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5 「僕は、君たち姉妹と結婚するんだよ」

 走りながらも、涙と嗚咽が次から次へと溢れてくる。

 こんなひどい姿を、他人に見られたくない。

 ただひたすらに人のいない方へと足を進め、ティリアがたどり着いたのは……少し前にアントンが

「一緒にここを出よう」と約束してくれたガゼボだった。


「っ……!」


 ……ここには、入りたくない。

 もうどうしていいのかわからずに、ティリアはがくりとその場に膝をついてしまう。


「ティリア、待って……話を聞いてくれ!」


 すぐに、アントンに追い付かれてしまった。

 ティリアの正面に屈みこんだアントンは、必死にティリアの手を握った。


「あんな風に君に伝えるつもりじゃなかったんだ! なのに伯爵が急に……本当に、君を傷つけるつもりじゃなかったんだよ!」

「……バーベナと婚約するというのは、本当なの」

「…………本当だ。でもっ、君のためでもあるんだ!」


 心を閉ざしたかのように俯いて視線を合わせないティリアに、アントンは必死に語り掛ける。


「バーベナと結婚すれば伯爵位が手に入る! そうすれば、君をこの境遇から解放することだってできるはずだから――」


 アントンは何かと理由を並べ立てていたが、ティリアの心には届かなかった。

 ただ一つ分かったのは、彼とバーベナの婚約は決して脅されたりしたわけではなく、アントン自身の意志で決断したということくらいか。

 ……結局のところ、彼はティリアと伯爵位とを天秤にかけ、後者を選んだだけなのだ。


 ティリアは選ばれなかった。ただそれだけだ。


「……私のことが好きだって言ったのは、嘘だったの?」


 それでも、藁に縋る思いでそう口にすると、アントンは必死な表情で言い返す。


「嘘じゃない! 君が一番に決まってるじゃないか!」

「だったらどうして……!」

「信じてくれ、僕はバーベナを愛しているわけじゃない。バーベナだって、はっきりと『浮気は許容してよね』と言った。形だけはバーベナと結婚するということになるけど――」


 しっかりとティリアの手を握り、アントンは安心させるように優しい笑みを浮かべた。


「僕は、君たち姉妹と結婚するんだよ」


 ……あまりのおぞましさに、鳥肌が立った。

 だがアントンはそんなティリアの様子には気づかずに、力強くティリアの手を握りながら興奮したように続ける。


「君との間に子どもが生まれた場合も、伯爵はこの家の子として育てることを許してくれた。だから――」

「……めて」

「形式的にはバーベナの子という形になるかもしれないけど、一緒に――」

「やめて!」


 ついにこらえきれずに、ティリアは力一杯アントンの体を突き飛ばした。

 ティリアの力ではアントンが少しふらつく程度だったが、彼は驚いたようにこちらを見ている。

 その「どうしてこんなことをするのかわからない」という視線だけで、ティリアは自身と彼が相容れないということを悟らずにはいられなかった。


「あなたたちは……どれだけ人を侮辱すれば気が済むの!? 私が無能だからって、何をされても傷つかないわけじゃないのよ……!」


 そう叫ぶと、ティリアは少しでもアントンから離れようと逃げ出した。

 どこをどう走ったのかはわからない。

 気が付けば、狭い自室へと戻って来ていた。

 扉に鍵をかけ、寝台へと突っ伏す。

 何度かアントンが扉を叩いたり、「開けてくれ」と懇願してきたが……全て無視した。

 いつの間にか日も落ち、室内は宵闇に包まれる。

 もうアントンの声も聞こえない。やっと、諦めたのだろうか。

 のろのろと顔を上げ、ほっと息をついた時だった。


 ――トントン、と。


 再び、部屋の扉を叩く音が聞こえた。

 ティリアは耳を塞ごうとした。だがその前に耳に届いたのは、アントンとは別の声だ。


「……お嬢様、メイド長のパウラです。ここにいるのは私ひとりですので、どうか扉を開けてくださいませんか」

(パウラ……? メイド長……?)


 もちろん、ティリアはその人物を知っていた。

 多くの使用人と同じく、「無能」の烙印を押されてからは、ティリアとの関りがなくなった使用人だ。

 アントンかバーベナに言いつけられ、ティリアをさらに踏みつけるためにやって来たのだろうか。

 そんな思いもよぎったが、彼女が妙に――まるで誰かに聞かれたくないとでもいうように――声を押さえているのが気にかかった。

 悩んだ末、ティリアはそっと扉を開ける。


「失礼いたします」

「あ……」


 許可を与える間もなく、メイド長のパウラは室内へと入り込んで来た。

 そして、音をたてないように扉を閉めたかと思うと、急ぐように口を開く。


「……時間がないので手短に申し上げます。ティリアお嬢様。この屋敷から逃げ出すおつもりでしたら、今夜が最後のチャンスとなるやもしれません」

「ぇ……?」

「先ほど、アントン様が旦那様に注進しているのを耳にいたしました。……お嬢様がここから逃げ出す可能性があるので、監視を付けてほしいと」

「そんな……」


 もたらされた情報に、ティリアは真っ青になった。

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― 新着の感想 ―
[一言] まぁアントンの提案は言うほど悪いものではないと思うんだけどな。これで待遇が改善されるなら今後は良い生活ができる様になるわけだし、貴族なら第二婦人第三婦人くらいは普通にいるだろうから別におかし…
[一言] いやぁ〰(;´Д`)これでもかっていうほどのティリアどん底状態スタートですね。読んでいて胃が”きゅうっ”と痛みました。これからの展開が超楽しみです。
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