74 幸せはりんご味
「あの、アルヴィス様。私はもう大丈夫なので早くお仕事に戻――」
「駄目だ! 君はひどい傷を負っているんだから……」
公爵邸に戻って来てから数日。
ティリアとしては一刻も早く仕事に戻りたいと願っているのだが、どうしてもアルヴィスの許可が下りなかった。
「いいじゃない、ティリア。ずっと頑張ってたんだし長期休暇だと思ってゆっくりしなよ」
部屋に入ってきたラウラが軽くそう言う。
「ラウラ、神獣たちの様子は」
「お変わりはありませんよ。相変わらず私相手だと大暴れして大変ですけど……ティリアが戻ってきたことがわかったのか、だいぶ落ち着きを取り戻しています」
アルヴィスに問いかけられたラウラは、胸を張ってそう答えた。
その言葉に、ティリアは安堵した。
(早く、いつもの仕事に戻りたいな……)
ティリアがそう願っているのを察したのか、アルヴィスが優しくティリアの手を取る。
「……応急処置は施したが、君の火傷はひどいものだった。それこそ命を落としていてもおかしくはなかったんだ」
悲しそうな顔でそんなことを言われると、ティリアもそれ以上何も言えなくなってしまう。
「若様はね、ティリアのことが心配で心配でしょうがないの。だから今だけは、我儘を聞いてあげて?」
サイドテーブルに静かに皿を置いたラウラが優しくそう言う。
ティリアはそっと頷いた。
「それじゃあ私は残りの仕事に行ってきますね!」
気を利かせたのか、ラウラはそう言って足早に部屋を出て行った。
アルヴィスは心得たかのように彼女が置いていった皿を手に取る。
小皿の上に鎮座しているのは綺麗に切り分けられ、ウサギを模すように皮が剥かれたリンゴだった。
「僕が食べさせるよ」
そう言ってアルヴィスがフォークを手に取ったので、ティリアは慌ててしまった。
「アルヴィス様にそんなことをさせるわけにはっ……!」
「ティリア。僕がそうしたいんだ」
「っ……!」
……ずるい。
そんな風に言われたら、断ることなんてできるはずがないのに。
「はい、あーん」
上機嫌なアルヴィスにフォークを差し出され、ティリアはおずおずと口を開く。
幼いころだって、こんな風に献身的に看病をしてもらったことはなかったはずだ。
だから……どんな顔をしていいのかわからなくなってしまう。
恥じらいながらリンゴを口にするティリアを、アルヴィスは優しい目で見つめていた。
「美味しい?」
「はい、とても……」
「それはよかった。……僕も練習しないとな。リンゴを切り分けることはできるけど、ウサギ型に剥くのは練習が必要そうだ。ラウラに師事するべきか……」
大真面目にそんなことを言い出すアルヴィスに、ティリアはまたしても慌ててしまった。
「アルヴィス様は次期公爵でいらっしゃるのですから、リンゴをウサギ型に剥く必要なんて――」
「僕がそうしたいんだ。次に君が体調を崩したときは、僕が手ずからリンゴを剥いて君に食べさせたい」
まっすぐにティリアを見つめながら、アルヴィスはそう口にする。
その真剣なまなざしに、胸が熱くなる。
「君のことは、僕が世界で一番幸せにするって誓ったから」
……その言葉は、世界を変える魔法のようだった。
過去にどんな辛いことがあっても、未来に困難が待ち受けていたとしても。
今の言葉を思い出せば前に進むことができる。
(私は、この人に出会うために生まれたのかもしれない)
浅はかな考えかもしれないが、そう思わずにはいられなかった。
伯爵家で辛い日々を過ごしてきたのも、すべて彼と出会う運命のためだった。
そう思うだけで、何もかもを許せるような気がした。
「ティリア、泣かないで」
いつの間にかティリアの両目からは涙が溢れだしてきた。
アルヴィスが指先で優しくその雫を拭う。
「もう絶対に、誰にも君のことを泣かせたくないのに。僕が君を泣かせたら自分で自分を許せない」
ティリアはそっと首を横に振った。
これは悲しみからくるものではなく、嬉しさからくる涙だと伝えたかった。
だが感極まってしまって、うまく言葉が出てこない。
だからこそティリアは……そっと両腕を伸ばし、アルヴィスに抱き着く。
アルヴィスは一瞬驚いたような顔をしていたが、すぐにティリアの意図を悟ったようだった。
「……ありがとう、ティリア」
ぎゅっと抱きしめかえしてくれる暖かさに、また涙が溢れる。
(私も、アルヴィス様を幸せにして差し上げたい)




