53 この時間が少しでも長く続けばいいのに
ルーカスは決してティリアの秘密を外部には漏らさないと約束してくれた。
まだどこかふわふわした足取りで、ティリアはアルヴィスと共に馬車に乗り、公爵邸への帰路へと着く。
ティリアの膝の上では、ブラックサンダーがスピスピと気持ちよさそうに眠っている。
「ここ最近はあちこち連れ出すことが多かったからね。疲れたのかもしれない」
「ふふ、そうですね……」
アルヴィスが手を伸ばし、優しくブラックサンダーの頭を撫でる。
そのまま手を引くかと思いきや、そっとブラックサンダーの体を支えていたティリアの手に彼の手が触れ、思わずどきりとしてしまう。
「……ティリア」
まるで何らかの意味を含むような声色で、アルヴィスが名を呼ぶ。
たったそれだけで、背筋に甘い痺れが走ったような気がしてティリアは息をつめた。
「さっきも言った通り、君は何も心配することはない。今まで通り、僕と、神獣たちの傍にいてくれればいい。だが――」
まるで指を絡めるように、アルヴィスの指先がティリアの指先と重なる。
「いずれは、君の立場が変わるかもことになるしれない」
思わぬ言葉に、ティリアはひゅっと息をのむ。
――希少な光属性の使い手は、否応なしに権力争いに巻き込まれる。
アルヴィスとルーカスが話していたことを、ティリアもしっかりと覚えている。
いずれアルヴィスは、ティリアのことをリースベルク公爵家にとって有利なカードとして切る時が来るのだろうか。
だとしても――。
(アルヴィス様のお役に立てるのなら、私はそれでいいわ)
彼はひとりぼっちだったティリアを見つけてくれた。救ってくれた。
居場所を、たくさんの温かな感情をくれた。
だから、そんな彼のために力になれるのなら……それでいいのだ。
「ティリア」
そっとティリアの指先を撫でたアルヴィスが、真剣な声で名を呼ぶ。
「これからの話は、リースベルク家の使用人としてではなくて……『ティリア自身』として聞いてほしい」
……それは、いったいどういうことなのだろう。
顔を上げると、アルヴィスが存外真剣なまなざしでこちらを見つめていて、思わず鼓動が跳ねた。
「嫌だと思ったら、遠慮なくそう言ってもらっていい。拒絶してもいい」
……いったい、彼は何をする気なのだろう。
彼の言葉を聞く限り、あまりティリアにとってよろしくないことが怒るのかもしれないが……。
(アルヴィス様は意味もなく人の嫌がるようなことをする方ではないし、たとえ何をされたとしてもきっと意味があるはず……)
たとえこの後、馬車から突き落とされたとしても、ティリアが彼の行動を拒絶することはないだろう。
きっと、彼の行為には何らかの意味があるのだから。
そんなイカれたことを考えてしまうくらい、ティリアはアルヴィス・リースベルクという人間に全幅の信頼を置いていた。
小さく頷くティリアに、アルヴィスは安心したように目を細める。
そして、彼はティリアの手を取り、指と指を絡めるようにしてはっきりと繋いだ。
予想外の優しく、甘やかな行動に、ティリアは戸惑ってしまう。
「あ、あの……」
「こうやって、僕に触れられるのは嫌?」
……嫌、なわけがない。
心臓がうるさいほど早鐘を打ち、全身が熱くなってしまう。
そんな自分の変化に戸惑うことはあっても、彼を厭うわけがないのに。
そっと首を横に振り、頬を染めて俯くティリアを、アルヴィスはじっと見つめていた。
不意に彼のもう片方の手が動いたかと思うと、そっとティリアの頬に触れる。
否応なしに顔を上げさせられ、視線が合う。
彼の瞳の奥には、確かな熱情が宿っているようだった。
ゆっくりと彼の顔が近づいて来て、それこそ心臓が止まりそうになってしまう。
「……これ以上は?」
吐息の触れ合うような距離でそう囁かれ、全身の血が沸騰しないのが不思議なくらいだった。
……こんなに近くで彼と見つめ合うのは、初めてじゃない。
これ以上、触れ合うのも。
だがあの時は、事故のようなものだった。
彼はただ苦しんでいるティリアを助けようとして、応急処置を施しただけなのだから。
あの時のことを思い出し、ティリアはどもりながらも告げる。
「い、今は……呼吸も安定してますし、アルヴィス様のお手を煩わせる必要は――」
「違う」
ティリアのみっともない言い訳なんて、一瞬で跳ねのけてしまうような確かな声だった。
「僕がしたいからするだけだ。あの時も……今も」
その言葉に思考が溶かされていくように、何も考えられなくなってしまう。
ほんの少しでも「嫌だ」といえば、拒絶するようなそぶりを見せれば、すぐにアルヴィスは退いてくれただろう。
だが、ティリアはそうしなかった。
ただ熱に浮かされたように、ゆっくりと二人の距離がゼロになるのを待っていた。
……ティリアだって、こうして彼に求められたかったのだから。
「ん……」
膝の上で寝ているブラックサンダーを起こさないようにしなければ。
頭の片隅でそんなことを考えつつも、目を閉じて彼のぬくもりを受け入れる。
もうすぐ、馬車は公爵邸についてしまうだろう。
そうわかっていても、この時間が少しでも長く続けばいいのにと、願わずにはいられなかった。




