61 せめてもの矜持
「光属性の使い手ならば、公爵家などよりももっと上位の相手に嫁げる。なぜわざわざ、取るに足らない相手に売り渡す必要があるというのだ」
「で、ですが……アルヴィス様は、本当に私を愛してくれて――」
「ふん、馬鹿馬鹿しい。愛しているだと?」
父は立ち上がり、蒼白のティリアを見下ろした。
その嘲るような目に、昔の記憶が蘇りティリアの体は凍り付いたように動かなくなってしまう。
「お前の格好を見る限り、ただの使用人として雇われていただけだろう。雇い主に手を出されて、気まぐれの睦言を本気にしたのか?」
「違っ……!」
「哀れになるほど愚かだな。……なにが婚約だ」
不意に、父が強くティリアの手首を掴む。
「っ……!」
捻り上げるようにして晒された左手をまじまじと見つめ、父は失笑した。
「婚約したという割には、その証がないようだな。……バーベナ、お前の左手を見せてやれ」
「はい、お父様」
黙って背後に控えていたバーベナが進み出て、見せつけるようにティリアの目の前に左手をかざす。
その薬指には、燃えるような紅の石があしらわれた、美しい銀の指輪が光っていた。
「お姉様だってご存じでしょう? 普通、貴族が婚約する時はその証に指輪を贈るものなのよ」
「それは……」
「頂けなかったってことは……ただの遊びだったんでしょ。本気にしちゃって馬鹿みたい!」
けらけらと笑うバーベナに、ティリアは俯いた。
……アルヴィスの想いを疑うなんてことはしない。
彼はいつも、真摯にティリアに向き合ってくれた。
……指輪を贈られていないのだって、婚約を――ひいてはティリアが光属性の使い手だということを隠しているからに他ならない。
ただ、そんな事情を何も知らない者に……アルヴィスごと馬鹿にされたのが悔しかったのだ。
「……私も、アルヴィス様も本気です。だから、お父様の決定には従えません」
震える声で、ティリアはそう主張した。
……自分の意志で伯爵家を飛び出して、ティリアは変わったのだ。
あの狭い屋敷だけが世界のすべてではないことを知った。
王都について早々に騙され、大変なことにもなりかけたが……それ以上に、優しい人たちに助けられてきた。
やっと、自分の居場所を見つけたのだ。
だからこそ、このまま虐げられるだけのお人形には戻りたくない。
「私の人生は、私が決めます。だから―ーっぅ!」
言葉の途中で激しい衝撃に襲われ、吹き飛ばされたティリアの体は床へと倒れこむ。
一拍遅れて、頬に鋭い痛みと熱を感じる。
――父の手で、強く頬を張られたのだ。
そう気づいたティリアは床に這いつくばったまま、愕然とした。
「……くだらないことを吹き込まれたようだな」
冷たい表情でこちらを見下ろす父の目には、慈悲の欠片も宿ってはいなかった。
「お前はリッツェン伯爵家の娘、私の所有物に過ぎない」
その言葉が、ティリアの心をずたずたに引き裂いていく。
父の手が伸びてきたかと思うと、髪をつかまれ無理やり顔をあげさせられる。
「貴族の娘として生まれた以上、それが当然のことだと教えたはずだが」
ティリアは悔しさに唇をかんだ。
確かに、「無能」の烙印を押されるまで伯爵家の後継として育てられたティリアには、貴族の娘に結婚の自由がないことなどとうに知っていた。
だが――。
(今まで私のことを、娘として扱ってくれなかったのに……)
いつ死んでも惜しくはない、奴隷のような扱いを受けてきたのに。
都合の良いときだけ「娘」扱いだなんて、あまりにも残酷だ。
「お前にはもったいないくらいの嫁ぎ先になるだろう。だから、間違っても嫁いだ後にそんな反抗的な態度をとるのはやめろ。いいな」
返事はしなかった。
それが、ティリアのせめてもの矜持だった。
「…………頭を冷やす必要がありそうだな。バーベナ、連れていけ」
「はい、お父様」
「まだ反抗的な態度をとるのなら、お前の手で『教育』を施してやれ。ただ、あまり体に傷はつけるなよ。嫁がせた後で文句を言われても困る」
「……承知いたしました」
バーベナに強く腕を引かれ、ティリアはふらふらと立ち上がった。
「ほら、行くわよ」
呆然としたまま、バーベナに引っ張られるようにして、気が付けば部屋の外へと連れ出されていた。
(このままじゃ、私……)
連れていかれたのは、窓のない小さな部屋だった。
寝台やキャビネットが備え付けられており、簡素な客間といったところだろうか。
「さっさと入んなさいよ!」
バーベナに突き飛ばされるようにして、ティリアは部屋の中に押し込まれてしまう。
その後から不服そうな顔をしたバーベナと、相変わらず暗い顔をしたアントンが部屋の中へと足を踏み入れた。




