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6 後ろはもう、振り返らない

(アントン……私を、逃がすつもりがないの?)


 先ほど手を掴まれた時の力の強さを思い出し、ティリアはぞっとした。

 彼に反抗したのが気に障ったのだろうか。

 どういう意図があるのかは知らないが、アントンがティリアをここに閉じ込めようとしているのは確かなようだ。


「アントン様は旦那様が溺愛するバーベナ様の婿となる御方です。おそらく旦那様は彼の要求を飲み、お嬢様への監視を強化するでしょう。そうすれば、ここから逃げ出すのは困難を極めます」

「っ…………」

「……決断なさいませ、お嬢様。もしもお嬢様がここを出ていかれるというのなら、精一杯のサポートをさせていただきます」


 そういって、パウラはティリアの手に革袋を手渡す。

 そっと受け取り、その感触でティリアは中に何が入っているのかすぐにわかった。


「銀貨……」

「……少なくとも、ここから王都へ向かう旅費としては足る額になっております。そこから先は、お嬢様の手で賄っていただく他はありませんが」


 ティリアは信じられない思いで、ずっしりと銀貨が詰まった革袋の重さを噛みしめた。

 彼女の申し出は有難いという他ない。

 だが、怖い。

 もしもこれが罠だったら。今よりももっとひどい目に遭うのではないかと……。


「…………どうして、あなたは私を助けてくれるの? 今まで、何もしてくれなかったのに」


 ぽつりとそう呟くと、パウラは悲痛な表情で目を伏せた。


「……私は、亡くなった奥様を敬愛しておりました」


 その言葉に、ティリアははっと顔を上げる。


「ですが、私は我が身可愛さにあの女に逆らえませんでした……! お嬢様がひどい仕打ちを受けているのを、苦しんでいらっしゃるのを知っていたのに……」


 パウラの目には涙が浮かんでいた。

 それだけで、ティリアはもう彼女を責める気にはなれなかった。


「アントン様と幸せになってくださればそれでよかった。ですが、あの女の娘はアントン様を誑し込みお嬢様をこの牢獄のような場所へ閉じ込めようとしている。ここで何もしなかったら、私は死後に奥様に合わせる顔がありません……!」


 慟哭するように、パウラはそう零す。

 ティリアはそっと、手のひらに爪を立てるように強く握られた彼女の手を取った。


「……ありがとう。お母様はきっと、あなたを許してくださるわ。私がそう祈ります」

「お嬢様……」


 パウラに向かって、ティリアは優しく頷いた。

 希望の灯が、再び灯ったような気がしたのだ。



◇◇◇



――「乗合馬車の駅の場所はわかりますか?」

――「えぇ、何度か横を通ったことがあるから」

――「朝一番に王都行きの馬車が着くでしょう。どこへ向かうにしても、まずは王都へ行かれるのがよろしいかと」

――「親切にありがとう。たとえ私に何があっても、あなたが責任を感じる必要はないことを忘れないでね」


 そうして、ティリアは一人、誰もいない馬車駅で朝を待っていた。

 朝一番にやって来る馬車で、王都へ向かう。

 数少ない私物が収められた鞄を握り締め、早く夜が明けないかと空を見上げた。


――「何ができるかわからないけど、手始めに王都に行こうと思ってる。いろいろと仕事もあるって聞いたことがあるしね」


 アントンから聞いた言葉が脳裏に蘇る。

 ……「無能」のティリアにも、できることはあるだろうか。

 数えきれないほどの不安が沸き上がって来るが、それでもあの家に奴隷のように閉じ込められるよりひどいことはないだろう。

 ティリアは自分にそう言い聞かせ、ぎゅっと指先を握り締めた。

 やがて日が昇り始め、馬車駅にもちらほらと人が増えてくる。

 だが、不意に聞こえてきた声にティリアはびくりと体を震わせた。


「お前はこのあたりを探せ。十八歳の、薄茶色の髪の女だ」

「へぇ、それが伯爵家から逃げ出した奴だって?」

(私のことだ……!)


 どうやら、既にティリアが逃げ出したことは知られてしまったようだ。

 既にこのあたりまで追っ手が来ているとは……。

 ティリアは震える手で、髪色を隠そうと目深に外套のフードを被る。


「薄茶色の髪の若い女……」


 もう、声はすぐ近くで聞こえる。

 周囲に聞こえてしまうのではないかと怖くなるほど、ばくばくと心臓が大きく鼓動する。体の震えが止まらない。

 だが、おかしな動きをすれば逆に目立ってしまう。

 ティリアは息を殺すようにして、必死に祈り続けた。


「薄茶、薄茶……」


 目の前で声がする。

 彼が俯いて震えるティリアの顔を少しでも覗き込めば、探している「十八歳の薄茶色の髪の女」だとバレてしまうだろう。

 恐ろしさにぎゅっと目を瞑った、その時――。


「よく考えれば金は持ってないっていうし、馬車なんて使わないか」


 そんな声が聞こえたかと思うと、足音が徐々に遠ざかっていく。


(見つからなかった……?)


 安堵に力が抜け、ティリアはしばらく身動きができなかった。


「お嬢さん、乗らないのかい?」


 やがて不思議そうな声が聞こえ、はっと意識が現実へと戻る。

 顔を上げれば、既に乗合馬車は到着していた。

 他の客は既に乗り込み、御者が動かないティリアに声をかけてくれたようだ。


「……すみません、乗ります」


 震える足を叱咤して立ち上がり、馬車へと乗り込む。

 後ろはもう、振り返らなかった。

 

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[気になる点] アントンが逃がそうとしないのは歪んだ愛情なのかな?
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