヴィスは、ティリアの目の前で足を止めた。
「驚いたな……」
まじまじと見つめられ、自然と頬に熱が集まる。
どきどきと反応を伺うティリアの前で、アルヴィスは朗らかに笑いながら告げた。
「まるでアル=ミラージのレイル種みたいに素敵だよ」
アルヴィスがそう口にした途端、その場の空気が凍り付いた。
最初に動いたのは、わくわくと主の成長を期待していたラウラだった。
「まったく、この人は……!」
彼女はつかつかとアルヴィスに近寄ると、不満をぶちまける。
「本っっっ当に成長しませんね若様は!」
「え、何かまずかったか?」
「何かまずかったか? じゃないですよ! 相変わらず何を言っているのか意味不明です!!」
「いや、アル=ミラージというのは遥か南の国に住む角獣で、レイル種と言うのはその中の――」
「そんなマニアック知識誰も知りませんからー!!」
相も変わらずコントのようなやり取りを繰り返す二人に、ティリアはくすりと笑う。
そんなティリアに、シデリスがそっと近づいてきた。
「ティリア、若様は相変わらずあんな感じなのでよろしくお願いします。あれにドン引きせずについていける女性はおそらくあなたくらいのものでしょうから」
「ふふ、承知いたしました」
ラウラやシデリスは呆れているようだが、ティリアはアルヴィスのそんなずれたところが愛おしくも思えた。
ひとしきりラウラに説教されたアルヴィスが、ティリアの方を振り返り困ったように笑う。
「えっと……伝わらなかったら済まなかった。つまり僕が言いたいのは――」
彼はそっとティリアの頬に触れると、とろけそうな笑みを浮かべる。
「僕の婚約者はこんなにも綺麗で素敵だから、僕は世界一の幸せ者ってことさ」
その言葉にティリアは真っ赤になった。
そんな二人を見て、ラウラとシデリスはやれやれ、と肩をすくめる。
「はぁ……最初っからそう言えばいいのに。かっこつけようとして意味不明な例えから入るからダメなのよ若様は」
「まぁ、そこはティリアにカバーしてもらうのを期待するしかないな」
「ふふ、ティリアならきっと大丈夫ね」
そんな話をしていると、空いた扉の間から何か毛玉のようなものがすごい勢いで突っ込んできた。
「きゅーい!」
「あら、ブラックサンダー?」
突入してきたのは、別館でお留守番していたはずの小さなユニコーンのお姫様だった。
飛び込んできたブラックサンダーの頭を撫でていると、アルヴィスが苦笑する。
「おおかた、クルルが面白がって連れて来たんだろう。あいつ普通に鍵も開けられるからな」
「クルルゥ!」
大正解といわんばかりに、足元にクルルが姿を現す。
何でもありの神獣たちに、ティリアはくすりと笑った。
「ありがとう、来てくれたのね」
愛らしい神獣たちのおかげで、少し緊張がほぐれたような気がする。
「……行ってくるね」
これからも彼らと共に過ごすために、アルヴィスの婚約者として、ゆくゆくは妻として隣に立つために。
今日は大事な一歩を踏み出す日なのだ。
「きゅい!」
ブラックサンダーは「がんばれ」というように、ぺろりとティリアの手を舐めた。
(……あなたと出会わなければ、私はここにはいなかった)
あの日、気まぐれにこの小さなユニコーンが屋敷を飛び出さなければ。
ティリアがアルヴィスと出会うこともなく、ブラックサンダーを助けて屋敷に招かれるようなこともなかった。
そう思うと、今のティリアを導いてくれたのはこの小さな神獣なのだ。
ティリアが光魔法に目覚めたのも、彼女の助力なしではありえないことだった。
(あなたが、私の人生を変えてくれた)
小さなユニコーンを抱き上げ、感謝を込めてぎゅっと抱きしめる。
「これからもよろしくね、お姫様」
そう囁くと、ブラックサンダーは嬉しそうに「きゅい!」と鳴いた。
◇◇◇
そして今、ティリアはアルヴィスと共に大きな扉の前に立っていた。
扉の向こうからは、人々のざわめきや優雅な音楽が漏れ聞こえてくる。
……いよいよ、アルヴィスの婚約者として社交界に踏み出す時が来たのだ。
「緊張してる?」
不意にアルヴィスにそう問いかけられ、ティリアは情けなくも頷いた。
「やっぱり、まだ不安なんです。いくら光属性の使い手と言っても、私がアルヴィス様の婚約者として認めていただけるのか――」
「なんだ、そんなことか」
アルヴィスはティリアの不安を吹き飛ばすかのように、明るく笑った。
「誰が何と言おうが、君は僕の婚約者だ。僕と神獣たちが君を選んだ。それを忘れないで」
「……はい」
反発を受けるかもしれない。ティリアの存在に異を唱える者がいるかもしれない。
だがそうだとしても……彼が隣にいてくれるのなら、きっと大丈夫だ。
「君と一緒にここへ来られてよかった」
「はい、私もです」
しっかりと手を取り合い、二人は並び立つ。
本当に互いを理解し、慈しむことができる、唯一の相手と出会えた喜びを嚙みしめながら。
「リースベルク公爵令息アルヴィス様、並びに婚約者のティリア様のご入場です!」
二人の名が読み上げられ、ゆっくりと目の前の扉が開いていく。
そっと息を吸い、ティリアはアルヴィスの婚約者として新たな一歩を踏み出した。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
本作はここで一区切りとなります。
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