48 君のことなら、何でも知りたい
「私の、本当の名前は……ティリア・リッツェンと言います。リッツェン伯爵家の、長女です」
消え入りそうな震え声で、ティリアはなんとかそう口にする。
アルヴィスは無理に追及はせず、ティリアの言葉を待ってくれているようだった。
「八歳を迎えた時、私は魔力測定を受けました。でも、何の力もない、『無能』で……」
また、あの記憶が蘇ってくる。
父の怒声が、義母の侮蔑の眼差しが、異母妹の笑い声がフラッシュバックする。
全ての希望が失われ、ティリアの未来が閉ざされたあの日が――。
「ティリア」
アルヴィスに呼びかけられ、過去に囚われていたティリアははっと我に返る。
少しぼやけた視界の中、アルヴィスが心配そうにこちらを見つめていた。
彼の指先が、そっとティリアの目元を拭う。
そこで初めて、ティリアは自分が泣いていることに気が付いたのだった。
「ごっ、ごめんなさい……」
まだろくに話もできていないのに、こんなみっともない姿を見せてしまうなんて、
本当に、情けなくて消えてしまいたい。
だがアルヴィスは俯くティリアの顎先をそっとすくい、上を向かせる。
至近距離で目が合い、ティリアは思わず息を飲んでしまった。
「隠さないで」
アルヴィスは優しい目でこちらを見つめている。
「君のことなら、何でも知りたい」
その言葉が、砂漠に降る雨のように、ティリアの心に染み込んでいく。
(この人は、『無能』の私を受け入れてくれる……)
それでもいいと、受け止めてくれるのだ。
小さく頷くと、アルヴィスも頷き返してくれる。
ティリアは何度か深呼吸し、続きの言葉を口にする。
「私は……どの属性の素養もない、いわゆる『無能』でした。父はそんな私に愛想を尽かし、義母や妹にも、使用人のように……粗雑に扱われるようになりました」
「……妹というのは、今日あの場にいた女性か」
「はい……」
アルヴィスは何かを考え込み、迷っているようだった。
だが彼は意を決したようにティリアを見つめ、ゆっくりと口を開く。
「まさか……体の傷も、君の家族が?」
「…………はい」
ティリアが肯定すると、アルヴィスは何かに耐えるようにぐっと拳を握り締めた。
「……最低だな」
アルヴィスは怒りを滲ませた低い声で、そう吐き捨てた。
ティリアが言葉以上のひどい目に遭っていたことを、聡い彼は理解したのだろう。
「私は……いつか家族が、私のことを認めて、受け入れてくれるのではないかなんて……幻想を抱いていたんです」
だが、そんな日は来なかった。来るはずがなかった。
彼らにとってティリアは、ただのストレスのはけ口の玩具でしかなかったのだから。
「今日、バーベナ――妹と一緒にいた男性が……妹の婚約者です。でも彼は、私のことを愛人にしようとして――」
「は?」
アルヴィスが今日一番低い声を出したので、ティリアは思わずびくりと身を竦ませた。
そんなティリアを見て、アルヴィスは慌てたように弁解する。
「……すまない、君に怒っているわけじゃないんだ。ただ、その、愛人というのは――」
非常に言いにくそうにするアルヴィスを目にして、ティリアははっとする。
「い、いえ……その、そう言われた時点でショックを受けて、使用人の手を借りて逃げ出してきたので、実際に愛人だったわけではないのですが……」
慌ててそう弁解すると、アルヴィスはあからさまにほっと息をついた。
アルヴィスの纏う剣呑な雰囲気が少し和らいだのを感じ、ティリアも安堵する。
……アルヴィスは他者のことを色眼鏡で見たりはしない。
あからさまに態度を変えるようなこともないだろう。
だが、アルヴィスだけには……「誰かの愛人だった」とは思われたくなかったのだ。
「とにかく伯爵家から逃げたくて、王都へ逃げてきた時に……密猟者に追われているブラックサンダーを見つけ、アルヴィス様に救われました」
今思えば、あの場でブラックサンダーとアルヴィスに出会えたのは本当に幸運だった。
そうでなければ、世間知らずで無能なティリアなど、伯爵家での待遇と同じく食い物にされて終わりだっただろう。
「そうか……話してくれてありがとう」
あらかた話し終わると、アルヴィスは重々しくそう口にする。