58 ずっと、この人の側にいたい
日が落ちれば、アルヴィスが帰ってくる。
こうやってアルヴィスを迎えられることが、今のティリアにとってはなによりの喜びだった。
昔は、父と義母、それにバーベナのやりとりを遠くから眺めることしかできなかった。
あの伯爵家の中で、ティリアはずっと除け者だった。
アルヴィスと出会い、ここで働くようになってからも、彼に近づきすぎるのが恐ろしかった。
これ以上近づいたら、きっとアルヴィスに知られてしまう。
主人と使用人という枠を超えた、身勝手で浅ましいティリアの恋情が。
そんな思いに蝕まれ、アルヴィスの優しさに触れるたびに喜びと同時に苦しさも覚えていた。
だが、今は……。
「ただいま、ティリア」
「……お帰りなさい、アルヴィス様」
真っすぐにティリアの下へとやって来たアルヴィスが、そっと抱きしめてくれる。
ティリアもおそるおそる、彼の背に腕を回した。
……今は、この距離を許されている。
彼の恋人として。そしていずれは……婚約者として。
堂々と、彼の隣に立てるのだ。
それが、何よりも嬉しかった。
「……少しここの空気が変わったか?」
不意に、アルヴィスがそう呟いて周囲を見回す。
つられてティリアも辺りを見回したが、特におかしな点はみつからなかった。
「そうですか……? 何か、おかしなことをしたつもりはないのですが……」
不安そうにそう呟くティリアに、アルヴィスは慌てたように告げた。
「いや、きっと僕の勘違いだ。それか……」
「ひゃっ!?」
急にアルヴィスに抱き上げられ、ティリアは驚きの悲鳴を上げてしまう。
「ア、アルヴィス様……!?」
「……君がこうやって可愛く出迎えてくれるから、新鮮な気分になれるのかもしれないね」
蠱惑的に微笑むアルヴィスの顔がゆっくりと近づいてくる。
ティリアは高鳴る鼓動を感じながら、そっと目を閉じた。
だが、二人の距離がゼロになる寸前に――。
「きゅい!」
「痛! こら、やめろブラックサンダー!」
何か気に入らないことがあったのか、ブラックサンダーがアルヴィスの足を小さな角でプスプスと刺し始めてしまったのだ。
「なんだ、僕がティリアを独り占めしてたことが気に入らないのか?」
「きゅーい」
苦笑しながらティリアを降ろし、アルヴィスは不機嫌なブラックサンダーを宥め始めた。
その光景を眺めながら、ティリアはくすりと笑った。
(本当に、嘘みたい……)
伯爵家で惨めに暮らしていた頃に比べれば、本当に信じられない。
アルヴィスのような人物と恋人になれて、可愛い神獣たちと一緒に過ごせるなんて。
(どうか、こんな時間がずっと続きますように……)
身に余るような幸せの中で、ティリアはそう願わずにはいられなかった。
アルヴィスは少しずつ、ティリアとの婚約の準備を進めてくれているのだという。
「すまない、もっと手っ取り早く進められればいいんだが……なにしろ光属性の使い手は希少だ。もしも君の存在が外部に漏れれば、きっと君の奪い合いで大変なことになる」
「……アルヴィス様。私の方はいつでも構いません。今のこの暮らしも気に入っておりますし」
正式にアルヴィスの婚約者となったら、やはり今のようにメイド業はやめなければならないのだろうか。
今の生活に何よりの安息を覚えているティリアにとっては、少し残念だとすら思えてしまう。
それに、ティリアには心配事があった。
「あの、アルヴィス様……」
おずおずと声をかけると、アルヴィスがこちらへ優しい目を向けてくれる。
「私、あれからまったく光属性の魔力を使いこなせなくて……こんな状態で、アルヴィス様の隣に立つことが許されるのでしょうか……」
バーベナと鉢合わせた日以来、ティリアは一度も光属性の魔力を発動できていない。
だからこそ、恐ろしくなってしまうのだ。
もしかして、自身が希少な光属性の使い手だというのは、何かの間違いではないかと。
そのせいで、アルヴィスやリースベルク公爵家に迷惑をかけてしまうのではないかと……。
俯いて唇を震わせるティリアを見て、アルヴィスは驚いたように目を丸くする。
だがすぐに、彼は優しくティリアの頭を撫でた。
「大丈夫だ、ティリア」
その確かな声に、ティリアの胸に渦巻いていた不安が少しずつ和らいでいく。
「ルーカスの魔力測定はどこの神殿よりも正確だ。君に光属性の魔力が備わっているのは確かだし、使いこなすには時間がかかるのも当然だ。光属性の魔素は他の属性と違い、日常で触れる機会はほぼないのだから。覚醒に時間がかかるのは当然だ。その辺りも過去の記録で実証されているから問題ない。それに……」
アルヴィスはそこで一度言葉を切ると、そっとティリアを抱き寄せた。
「たとえ、君の言った通り君が光属性の使い手だというのが間違いだとしても……僕は君を手放す気はない」
「え……?」
思わず顔を上げたティリアに、アルヴィスは真剣な顔で告げる。
「僕は、君が希少な存在だから婚約しようと思ったわけじゃない。君が好きだから、これからも隣にいてほしいんだ」
その言葉が、胸に染み込んでいく。
(あぁ、この人は……)
どうしていつも、ティリアが欲しくてたまらない言葉をくれるんだろう。
ティリアはそっと腕を回し、アルヴィスにしがみつく。
「私……頑張ります。これからもアルヴィス様のお傍にいられるように」
光属性の使い手と言うのがどんなものなのか、ティリアにはまだわからない。
だが、その力があれば、堂々とアルヴィスの隣に立てるというのなら。
(もっと、頑張らなきゃ)
こんなに前向きな思考になれたのは、もしかしたら生まれて初めてのことかもしれない。
アルヴィスが変えてくれたのだ。ティリアの何もかもを。
(勇気を出して、外の世界へ出て良かった……)
ずっと伯爵家にいたのなら、きっと今も惨めに踏みつけられていたことだろう。
あの頃は思いもしなかった。まさか自分に、こんなに素晴らしい未来が待っているなんて。
(ずっと、この人の側にいたい)
そんな思いが溢れ、ティリアがぎゅっとアルヴィスにしがみつく力を強めた。




