44 だって、そんなはずがない
「悪いね、忙しいのに付き合わせてしまって」
「い、いえ……大したお役にはたてませんが、荷物持ちなら任せてください!」
ティリアはそう言うと、アルヴィスはどこか困ったように笑った。
あれから数日。表向きは何事もなく時間が過ぎ、今日二人は以前のように街に出ていた。
本当はティリアは同行する予定ではなかったのだが、アルヴィスの外出にめざとく気づいたブラックサンダーが脱走を試み、急遽そのお目付け役として付き従うことになったのだ。
「まったく……本当にお前はおとなしくしていないな。いいか、ティリアに迷惑をかけるなよ」
「きゅい?」
大真面目にそう言い聞かせるアルヴィスを眺めながら、ティリアは小さくため息をついた。
例のアンデルス侯爵令嬢の件から、表面上アルヴィスは何事もなかったようにティリアに接している。
だがふとした瞬間に……彼が何かを探るような目をこちらに向けていることにティリアは気づいていた。
(もしかしたら、私が変なことを考えているのに気付かれてしまったのかしら)
使用人が主人に懸想するなど気持ち悪いと、牽制しているのかもしれない。
そう考えるとまたもや暗雲が立ち込めるような気分になったが、ティリアは努めて平静を装った。
それでもティリアを突き放さないのは、遠ざけないのは、アルヴィスの優しさに他ならないのだから。
(だったら私も、変なことを考えないで使用人としての仕事をまっとうしないと……)
たとえ隣に立つことができなくても、アルヴィスの役に立ちたい。
そしていつか、彼がふさわしい女性を妻として迎える時が来たのならば……心から祝福できるようになりたい。
そのためにも、今から諦める練習をしなくては。
物思いに沈んでいたティリアは気づかなかった。
ブラックサンダーとじゃれるアルヴィスが、時折こちらに視線を注いでいたことに。
アルヴィスはいくつかの店に立ち寄っていたが、ティリアは馬車の中で待っているように指示されることが多かった。
使用人といえどあまり人に聞かせたくない話なのだろうか。
もしかしたら、彼の仕事の関係なのかもしれない。
「きゅいぃぃ……」
「邪魔しちゃだめよ、アルヴィス様は忙しいんだから」
ブラックサンダーは馬車の中に置いてきぼりにされるのが不満のようだ。
今も、去っていくアルヴィスの背中を見つめながら不服そうに唸っている。
(うっ、このままだとまた脱走を企むかも……あまりストレスを溜めるのもよくないみたいだし、なんとかして気分を逸らさないと……!)
きょろきょろいと周囲を見回したティリアは、すぐ近くに小さな広場のような空間が広がっているのに気付いた。
小さな噴水を中心に人々が集まり、露店なども出ているようだ。
多少外の空気を吸えば、ブラックサンダーも気分転換になるだろう。
「すみません。この子が退屈しているみたいなので、少し歩いてきます」
馴染みの御者にそう告げ、ティリアは馬車を降りる。
「きゅい~」
想定通り、ブラックサンダーは嬉しそうに目を輝かせている。
随時馬車の様子をチェックし、あまり離れすぎないようにすれば大丈夫だろう。
しっかりとブラックサンダーを抱き直し、ティリアは足を進める。
露店ではその場で食べられるカットフルーツも売っていた。
ブラックサンダーのおやつにちょうどいいだろう。
そう考え、足を進めようとした時だった。
「ティリア!」
不意にそう叫ぶ声が聞こえ、心臓が止まりそうになってしまう。
だって、そんなはずがない。
こんなところにいるはずがないのに。
――「こんな時に言うのも何だけど……ずっと、君が好きだったんだ」
――「僕は、君たち姉妹と結婚するんだよ」
脳裏に嫌な記憶がフラッシュバックし、ティリアは固まってしまう。
忙しない足音が近づいてくる。
もしも「彼」ならば、会いたくはないのに。
逃げなければいけないのに――。
「ティリア!」
ガッと強く肩を掴まれ、体を反転させられる。
そこで見えた人物の姿に、ティリアは息を飲んだ。
「ティリア、やっぱりティリアだ……!」
「アントン……」
久方ぶりに目にする幼馴染に、ティリアは恐怖に顔を引きつらせる。




