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47 聞いて、いただけますか

 「ティリア、すぐに屋敷に戻るから……」


 ティリアを抱きかかえたまま、アルヴィスは心配そうにそう声をかけてくれた。

 その声に応えたいのに、口を開けても声が出てこない。

 それどころか、うまく空気を吸うことができない。


「ティリア、落ち着いて。焦ってはだめだ。ティリア……!」


 そんなアルヴィスの声も、パニック状態のティリアをさらに焦らせるだけだった。

 アルヴィスに心配をかけてはいけない。

 早く落ち着かなくては……と思えば思うほど焦りが募り、どんどんと悪循環に陥っていく。


「ごめ、さ……アルヴィ……様……」


 切れ切れにそう伝えると、アルヴィスは何かに耐えるように表情を歪めた。


「ごめん」


 その言葉と共に、彼のてのひらがティリアの後頭部を支えるように添えられた。

 そして――。


「!?」


 一気に、二人の間の距離がゼロになる。

 アルヴィスに口付けられているのだと気づいたのは、数秒経ってからだった。

 あまりに突然のことで、驚きすぎて呼吸をするのも忘れてしまう。

 ほんの少しの時間が、まるで永遠のように感じられた。

 やがてアルヴィスはそっと唇を離すと、静かに囁く。


「ゆっくりでいい。息を吸って」


 ぼんやりとしていたティリアは促されるままにゆっくりと息を吸う。


「……いい子だ。ゆっくり息を吐いて」


 アルヴィスに抱き寄せられ、彼の鼓動の音が間近に感じられる。

 心地よい心音に包まれながら、ゆっくりと呼吸を繰り返すうちに……だんだんと呼吸が落ち着いてくる。


「……大丈夫だ、ティリア。今は何も考えなくていい」


 そっとティリアの頭を撫でながら、アルヴィスがそう囁く。


「きゅい……」


 アルヴィスの隣にいたブラックサンダーが、心配そうな声を上げた。


「お前もいい子でよく頑張ったな。ほら、ティリアを元気づけてやってくれ」


 遠慮がちに近づいてきた小さなユニコーンを、ティリアはそっと抱きしめた。

 ……アルヴィスに話さなくてはいけないことも、考えなくてはならないこともたくさんある。

 でも、今だけは……。

 二人と一匹の織り成す穏やかな空間で、心地よいぬくもりに包まれ、たゆたっていたかった。



 ◇◇◇



 馬車が公爵邸に着くころには、ティリアもなんとか歩けるくらいに回復していた。

 アルヴィスは当然のようにティリアを抱き上げて運ぼうとしたが、それは固辞しておいた。


(ただでさえアルヴィス様に迷惑をかけてばかりなんだもの……)


 先ほどの馬車でのやりとりを思い出すだけで、頬に熱が集まってしまう。

 だが、ティリアにはわかっていた。

 先ほどのあれは……アルヴィスにとって、単なる人工呼吸でしかないと。

 過呼吸に陥ってしまったティリアを救うため、あの時はああするのが一番だったというだけだ。

 きっと、アルヴィスにとっては何の意味もないただの処置で。


 ……ティリアにとっては、一生忘れられない出来事になりそうだというだけだ。


(アルヴィス様が気にしてなかったとしても、なんてことをさせてしまったのかしら……)


 申し訳なさが溢れ、今すぐ消えてしまいたい気分だった。

 気を張っていないと、じわりと涙がにじみ出しそうになってしまう。


「今日は疲れただろう、ティリア。神獣たちのことは僕に任せて、君はゆっくり休むんだよ」


 まるで何事もなかったかのようにそう言うアルヴィスに、ティリアは力なく頷いた。

 そんなティリアを心配そうな目で見つめ、しばし逡巡した後……アルヴィスは意を決したように再び口を開く。


「それと……あの二人のことだけど」


 その言葉を聞いた途端、びくりと体が跳ねた。

 ……聞かれないわけがない。アルヴィスからすれば、ティリアは嘘をついて公爵家にもぐりこんだ最低の人間なのだから。


(どうしよう……)


 あからさまに怯えるティリアに、アルヴィスは温和な彼には珍しく小さく舌打ちした。

 ……アルヴィスを怒らせてしまった。

 そう理解した途端、再び心が絶望に飲み込まれそうになる。

 その反応に「ひっ」と息を飲むティリアに、アルヴィスは驚いたように目を見開く。

 そして、手を伸ばしたかと思うと――。


「……すまない、ティリア。君に怒っているわけじゃないんだ」


 抱きしめられ、優しくそう囁かれ、ゆっくりと強張っていた体の力が抜けていく。


「言いたくないなら言わなくてもいい。たとえどんな過去があろうと、僕にとって君が『ティリア』であることに変わりはないから」


 ……そんな風に、優しくされたら。

 嘘も、虚勢も、受け入れられてしまったら。

 もう、耐えられなくなってしまう。抑えられなくなってしまう。


 ――この、胸の奥底に渦巻く浅ましい想いを。


「でも、これだけは覚えておいてほしい。たとえ何があっても、僕は君の味方だ」


 溢れた涙が彼の服を濡らしていく。

 嗚咽を漏らすと、アルヴィスの手がゆっくりとティリアの後頭部を撫でた。


「君が話したくないのならそれで構わない。……できることなら、またいつものように笑顔を見せてほしい。そのために君の苦しみを取り除く必要があるなら、僕はなんだってする」


 力の入らない指先で、ティリアはぎゅっとアルヴィスへと縋った。


「聞いて、いただけますか……」


 苦しくて、悲しくて、情けない『無能』の少女の話を。

 優しさにつけこんで、嘘をつき続けていた愚か者の話を。

 アルヴィスはよりいっそう強くティリアを抱き寄せると、その耳元で囁いた。


「聞きたい。君のことならなんでも」


 そんな風に言われたら、もう抗えるはずがなかった。

 アルヴィスに促され、ティリアはそっと談話室のソファに腰を下ろす。

 すぐに隣に腰を下ろしたアルヴィスが、そっと震えるティリアの手を握ってくれた。


「……ブラックサンダー、今日はもうトリスタンとイゾルデの所に帰るんだ。わかるな」

「……きゅう」


 二人の雰囲気に何かを察したのか、ブラックサンダーは一度だけティリアの足に額を擦り付け、トコトコと温室の方向へ帰っていった。


「それじゃあ、教えてくれるかな。ゆっくりでいいから」

「はい……」


 アルヴィスに促され、ティリアはそっと頷く。

 二人の、長い夜が始まった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] あ〜良いねぇ!アルヴィス長男前!泣いたわ!ティリアがずっと抱え込んできたものが解消されるならすごい気持ちいい!
[一言] やっと打ち明けるんですね ここまで長かった!せっかく愛くるしい神獣達が懐いてくれているのに、主人公はいつまで経ってもウジウジして言動もあやふやで読者としてモヤモヤしっぱなしだったのですが、こ…
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